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2026年5月30日土曜日

感想 型式別土器情報を貝層断面図に投影して気がついたこと

 Observations: What I noticed when projecting pottery fragments by type onto a cross-sectional view of a shell bed


I observed pottery fragments within a 0.5m wide box, projected by type onto a cross-sectional view of a shell bed. Unexpectedly, I observed a reversal where newer pottery was at the bottom and older pottery was at the top. This gave me the impression that I was touching upon the dynamics of the development of sloping shell beds.


前後0.5m幅のボックス内の土器破片を型式別に貝層断面図に投影して観察しました。予想外として、新しい土器が下、古い土器が上という逆転状況が観察できます。斜面貝層発達のダイナミックスに触れているという感想を持ちました。

1 第5断面の型式別土器投影図

第5断面を軸に前後0.5m幅のボックス(スリット)を設定し、そのボックス内の土器破片を型式別に第5断面図(貝層断面図)に投影しました。

なお、第5断面ボックスには早期土器、前期土器、阿玉台式土器、加曽利EⅠ式土器、加曽利EⅡ式古段階土器は出現しません。

1-1 中峠式土器


中峠式土器

1-2 加曽利EⅡ式中段階土器


加曽利EⅡ式中段階土器

1-3 加曽利EⅡ式中~新段階土器


加曽利EⅡ式中~新段階土器

1-4 加曽利EⅡ式新段階土器


加曽利EⅡ式新段階土器

2 観察できる特徴

2-1 斜面性貝層

斜面性貝層(断面で左上から右下方向に分布する貝層)で型式別土器片があるのは中峠式土器だけです。この様子は以前から想定していた様子と変化ありません。

2-2 流路性貝層

流路性貝層(断面と垂直の方向の流れに対応する貝層)における型式別土器片分布を概観すると、型式別土器片分布の下限が下から上に加曽利EⅡ式新段階土器→加曽利EⅡ式中~新段階土器→加曽利EⅡ式中段階土器になっています。

この様子は全く予想外です。

一般論として、古い土器は下に新しい土器は上にくるのが世の常ですが、北斜面貝層では上流の浸食により、古い土器も新しい土器もごちゃまぜになっているに違いないと想定していました。つまり地層累重の法則は成り立たないで、新旧土器が混じっているに違いないと想定していました。

ところが結果はその想定と異なり、極端に言えば、地層累重の法則と真逆になっていると言えなくもありません。

この様子は第5断面だけでなく、多くの断面で観察できます。

3 感想(解釈の候補)

第5断面及び他の断面で型式別土器片分布の下限が下から上に加曽利EⅡ式新段階土器→加曽利EⅡ式中~新段階土器→加曽利EⅡ式中段階土器になっている事象について、今後詳しく検討しますが、現時点における解釈の候補をメモします。

・斜面貝層は型式別土器の順番で下から上に土器破片が出土するに違いない。

・流路性貝層は加曽利EⅡ式新段階土器(つまり北斜面貝層の最終段階)の時代に顕著なガリー侵食活動があり、谷頭部で投棄されていた加曽利EⅡ式新段階土器が浸食運搬されガリ谷底に堆積した。

次いで生じたガリー侵食活動で、加曽利EⅡ式新段階土器の下に堆積していた加曽利EⅡ式中~新段階土器が侵食運搬され、先に堆積した加曽利EⅡ式新段階土器の上に堆積した。

さらに生じたガリー侵食活動で、加曽利EⅡ式中~新段階土器の下に堆積していた加曽利EⅡ式中段階土器が侵食運搬され、先に堆積した加曽利EⅡ式中~新段階土器の上に堆積した。


一度谷頭部で地層累重の法則にしたがって堆積した貝層が、侵食作用の妙により、上から剥がされ、下から上に堆積し直したという考えです。


斜面貝層発達のダイナミックスに触れたという感覚が生まれ、学習意欲が否が応でも増進します。


また、型式別土器情報を断面図に投影する技術(Blender、Python、geometry nodes)の意義の特段の大きさにも気が付きました。

2024年8月28日水曜日

伝加曽利貝塚出土動物形土製品に関する感想

 Thoughts on animal-shaped clay products rumored to have been excavated from the Kasori shell mound


I have written down my thoughts on the animal-shaped clay products rumored to have been excavated from the Kasori shell mound. I think of the products as clay whistles. I imagine the animals as fantasy creatures that carry the souls of the dead to the afterlife. I think of them as tools used to play music in funeral rites.


