2014年12月22日月曜日

「古代新規開発遺跡」密度図による古代想定地物の考察

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.27 「古代新規開発遺跡」密度図による古代想定地物の考察

2014.12.22記事「遺跡密度図(ヒートマップ)作成による古代想定地物の考察」で高津(直轄港湾)がそれ自体として独立した拠点ではなく、地域拠点「村神」(現在地名は村上)に属する港湾・軍事機能であることに気がついたことを述べました。

この気づきをより確かなものにすることを、データ分析でできると考え、次の作業を行って、新たな遺跡密度図を作成してみました。

新たな遺跡密度図とは、古代新規開発遺跡密度図です。
「古代」という文字と「新規」という文字が並ぶことは少ないので、意味が直感的にわかりにくいかもしれませんが、意味は次の通りです。

現在の作業では、「古代」とは古墳時代、奈良時代、平安時代を指しています。
この古代の遺跡分布図と密度図は既に作成しました。

この「古代」遺跡のうち、縄文時代遺物と弥生時代遺物が出土しない遺跡だけを抽出しました。この抽出遺跡は古代(古墳時代~平安時代)になって初めて開発されて成立した遺跡です。
ですから古代新規開発遺跡です。

古代新規開発遺跡が密に分布している地域は、古代になって新規に開発が進んだ場所です。古代に地域開発を進める主体は律令国家(及びそれ以前の国家)の統制下にある政治・行政・軍事・経済組織と考えて間違いありません。

つまり、「古代新規開発遺跡」密度図(ヒートマップ)は古代における国家統制下にある拠点の在りかを示している可能性が濃厚です。

「古代遺跡分布と密度図」と「古代新規開発遺跡分布と密度図」

平戸川(現在通称は新川)沿岸に古代遺跡の高密度地域が分布しているのですが、古代新規開発遺跡の高密度地域は村神(現在地名は村上)に集中します。

村神に律令国家の統制下にある組織(施設)が存在していて、この付近が地域レベルの拠点であったことが明白になりました。

花見川河口では古代遺跡分布密度の赤色地域と古代新規開発遺跡分布密度の赤色地域にあまり大きな変化はありません。つまり古代以前の遺跡分布はその拡がりや密度があまり顕著ではなかったことを示しています。

「古代遺跡密度図と想定地物」と「古代新規開発遺跡密度図と想定地物」

古代「東海道水運支路」(仮説)で想定している地物との関係を見ると、高津(直轄港湾)と村神との関係が古代遺跡密度図でみるより、古代新規開発遺跡密度図でみるほうがより直接的に理解できるようになりました。

高津馬牧の想定位置付近の遺跡密度が「古代遺跡密度図」より「古代新規開発遺跡密度図」の方が高くなるので、想定位置の確からしさが一段と高まりました。

また、花見川河口付近の河口津、駅家などを伴う開発が古代に新規に行われたことを確認できました。

これで、浮島駅家(花見川河口津)と高津(地域拠点村神)を結ぶ花見川-平戸川船越は、古代に新規開発されたインフラであることが明瞭になりました。

弥生時代や縄文時代にもこの花見川地峡は重要な交通路であったのですが、社会インフラとして施設整備された最初が古代であるということです。


0 件のコメント:

コメントを投稿