2015年12月9日水曜日

鳴神山遺跡の銙帯出土状況

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.241 鳴神山遺跡の銙帯出土状況

鳴神山遺跡から銙帯が4点出土しています。

その分布を次に示します。

銙帯出土遺構

4点とも遺跡中央部付近から出土しています。

2015.12.08記事「鳴神山遺跡の鉄鏃・刀子出土状況」で着目したC地点(政治拠点想定)、D地点(食糧倉庫想定)、E地点(被服倉庫想定)から各1点出土し、残り1点はCDE地点付近から出土しています。

この銙帯出土状況から次の想定をすることができます。

1 銙帯出土は官人が駐在したことを示していると考えます。それは律令国家が直接押さえておくべき重要な機能が存在していたことを示すと考えることができます。

C地点は遺跡全体(集落全体)を支配する政治拠点であったと想定していますから、この場所から銙帯が出土することは合理的に捉えることができる事象です。

同様にD地点(食糧倉庫想定)とE地点(衣服倉庫想定)も兵站基地の根本機能である軍需物資集積発送機能の場所ですから、この場所から銙帯が出土することも合理的に捉えることができる事象です。

2 銙帯出土がない場所は官人が駐在していなかった可能性が濃厚であり、それは律令国家が直接官人により押さえておくべき必要が存在していなかった可能性を暗示します。

A地点は寺院想定場所ですから、その付近から銙帯出土がないことは極自然なことです。

B地点は多量の打ち欠き墨書土器や鉄鏃・刀子等が出土し、極めて活発な活動拠点であったことは確実です。この場所から銙帯出土がないということは、B地点の性格を考える上で大変重要な情報であると考えます。

北に広がる台地上で行う麻栽培労働、印旛浦における水運労働、印旛浦から台地を超えて手賀沼方面と結ぶ運輸労働などの現場労働拠点がB地点であったと想定します。

そのような現場肉体労働の監督は官人の下に組織された現場監督集団が行っていたものであり、現場には官人が駐在しなかったと考えると、B地点付近から銙帯出土がないことを理解できます。

参考再掲 鉄鏃出土遺構分布からみた特徴的な場所(イメージ)

なお、銙帯出土数から見た鳴神山遺跡の意義を2015.09.07記事「銙帯出土情報から考える鳴神山遺跡の意義」で既に検討しています。

参考 銙帯出土集中圏域と鳴神山遺跡

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