伝加曽利貝塚出土動物形土製品に関する感想をメモしました。製品としては土笛と考えます。動物は死人の魂をあの世に運ぶ空想動物と想像します。葬送儀礼で音楽を奏でる道具と考えます。

1 トリ形動物土製品の例


伝加曽利貝塚出土動物形土製品

2024.08.27記事「伝加曽利貝塚出土動物形土製品 観察記録3Dモデル


各地遺跡のトリ形土製品

山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)収録「8 縄文社会の複雑化と民族誌 高橋龍三郎」から引用

2021.10.06記事「縄文後晩期の鳥人間土偶


動物形土製品レプリカ(千歳市美々4遺跡)

2024.07.16記事「動物形土製品レプリカ(千歳市美々4遺跡)観察記録3Dモデル

トリ形動物土製品は稀に出土する土製品ですが、少なくとも関東から北海道まで分布しています。

形状はズングリムックリしていて、中が空洞で、表面に大きなまん丸の穴が1~3箇所空いています。

トリ形といっても嘴があるはずの頭部は全体に対して小さく、省略的な造形である印象を受けます。


伝加曽利貝塚出土動物形土製品の頭部

伝加曽利貝塚出土動物形土製品の頭部が、欠けているようには観察できません。観察できる出土物の頭部が完成品の頭部そのものである可能性を感じています。(目や嘴を認識できません。)あるいは一部欠けた跡が使用による磨耗で欠け跡が見えなくなったのでしょうか。

もしトリ形というならば、翼(手)は肝心かなめの部位になりますが、とても翼とは言えない小突起になっています。そして指が造形されています。伝加曽利貝塚出土動物形土製品は翼(手)が片側2つありますから、理解に苦しみます。

足があり、どれも引っ込んだ様子が表現されていて、その様子からトリが飛翔している様子を感じることができます。

2 トリ形動物土製品の例 その2


人間と動物の折衷的形態(ヒトと動物の共通の母)

山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)収録「8 縄文社会の複雑化と民族誌 高橋龍三郎」から引用

2021.10.06記事「縄文後晩期の鳥人間土偶

トリ形動物土製品には乳房が造形されているので、半人半獣像とされるものが存在するようです。

現物あるいは詳しい写真や実測図をみて、できれば展示物の3Dモデルを作成して、確かに半人半獣像だという印象を自分自身で持ちたいものです。(今は資料を鵜呑みにするしかありません。)

3 トリ形動物土製品の機能に関する感想

全体の形状が中空でズングリしていることと大きく開いた丸い穴から、この土製品の本質的機能は土笛であると考えます。装飾を除くと土笛出土例と似ています。現物のレプリカをつくり、吹いてみれば、土笛であることを証明できると考えます。


土笛(伝加曽利貝塚出土動物形土製品)を吹いている想像図

片手で土笛を持ち、上の穴から息を吹き込み、下の穴を小指で押さえて音程を調節していたと考えます。


参考 土笛(縄文時代中期、箕輪町御射山遺跡)

(この例では吹く穴1つとスリットがあります。スリットを押さえて音程を調整していたと考えます。なおこの例はよく観察すると獣面が描かれています。)

2021.11.12記事「完形で出土した縄文中期土笛の観察

4 トリ形動物土製品の意味

4-1 造形

頭、胴体、手(羽)、足が観察できるので動物が造形されていることは間違いないところです。千歳市美々4遺跡出土物(レプリカ)を参考にするならば、頭はトリ(ガンカモ)で、足も水かきのあるトリで、足の様子から飛翔しています。しかし、羽のかわりに指のある短い手が付いています。このような動物は実在しません。従って、この動物はトリをモデルとした想像上の動物であると考えます。

中国新石器時代に想像上の動物(龍)が考古遺跡で貝殻絵画で出土しているので、原始時代に想像上の動物(実在しない動物)が人々の共通観念として存在していたことは否定できません。


貝殻モザイクの龍虎  仰韶文化(前5000~前3000年)後期の河南省西水坡四五号墓(和田晴吾著「古墳と埴輪」(岩波新書)から引用)

トリをモデルとしたこの想像上の動物は特定の名前を持ち、特定の神話の中で語られていたと想像します。半人半獣神話と関わるのかもしれません。

4-2 儀礼上の意義(想像)

トリをモデルとした想像上の動物が死者の魂をあの世に運ぶ神話があったと想像します。死者の魂が肉体から抜け出した後、この想像動物に運ばれて(導かれて)あの世に到達するという観念(神話)があったと想像します。


千歳市美々4遺跡出土動物形土製品と土偶を同時に観覧した時に描いた想像図

2024.07.16記事「動物形土製品レプリカ(千歳市美々4遺跡)観察記録3Dモデル

4-3 儀礼道具

神話を題材にした造形で土笛をつくり、葬送儀礼でその土笛で音楽を奏で、死者の魂をあの世に送ったのだと考えます。トリ形動物土製品は葬送儀礼道具(楽器)です。

5 伝加曽利貝塚出土動物形土製品に手(翼)が2つある意味

伝加曽利貝塚出土動物形土製品には手(翼)が片側2つあります。両側で4つありますから、解剖学的に非合理的です。この非合理は次のように考えます。

この土笛を持ちやすくするために手(翼)をわざと片側2つにしたのだと考えます。2つの手(翼)の間に親指と中指を入れると、とても持ちやすくなり、小指で下の孔を半分塞いだり離したりしてメロディーを奏でることがとても容易になります。

