小字地名データベース作成活用プロジェクト 43
GIS版古代郡郷分布検討図作成の技術的可能性が生まれましたのでメモしておきます。
千葉県の古代郡郷の比定地一覧が「千葉県の歴史 通史編 古代2」に付録「古代房総三国の郡・郷・里の変遷と比定地一覧」として掲載されています。
古代房総三国の郡・郷・里の変遷と比定地一覧 のページ例
「千葉県の歴史 通史編 古代2」から引用
この比定地一覧を分布図として表現したものは見かけたことがありません。
古代郡郷分布図を見かけない理由としては、いろいろな説があるので単純に1枚の分布図にできないという理由と、現在地名との比定ができても、その地理的広がりを把握できない(境界線を引けない)という理由がその主なものであると考えます。
次の図は天野務(1986):下総国印幡郡村神郷とその故地、千葉県教育振興財団文化財センター研究紀要10に掲載されている郡郷配置図です。
下総国印幡郡及び周辺地域郡郷配置図
天野務(1986):下総国印幡郡村神郷とその故地、千葉県教育振興財団文化財センター研究紀要10から引用
この図には「「日本地理志料」をはじめとする先学による「和名抄」郷名比定地のうち、近世以前の資料にその地字名が認められる郷名比定地を図示したものである。」という説明がついています。
郡郷分布図は手堅い情報を素に書こうとすると、上記理由からどうしてもこのような地図になってしまうのだと思います。
しかし、2015.12.02記事「千葉県GIS版大字分布図作成の技術的見通し」で書いたように、明治初期の大字分布図をGISにプロットすることが可能であることが判りました。
明治初期大字分布図のGISデータ化の技術的可能性
したがって、千葉県地名変遷総覧附録「千葉県郷名分布図」(邨岡良弼著日本地理志料による)の郷名分布をGIS上に転写することは容易です。
千葉県地名変遷総覧附録「千葉県郷名分布図」の郡分布 例
千葉県地名変遷総覧附録「千葉県郷名分布図」の郷分布 例
邨岡良弼著日本地理志料の郷名分布は誤りが多くそのままでは使い物にならないという印象を持っています。
しかし、そうした史料内容の評価は別として、参考資料として邨岡良弼著日本地理志料の郷名分布を最初にGISデータ化するという意味は、蓋然性の高い古代郡郷分布図を検討する上で必要なステップであると考えます。
要するに、千葉県地名変遷総覧附録「千葉県郷名分布図」を墨刷り(基図…明治初期大字分布図)と朱刷り(邨岡良弼著日本地理志料)を丸ごとGISデータにすることによって、古代郡郷分布検討の技術的ステップが新たに切り開けることになると考えます。
大いに信用できないという印象をもっているにもかかわらず、唯一分布図として存在する邨岡良弼著日本地理志料を仕方なしに批判的に利用して、「千葉県の歴史 通史編 古代2」付録「古代房総三国の郡・郷・里の変遷と比定地一覧」を分布図化する作業を行い、私家版郡郷分布検討図の作成を目指します。
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邨岡良弼著日本地理志料が信用できない例
【日本地理志料の誤り】
日本地理志料では、千葉郡の郷として「余部」を作郷(!)しています。つまり邨岡良弼が「余部」という郷名を新たに創作しているのです。信じがたいことです。
「原無シ。今補ヘリ。図ヲ按ズルニ、山梨・三枝・山家之中間ニ、天戸村有リ。余・天、同訓」という説明です。
「天戸(アマド)村があるから、この付近は余部(アマルベ)という郷に違いない。」という単純な発想で、それ以上の根拠なく邨岡良弼がかってに余部郷をつくってしまったのです。郷の範囲も地図とにらめっこで作図したものと考えます。
2013.08.28記事「地名「横戸」の由来と香取の海との関係」
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