2016年12月1日木曜日

上谷遺跡 遺物出土状況の紙上観察を楽しむ A209竪穴住居

上谷遺跡の主要墨書文字4つの主要出土遺構のうち「竹」が多出するA209竪穴住居について、遺物出土状況の紙上観察を楽しんでみました。

1 A209竪穴住居の位置

A209竪穴住居の位置

2 遺物分布図

A209竪穴住居の遺物分布図(報告書掲載データ)は次の通りです。

A209竪穴住居 遺物分布図(報告書掲載データ)

ただし、A209竪穴住居からは2900点の遺物が出土していて、この分布図は発掘担当者が着目した主要遺物のみを示しているものです。

ですから、以下の紙上観察・分析は発掘担当者が着目した主要遺物のみというフィルターを通った情報について行うものです。

上記図は番号と指示線が入り乱れていて図が錯綜し、また遺物種類もわからないので、不用な情報を消し、遺物種類を鉄製品、「竹」墨書土器、「竹」墨書土器以外の土器に色分けして図を作り直しました。

A209竪穴住居 遺物分布図 全遺物

分布の粗密をみると南西隅の密で、北側で粗になっているように見えます。

断面的には覆土層の下層から上層まで満遍なく分布しているように見えます。

A209竪穴住居 遺物分布図 鉄製品

平面的には遺構全体に散ばり、断面的にも下層から上層まで分布するようです。

A209竪穴住居 遺物分布図 「竹」墨書土器

遺構の中央から北東隅にかけて分布が空白にjなっています。

断面図は投影断面図であり、遺物分布が遺構の外縁部付近に多いことを考慮すると、床面上あるいは覆土層下層に多いように観察できます。

この事実から「竹」墨書土器はA209竪穴住居廃絶直後の短い期間だけ持ち込まれたと考えることができそうです。

A209竪穴住居 遺物分布図 「竹」墨書土器以外の土器

全遺物の分布とほぼ同じように観察できます。

次に、これらの遺物分布図をヒートマップにしてみました。

3 ヒートマップ

全出土物ヒートマップ

これまで観察してきた竪穴住居と比べると遺構中央部に分布する遺物が多くなっていますから、分布特性が異なります。

鉄製品ヒートマップ

遺構縁の近くだけでなく、そこから離れた遺構中央部にも集中域があります。

遺構廃絶直後だけでなく、時間をおいてその後覆土層の中上部にも鉄製品がもちこまれたようです。

「竹」墨書土器ヒートマップ

A209竪穴住居は上谷遺跡の代表的墨書文字の一つである竹が最も多数出土する遺構ですが、平面分布は局在するように観察できます。

遺構廃絶直後に「竹」墨書文字が持ち込まれたようです。

「「竹」墨書土器以外のヒートマップ

全出土物ヒートマップとほぼ同じ特性が観察できます。

4 接合できる土器片の分布

接合できる土器片の分布が判っていて、興味を引きますので、そのいくつかを色分けしてみました。

接合できた土器片の分布

26番土器(土師器甕、遺存1/2)を例に観察すると、平面的には、多くは局所に分布しますが、離れた場所にも散ばります。

断面的には、断面図が投影断面図であることを念頭に、覆土層区分図と対照させると、ある1時点の覆土層表面地形に散布されたように観察できます。

つまり、26番土器片はばらまかれたものであるとほぼ断定できます。

土器片がその後のかく乱によって覆土層の中を平面的、断面的に移動したものではないとほぼ断定できます。

26番土器片は1人の手でばらまかれたものです。

これは何を意味するでしょうか?

私の解釈は、壊れた土師器(遺存1/2)をA209竪穴住居に持ってきて、その場で打ち欠き、その破片をばらまいたと思います。

その行為はゴミの投棄ではなく、壊れたものであるとはいえ有価物を持ってきて、それをわざわざ壊して、お供え物にして、遺構居住故人を祀ったのだと考えます。

壊れた土器であるとはいえ、それを破片にまで壊すことによって、土器がもつ価値を故人に捧げるという、生贄をささげることに共通する心性が働いたと想像します。

何かの状況で生じたゴミとしての土器破片をこの遺構に捨てるとしたら、わざわざばらまかないで、足元にガラガラと捨てるだけです。

ばらまくという行為に大いに着目して、その行為の背景にある心性を想定することが大切です。

5 考察

A209竪穴住居について発掘調査報告書では次のように記述しています。

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遺物

2900点余が出土した。

出土傾向は捉えられないが、土師器坏、須恵器甕が主体を占めていた。

また、墨書土器が21点、線刻が1点出土している。

「竹」が10点出土していた。

所見

極めて遺物の出土の多い遺構である。

住居跡は自然堆積による埋没であり、住居廃絶後は「穴」として残された遺構であった。

その中に破損した土器を中心として、廃棄場所として廃絶住宅を利用したような住居跡である。

そのために2900点に上る破片などの出土が認められたと、考えられた遺構である。

その遺構集中地区なのか、他地区からの廃棄かは第5分冊の整理をまって再検討したいが、本遺跡では人為投入土による竪穴住居跡の埋戻しの例が多いなか、意識的に廃棄場所として遺存させた遺構とも捉えたい。

(赤字は引用者)
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廃棄場所ということですから、発掘調査報告書はこの竪穴住居をゴミ捨て場として捉えているとことになります。

しかしこれまでの検討で、このブログでは、この竪穴住居はゴミ捨て場ではなく、竪穴住居に居住していた有力家当主故人の祭祀の場所であったと考えます。

出土遺物は全てお供え物として、投げられた(あるいは置かれた、埋められた)ものであると想像します。





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