想像上の動物であるから、解剖学的不合理はあまり気にならないのだと思います。現代人がキューピッドや天馬に目くじらをたてないようなノリで、手(羽)を増やして、土笛を持ちやすく、演奏しやすくしたのだと思います。

6 さらなる情報収集

伝加曽利貝塚出土動物形土製品が唐突に加曽利貝塚博物館企画展「縄文時代の土偶の顔」に展示された意味(背景)を知りたくなります。それも展示は会期途中からです。いつもはこのような時は加曽利貝塚博物館にメールで情報を求めたりします。しかし、web情報で、2024年8月31日開催博物館連携講座「造形の考古学-土偶と埴輪-」で、「縄文時代の動物形土製品」(飯島 史尊(千葉市教育委員会))という講演があります。まずはこの講演を聞いて、情報収集に務めることにします。台風10号で中止にならなければよいのですが。


2023年8月9日水曜日

TV番組「”整理整頓”それはヒトの本能なのか」感想

 Impressions of the TV program "Is it human instinct to keep things in order?"


On August 7th, I watched "Is it human instinct to keep things in order?" on BS4K. This show is always good at "delusion".

It was a program that introduced not only the image of spatially tidying up things, but also the abstract level of tidying up, such as tidying up of rules and tidying up of spiritual roots, as an archaeological phenomenon. I was very inspired and learned.


8月7日BS4Kで「”整理整頓”それはヒトの本能なのか」を視聴しました。このNHKBS番組「ヒューマンサイエンス40億年のたくらみ」はときどき見ますが、いつも、テーマを掘り下げ、既存定説にチャレンジするような自由奔放な「妄想」を得意とする、とても魅力的な番組です。

「”整理整頓”それはヒトの本能なのか」では考古学も触れられるということなので、楽しみにして視聴しました。

1 私が理解した考古学関連の整理整頓

1-1 整理整頓のしくみ

・人の脳のワーキングメモリは7±2だけしかない。その限られたメモリーで大量情報を処理できるのは、人は言葉(概念)で地物や抽象事象をグルーピングできることによる。整理整頓はこの仕組みに基づいて可能となる。


整理整頓

1-2 整理整頓は定住が始まってから生まれた

・旧石器時代の石器作成で生じた岩屑は清掃されていない。つまり整理整頓されていない。これは片づける必要が生じる前に移動したからだ。


整理整頓はまだ

・定住が始まると整理整頓が必要となり、モノを空間的に配置して、それで社会秩序を形成した。千葉の貝塚は廃棄貝殻を集落を囲んでドーナツ状に積み上げ、それが白く光り、景観や精神生活の秩序にかかわったかもしれない。一年中美味しい貝スープ鍋料理を食べられるという幸福のモニュメント・シンボルだったかもしれない。


整理整頓 白い貝塚

1-3 整理整頓は文明を加速させた

・貝の日輪分析から、1年中貝を採集している集落や特定季節だけ採集している集落の違いがわかり、漁場の時間的管理が地域全体で行われている様子が明らかになりつつある。これは漁場利用のルールが厳密になり、漁場から得られる富の分配が高度化している様子をしめしている。つまり漁場利用ルールという整理整頓が文明加速の原動力となっている。

・縄文時代に共同墓というものがある。千葉では異なる遠方から集まった集落最初時代の人々の埋葬を共同墓で行っている。これは異なるルーツの人々が共同墓埋葬で統合されて一つの集団の始祖になったことを表現していると考えられる。この例は、死後の概念を共有しつつ、生活世界の秩序を作るために実行された精神的な整理整頓であり、必要不可欠であったと考えられる。


整理整頓が絶対に必要

1-4 整理整頓は利益を最大化する手段として使われる

・整理整頓は利益を最大化する手段として使われるので、階級社会になれば王族や指導層の統治手段として整理整頓が行われる。

2 感想

・「モノを空間的に整理整頓する」というイメージだけではなく、ルールの整理整頓、精神的ルーツの整理整頓という抽象レベルの整理整頓が混在した番組だったので、テレビ視聴習慣が無くなった自分にはいささか難解な番組でした。ビデオをとっておいたので、見直して、ようやく番組全体像を理解しました。

・旧石器時代は廃棄物清掃なし、縄文時代は廃棄物置き場(貝塚)を作って整理整頓したという様子は理解できました。

・旧石器時代は狩猟採集の社会的ルールなし(あるいは虚弱)、縄文時代はルールによる整理整頓強化という番組内容になっていれば理解が進んだと思います。

・出自(ルーツ)についても旧石器時代とくらべて縄文時代は社会交流の中で精神的整理整頓が必要不可欠になっていたという説明があれば、より理解が深まったと思います。

・整理整頓という言葉は「〇〇を実現するために整理整頓する。」という文脈で使われるために存在しています。縄文時代の整理整頓の様子「貝塚の構造」「漁場管理ルール」「出自(ルーツ)の統合」を静的に知るだけではなく、「その整理整頓により実現しようとした事柄や背景」の理解学習を深めたいと考えます。

2023年6月12日月曜日

日本学術会議公開シンポ「最終氷期以降の日本列島の…」の聴講と感想

 Attending and Impressions of the Public Symposium of the Science Council of Japan “The Japanese Archipelago after the Last Glacial…”


I attended the Science Council of Japan Public Symposium "Climate/environmental changes in the Japanese archipelago and human response after the last ice age" (2023.06.11) via zoom. It was a very interesting talk, and I made a note of my impressions.

日本学術会議公開シンポジウム「最終氷期以降の日本列島の気候・環境変動と人類の応答」(2023.06.11)をzoomで聴講しました。とても興味深い話しばかりであり、その感想をメモしました。

1 シンポジウム概要


シンポジウム概要

Twitterでその開催を知り、聴講を応募し、2023.06.11にzoomで聴講しました。9先生からそれぞれ20分の話しがありました。webサイト(事務局島根大学)には説明趣旨及び9先生の講演資料が掲載されダウンロード出来るようになっています。

2 講演内容と感想

2-1 開会挨拶・説明趣旨 斎藤文紀(日本学術会議連携会員、島根大学エスチュアリー研究センター長・特任教授)


シンポジウムが対象とする12.9万年前以降(資料)

2-2 「過去15万年間の気候変動」 阿部彩子(日本学術会議連携会員、東京大学大気海洋研究所・教授)

地球の気候を変動させる日射量変化などの外的な力に基づく気候モデルと氷床力学モデルを組み合わせて、シミュレーションにより、更新世と完新世の氷期と間氷期の繰返しを再現した研究と理解しました。ヤンガードリアス期の存在を気候の自励的振動であると解釈する研究はとても興味深いものです。なぜヤンガードリアス期という寒冷イベントが存在したのか、常日頃疑問としていたことを理解できるかもしれないという糸口を見つけることができました。


退氷期中の気候変化のシミュレーション(講演資料)

2-3 「現生人類がたどってきた道」 海部陽介(日本学術会議連携会員、東京大学総合研究博物館・教授)

次の3点についての講演です。

・最終氷期前半のアジアの人類

・ホモ・サピエンス(=私たち)の進化

・ホモ・サピエンスのアジア進出

ブルーバックス「図解 人類の進化」(斎藤成也、海部陽介、他)という本を最近読んでいますので、講演の理解が深まり、興味も深まります。


10万年前頃の世界(講演資料)

2-4 「アイスエイジから現在までの海水準:ヒトは歩いて海峡を渡れたか?」 横山祐典(東京大学大気海洋研究所教授)

LGM(最終氷期最盛期)頃の海水準変動を検討していて、海峡が閉塞した日本海の表層塩分の低下や、11000年前の対馬暖流流入による東シナ海有機物流入など、ホットな最新情報の話しが興味深いものでした。


白熱するかつての海水準の議論(講演資料)

2-5 「最終氷期における日本周辺の海洋環境」 郭 新宇  (愛媛大学沿岸環境科学研究センター長・教授)

最終氷期の黒潮が琉球列島の内側に入り込んでいた様子をシミュレーションで明らかにした研究の紹介です。


現代と最終氷期の黒潮の様子(講演資料)

2-6 「年縞から見た「暴れる気候」と人間の歴史」 中川 毅  (立命館大学古気候学研究センター長・教授)

年縞分析から気候変動が激しい時期と穏やかな時期が弁別出来て、気候変動が激しい時期は人類の農業開始や定住にふさわしい時期でないことがわかり、それを「暴れる気候」と表現しています。これまでの温暖-寒冷弁別では農業開始や定住開始を説明できないとしています。

とても説得力ある説明で、腑に落ちる説明です。年縞分析という地道な作業の大成果だと感じました。このシンポジウムで私が最も面白かった講演です。


「おだやかな時代」の到来(講演資料)

2-7 「日本列島の現生人類文化の出現、定着、変化」 出穂雅実(東京都立大学人文社会学部・准教授)

上部旧石器時代の人類の拡散過程での日本列島の様子を詳しく説明しています。その後期に沿岸ルートでアメリカ大陸に進出した際、その本源地が北海道であったかもしれないという示唆は、私ははじめて聞いた話しで、とても興味を深めました。北東アジアという観点でみると上部旧石器時代後期では北海道が重要な地理的キーポイントであったということです。


研究の枠組みと意義(講演資料)

2-8 「古代ゲノムから見た日本列島の現生人類」 太田博樹(東京大学大学院理学系研究科・教授)

日本列島に進出した後期旧石器時代人のゲノムを伊川津縄文人(2500年前)ゲノムから推察して、ユーラシア南ルート人のゲノムであり、北回り人のゲノムはほとんど含まれていないことを結論として得た研究成果の話しです。とても興味深い話しです。


東ユーラシア大陸の人類集団史の概略(講演資料)

2-9 「樹木年輪から見た年から十年単位の気候変動」講演資料 中塚 武  (名古屋大学大学院環境学研究科・教授)

樹木年輪を用いた古気候復元とそれによる歴史事象解釈の講演です。古気候変動と歴史事象がぴたりと一致する様子はとても小気味いい話しです。昔は年輪幅を指標としていましたが、今は年輪酸素同位体比という指標を使います。この指標から数十年単位の降水量振幅変化を知ることができ、その様子と歴史事象がよく対応します。予想できない水害や冷害が頻発する時期になると生活・生産破壊が生まれ、難民が生まれ、人の移動が活発化し、それが集落数増、戦争増として記録されるとしています。

弥生~古墳時代まで遡って社会の様子をみるデータとして利用できるそうです。


作業仮説(講演資料)

2-10 「縄文・弥生社会の環境構築」 松本直子(岡山大学文学部教授)

縄文・弥生社会で人が環境に働きかけて環境を構築してきた様子を総合的に説明する話しでした。


縄文社会の環境構築(講演資料)

2-11 討論

討論はなく、講演者毎に質問に答えるコーナーとなりました。

アイヌは北回り人系のゲノムではないかという質問がありましたが、太田博樹先生の回答では今後の課題みたいな答えであり、すっきりせず、興味(疑問)が深まりました。

3 感想

どの講演も面白く、興味深いものばかりで、シンポジウムはアッという間に終わってしまいました。これらの中で、自分の学習参考として最も注目したのは次の講演です。

●「年縞から見た「暴れる気候」と人間の歴史」中川 毅

関連して次の講演も注目しました。

●「樹木年輪から見た年から十年単位の気候変動」中塚 武

次の講演は自分の知りたい事柄の情報が多く、特段に面白いものでした。

●「日本列島の現生人類文化の出現、定着、変化」出穂雅実

また、次の講演内容はシミュレーション研究の面白さや有用性がよく理解できて、強い刺激を受けました。

●「過去15万年間の気候変動」阿部彩子

いつか自分の学習活動でもシミュレーション分析のマネゴトを行い、楽しみたくなりました。


2020年1月4日土曜日

飯田市出土縄文土器の模様に関する感想

縄文土器学習 303

飯田市上郷考古博物館展示縄文土器のうち外面模様に興味をもった次の土器について感想をメモしました。

1 思考対象土器

深鉢形土器(飯田市大門町遺跡)上12 オルソグラフィック投影

2 感想

感想
口縁部が(観察できる範囲では)ほとんど無紋で1カ所だけ蛇体渦巻が立体的に装飾され、把手に連続しています。口縁部無紋は異様に感じます。
口縁部と胴部の間に蛇体の立体的隆帯が施され、波打っていて蛇を動的に表現している装飾であると考えます。
胴部の模様は他の模様と異質なaが中央に配置され、bを押しのけているような分布となっています。abcは相互に関連するいわば一つの大きな模様であると感じます。
dはいづれも2連模様から構成されている矩形区画文です。
eはよく見られる楕円区画文ですが、底部をぐるりと回っていて(ただし背後は観察不能)、あたかも口縁部の代わりに底部に施されたような感じを受けます。自分には珍しく感じます。
模様は全体として上下左右等のシンメトリーに乏しく、またaとbの関係が「押しのけた-押しのけられた」という動的関係が曲線で表現されています。
何らかの物語(活動、情動)を何らかの現場(空間、物体、肉体…)をイメージして表現しているものと想像します。

2019年9月18日水曜日

尖石縄文考古館観覧で生まれた感想

縄文土器学習 260

尖石縄文考古館観覧で生まれた感想のうち、千葉との対照に関するものをメモします。

千葉でよく見る縄文土器と、ここでみる縄文土器のデザインなどがかなり違いますが、その違いに関連した感想が次々と連続して生まれました。

以下の感想は千葉と長野の実物土器の対照分析ではありません。
千葉と長野の土器の違いを感じて生まれた一般論的感想です。
より正確に言えば、千葉の土器の特性をあぶり出す方法に関する感想です。
すべて知識虚弱の学習初心者の感想です。

1 千葉と長野の土器デザインの違いを知る方法
例えば縄文中期の地域社会盛期の千葉と長野の土器デザインの違いをある程度客観的に把握できる方法を知る必要があります。
問題
・展示施設の展示土器は珍品や美術的価値のあるものなどがメインで、展示土器から当時の平均的デザインを、特に一般素人は見つけることが困難。
・ある器種について、出土復元土器を全部並べて観察すれば「これが平均的デザインである」と定性的な直観を得ることができるに違いない。そのような平均的デザインの土器を知る方法を知りたい。(土器図鑑の挿図がそれであるかどうか?)

尖石縄文考古館展示風景

[以下、千葉の中期縄文土器は長野の中期縄文土器とくらべて「淡白」である、「装飾が少ない」という違いが本当にあると仮定した場合の感想]
2 千葉と長野の土器デザイン相違の理由
千葉と長野の土器デザインの違いは生業分野数の違いに起因しているのではないか。

千葉の生業…動物の狩猟、植物の採集、魚介類の獲得→より豊かな社会・より安定した社会
長野の生業…動物の狩猟、植物の採集→普通の豊かさの社会・普通の安定社会

千葉の生業にかかる時間・エネルギー…長時間・大
長野の生業にかかる時間・エネルギー…普通の時間・普通(魚介類の獲得の分だけ千葉より少ない。それが列島全体で普通である。)

千葉の社会組織性…強い(生業運営が高度である分、組織性を必要とする)
長野の社会組織性…普通(生業運営が普通である分、組織性も普通である)

千葉の土器作成にかける時間・エネルギー…時間をかけない(組織人による実務的作成、情念はあまり込めない)、エネルギーをあまりかけない
長野の土器作成にかける時間…普通の時間をかける(普通の縄文人による普通の作成、情念を込める)、エネルギーを惜しみなく投入する

千葉の深鉢デザインの役割…イボキサゴ汁によるうまみ成分で植物質食材を美味しく食べられるので、鍋(深鉢)デザインの役割が弱い(豪華な深鉢デザインでまずい食材をごまかす必要がない)。
長野の深鉢デザインの役割…うまみ成分(貝汁など海産物)がないので植物質食材がおいしくなく、それを鍋(深鉢)デザインの豪華さで補う必要がある。

尖石縄文考古館展示風景

3 千葉の加曽利EⅡ式頃(最盛期)とその前後の土器デザインの違いは2と類似している
(千葉だけの検討)
加曽利EⅡ式頃は社会の最盛期(人口急増期)で土器デザインは口縁部が平滑化して明らかに実利的・工業デザイン的になりました。その前後の時期は波状口縁や把手が付き縄文土器一般のデザインに近づきます。
狩猟・採集・漁労の3つの生業を組み合わせ、急増した人口を擁する高度な社会では組織性が発達し、土器作成もこなすべき多数作業の1つの実務作業になったと考えます。そこでは、情念の投影や過大な時間・エネルギーの投入は疎んじられたと考えられます。
人口急増期には集落の分村とそれに伴う各種縄張りの分割調整とか、生業地の新開発とか、衛生問題とか、環境破壊とか、交易ネットワークの再編成とか無数の社会問題が噴出したに違いありません。その新たな社会問題解決を意識すればするほど社会の在り方は組織的・実務的・生産効率的・技術開発的にならざるを得ません。そうした状況では土器づくりに情念を燃やすことは下火になると考えます。

尖石縄文考古館展示風景

4 千葉と長野の土器デザインの変異の程度の違い
千葉では土器作成が実務作業となり、大量生産され大量消費された。土器デザインに個人の情念がその場で直接投影されることは少なかった。(大量工業生産的)
長野では土器作成時に個人の情念が投影される割合が千葉より多かった。(一品手作り生産品的)
従って千葉のある集落から出る土器群のデザイン変異の幅より、長野のある集落から出る土器群のデザイン変異の幅の方が大きい。
この仮説が成り立つか?

尖石縄文考古館展示風景

5 同じ時間と人口を対象としたとき、千葉の方が長野より土器作成数が多い
千葉では廃用土器は定期的に土器塚や低地祭場(西根遺跡など)で祭祀的に破壊し堆積した例が発掘されています。きわめて多量の土器が出土します。
長野では多数土器出土例として「吹上パターン」などがあります。しかし土器数は限られたものです。
長野では千葉程には(同じ時間・人口で比較した時)土器がつくられなかったのではないかと想像します。
長野では情念を投影した土器がつくられ愛着があり丁寧に使われたに違いありません。千葉ではそれほどでもなかったと思います。逆に千葉では廃用土器を破壊する活動が重要であり、極端にいえば破壊する祭祀のために作られたとも想像します。
千葉より長野の方が土器作成数が少ないことを証明する方法を見つることがまず必要です。
もしこの想像が正しければ、長野が列島で普通であり、千葉が特異であるのだと思います。

2018年4月3日火曜日

土坑断面図kj法分析 中間感想

大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 18

1 最初のkj法結果
大膳野南貝塚後期集落の土坑全264基の断面図(土層メモ付平面断面図)をIllustrator画面にばら撒いてkj法により「似たもの同士」を集めて島を作ってみました。

kj法結果 似たもの同士の土坑の島
次のような島ができました。

土坑の島
2018.04.01記事「土坑断面図kj法分析 粗ごなし」では皿形タイプ、中間形タイプ、円筒形タイプ、深円筒形タイプ、ピット付属タイプという用語をつかったのですが、この用語では自分がイメージする似たもの同士分けに合わないような気がしますので皿タイプ、フライパンタイプ、鍋タイプ、タンブラータイプ、底部ピット付タイプに変えました。

各タイプの例を示すと次のようになります。

平底皿

平底フライパン

平底鍋

平底タンブラー

底部ピット付1

2 感想
ア 皿タイプについて
皿タイプはモノの貯蔵のためとは考え難いです。
現段階では埋葬やモガリに関係したものが多いと直観しますが、そのような直観に妥当性があるのかどうか、出土物や空間関係等の他情報を総合して検討を深めるつもりです。
2018.03.15記事「土坑墓」参照

イ フライパンタイプについて
くびれフライパン(オーバーハングフライパン)があり、それはモノの貯蔵に関連していると推測できるのでフライパンタイプのなかに貯蔵機能を備えたものがあることは確実です。フライパンタイプと鍋タイプ、タンブラータイプの貯蔵に関する何らかの差異がどのようなものであるのか知りたいと思います。

ウ 鍋タイプとタンブラータイプについて
鍋タイプもタンブラータイプも貯蔵機能が主な機能であると考えますが、2つの間には機能の違いがあると直観しますので、その機能の違いについて検討を深めます。

エ 底部ピット付タイプについて
底部ピット付タイプはピットが無い場合とは異なる機能がついていると考え、独立させました。
底部ピットの存在は次のような機能の存在を想起させます。
・ピットに地下水が逃げることによる底面乾燥(乾燥を必要とするモノの貯蔵)
・貯蔵物から染み出る水分の排水
・排泄物の溜(トイレ)
・ピットに貯まる水の汲み取り(井戸)

オ 底部ピット付多数について
底部ピット付多数3基のうち2基は貯蔵や発酵機能などのための屋根付土坑であったと考えています。
2018.03.14記事「小ピットのある土坑」参照

カ 区分のあいまいさ
皿タイプ、フライパンタイプ、鍋タイプ、タンブラータイプの間の形状は連続変化していて切れ目はありません。ですからその間に引いた境界は自分自身の直観と恣意そのものです。厳密さはまったくありません。
しかし、平べったいものから深いものまでを4段階に分けたこと自体に意味があると考えます。もしこのような区分に意味があると判れば、あとから統計的手法でいくらでも厳密な区分定義を行い、微調整することが可能です。

キ 土坑機能に関連する要因
kj法分析を行う中で次のような要因が土坑機能を推察する上で重要であると感じました。しかしkj法では多変数を同時に扱えないので、これらの要因を含めてより総合的な多変量解析が必要であると感じました。kj法はそのための入口にすぎないと感じました。
・斜面に立地する土坑
・土坑の規模
・特殊立体形状の土坑(左右非対称形など)
・漆喰貝層
・出土物
・連続分布、集中分布

ク これからの分析
このkj法をもう少し精緻化してから、それに基づいたGIS分析をおこない、皿タイプや底部ピット付タイプの利用目的に迫りたいと思います。さらに見込があれば分類のための多変量解析にチャレンジしたいと思います。



2017年11月5日日曜日

短期集中学習「奈良平安時代7開発集落の生業と消長」のおもしろさ

2017.10.12記事「短期集中学習 「奈良平安7開発集落の生業と消長」の開始」でスタートした学習が想像以上に面白いので、途中経過として自分が特段に興味を持った点をランダムメモしておきます。

1 鳴神山遺跡が大結馬牧であるという仮説がいわば「向こうからやってきて」生まれました。
千葉県公式歴史書(「千葉県の歴史」)の記述(大結馬牧船橋説)と真っ向から異なるので、興味がとても深いものになります。
機会が生れれば、その筋の専門家に教えを請い、大結馬牧印西説の蓋然性を高めたいと考えます。

2 過去検討をふりかえり反芻することにより、遺跡毎の特徴が鮮明に理解できるようになりました。
例えば鳴神山遺跡の漆は馬牛の皮を素材とし、隣の船尾白幡遺跡の漆は麻を素材とした乾漆であったこと。

3 古代遺跡GIS学習は鳴神山遺跡ではじめ船尾白幡遺跡、上谷遺跡で行いましたが、白幡前遺跡をはじめとする萱田遺跡群では本格GIS学習は行いませんでした。今からふりかえると鳴神山遺跡、船尾白幡遺跡、上谷遺跡より萱田遺跡群の方がよりドラマチックな考古事象があり、もしGIS学習をすればより大きな学習成果を得られそうです。いつの日か萱田遺跡群についてGISをツールにして学習再チャレンジしたいと思います。

4 下総国台地上の古代開発集落は蝦夷戦争後大発展して9世紀第3四半頃ピークを迎え10世紀初頭頃にはほとんど衰滅します。この10世紀初頭頃の台地上開発集落消滅の理由がいままで皆目見当が付きませんでした。
ところが、7遺跡学習をふりかえると、おぼろげながらその理由がわかるような気になってきました。
9世紀末頃から10世紀にかけて律令国家の統治が弱まったのですが、その統治弱体化(現場から見れば権力空白の生起)に開発集落現場(体制、人)が対応できなかったという「対応力」の欠如が開発集落消滅の主因であると直観できるようになりました。
同じ社会情勢の変化、環境の変化があっても、ある社会はそれに対応して困難を克服して発展します。別の社会はそれに対応できないで破滅します。
開発集落現場が現代人の感覚をもっていたなら律令国家の統治が弱まってもその困難を乗り越えて平将門独立国家のようなものを形成して発展したと考えますが、当時の開発集落現場には対応力がなく、現場構成員が地道な生業を捨て逆にことごとく自由な盗賊集団に変身してしまったということです。
同じ時代水田耕作する集落は破滅せず、逆に発展していますから、牧をはじめとする台地集落構成員と水田耕作を行う低地集落構成員の気風や文化が大きく異なっていたと推定します。台地集落には強制された時だけ組織活動を行える気風の人々が多かったということです。
台地開発集落の一斉消滅の主因についてその仮説をイメージできましたので、今後検討を深めたいと思います。

風景 

2017年4月7日金曜日

大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器姿

大膳野南貝塚前期後葉集落出土石器の姿を眺めてみて、思い浮かぶ感想をメモします。

大膳野南貝塚前期後葉集落出土石器の姿例1
スケッチは千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書より引用

大膳野南貝塚前期後葉集落出土石器の姿例1
スケッチは千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書より引用

参考 大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器製品種類別出土数

●追い込み猟の主役は弓矢
尖頭器は1つだけしか出土していませんから、狩の主役でなかったと考えてよさそうです。
狩の主役は石鏃であり、弓矢で獲物を捕らえていたことになります。
縄文時代早期の陥し穴から石鏃は全く出土していませんから、縄文時代早期の狩猟は陥し穴と誘導柵による罠猟と弓矢を使う追い込み猟の2つの狩から構成されていたと考えました。
同じく、縄文時代前期後葉集落の行う狩猟も誘導柵付陥し穴による罠猟と、弓矢を使う追い込み猟の2つの狩から構成されていたと考えます。
狩猟の場は集落から見て東の方向で日帰り行動圏(5㎞圏)であったと想像します。

●動物解体や皮なめしの主役スクレイパーなど
スクレイパーは動物の皮剥ぎ、皮のなめしなどに使われたと考えます。
石錐、石匙、クサビ形石器は動物の解体などに使われたと考えます。

●狩関係石器は使われた場所での出土ではないことの確認
これらの狩関係石器は出土した竪穴住居主人が死亡して、故人を送り、竪穴住居を廃絶する時に親族が慰霊のためのお供え物として土器などと一緒に持ち込んだものと考えます。
これらの石器の中に故人が使っていたものも含まれるかもしれませんが、そのような場合でも保管していた状態そのままで出土したのではなく、一旦持ち出され、親族がお供え物として置いたと考えます。

他のすべての石器も土器と同じように送り(慰霊)のお供え物であったと考えます。

●狩猟民であるとともに漁撈民でもあった
軽石製有頭浮子はこの集落住民が狩猟民であるとともに漁撈民でもあったことを物語っています。

●漁撈・植物採取調理関連石器が少ない理由
漁撈・植物採集調理加工関連石器が少ない理由については検討が必要であると考えます。
漁撈については石器の道具がそもそも少なく、石器の少なさが活動の弱さを表しているとは考えられないことを既に検討しました。
2017.04.06記事「大膳野南貝塚 前期後葉集落 石器組成」参照
もしかしたら、送りに木や竹製の漁撈道具を沢山お供え物として使っていたかもしれません。
植物採集調理加工関連石器が少ないことは、後の時代(中~後期)と比べて堅果等の植物食が盛んでなかったを、その程度は別にして、表していると考えます。

しかし、狩猟民としての心性が強く、故人の送り(慰霊)のお供え物として植物採集調理加工関連石器が選ばれることが少なかったというえり好みが表現されているかもしれません。
廃絶竪穴住居の覆土という祭祀跡から出土する石器組成は、その当時社会の石器組成とは異なるかもしれません。