2016年12月14日水曜日

メモ 古墳時代に終焉した集落の終焉理由

作業中の着想ですが、忘れないようにメモしておきます。

現在ブログ過去記事についてふりかえりを行っています。

その中で、古墳時代集落として上ノ台遺跡と内野第1遺跡の学習をふりかえりました。

上ノ台遺跡、内野第1遺跡ともに古墳時代に繁栄し、奈良時代以降には集落は継続していません。

そして奈良時代の幹線交通機能からふりかえると、結果的に外れた場所にある交通僻地です。

古墳時代までの地域開発では(集落立地では)幹線交通路の意義は小さく、奈良時代以降の地域開発では(集落立地では)幹線交通路の意義が極めて大きくなったという仮説を立てます。

奈良時代の計画的幹線交通路建設から外れた旧来の集落はその存在が不可能になり、反対に幹線交通路沿いの土地は新規開発地として大きな意義をもったと考えます。

奈良時代の計画的交通政策により規模の大きな地域再編成があったと理解します。

東海道水運支路機能により結果的に交通不便地に立地することになってしまった古墳時代集落

上ノ台遺跡は奈良時代に東海道水運支路の役割が重要になって、その場所から浮島牛牧を挟んで離れているために廃れ(捨てられ)たと考えます。

検見川台地上の集落(直道遺跡や居寒台遺跡)が東海道と東海道水運支路の結節機能を管理すべく新規開発されたため、上ノ台遺跡が有していた拠点機能の意義が完全に消滅したと考えます。

内野第1遺跡は古墳時代中期までの集落ですが、古墳時代後期には機能しだした東海道水運支路から外れていることにより衰亡したと想像します。

内野第1遺跡は典型的な交通僻地立地に起因する衰亡であると想像します。

古代下総における地域開発(集落消長)を考察するとき、東海道水運支路機能の意義検討が不可欠です。

2016年12月13日火曜日

上谷遺跡 覆土層タイプと焼却跡のクロス集計

上谷遺跡竪穴住居について覆土層タイプと焼却跡について把握してきましたので、そのクロス集計を行ってみました。

結果は次の通りです。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ別焼土・炭化材観察状況

この結果を%で示すと次のようになります。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層別焼土・炭化材観察の割合

これらのグラフから、あくまでも統計的な意味ですが、次のことが把握できます。

●自然堆積タイプ、自然堆積後人為堆積タイプの竪穴住居には焼土・炭化材が観察されるものが少ない。

自然堆積タイプとは「穴」として放置され、自然の成り行きで埋まっていった竪穴住居のことです。

そして、自然堆積タイプの数が竪穴住居のなかでは最も多くなっています。

この結果から、大半の竪穴住居は廃絶後木材の焼却行為はなく、「穴」のまま放置されたということがいえそうです。

●人為堆積タイプ、人為堆積後自然堆積タイプには焼土・炭化材が観察されるものが多い。

人為堆積タイプとは廃絶直後に「穴」を埋め立てたものです。

このタイプでは覆土層中から焼土や炭化材がしばしば観察されるということです。

竪穴住居廃絶後の「穴」を埋めるという積極的土木行為と、木材を焼却するという象徴的行為(おそらく祭祀)が結びついているということがよみ取れます。

人為堆積後自然堆積タイプとは「穴」を全て埋めつくすのではなく、半分程度埋め、その後は自然堆積に任せるタイプです。

このタイプでは床上に焼土や炭化材が観察されるものが多くなっています。

このタイプも竪穴住居廃絶後の「穴」を埋めるという積極的土木行為と、木材を焼却するという象徴的行為(おそらく祭祀)が結びついています。

覆土層タイプと焼却跡有無との間には統計的な相関があることがわかりました。

次以降の記事では竪穴住居を次のように類型区分して、それぞれの特性(遺物出土状況等)について検討をすすめたいと考えています。

竪穴住居の類型区分案
●自然堆積タイプ-焼却無し
●自然堆積タイプ-焼却有り
●人為堆積タイプ-焼却無し
●人為堆積タイプ-焼却有り
●人為堆積後自然堆積-焼却無し
●人為堆積後自然堆積-焼却有り
●自然堆積後人為堆積-焼却無し
●自然堆積後人為堆積-焼却有り
●覆土層記述欠

2016年12月12日月曜日

上谷遺跡 焼却跡の分布

上谷遺跡の発掘調査報告書では竪穴住居の覆土層記述に焼土や炭化木材の観察が含まれています。

この記述を基に床面直上における「不用材の焼却」とされる竪穴住居と、覆土層途中における焼却跡のある竪穴住居の2種を抽出し、その分布図を作成しました。

上谷遺跡 竪穴住居 床面における木材焼却跡の分布

この分布図から確実性のある情報を直接引き出すことは困難ですが、次のような感想をもちました。

感想 1

床面木材焼却跡は、「不用材の焼却」などではなく、竪穴住居廃絶時における家屋一部を利用して燃やす祭祀と考えます。

従って、床面木材焼却跡は廃絶家屋住人(故人、家族)が丁寧に扱われたのであり、社会階層が上位にあったと考えます。

床面木材焼却跡のある竪穴住居は、掘立柱建物密集域付近でその分布が粗であり、掘立柱建物密集域から離れた場所で密です。

掘立柱建物は養蚕小屋などであり、その密集域は仕事場ゾーンであったと考えます。

一方、掘立柱建物密集域から離れた場所はいわば住宅ゾーンであったと考えます。

仕事場ゾーンと住宅ゾーンにおける竪穴住居タイプの構成が違うと考えれば、上記床面木材焼却跡の粗密が説明できるかもしれません。

例えば、仕事場ゾーンには最上位クラスの少数の住人が住んでいて、住宅ゾーンには上位クラスの多数が住んでいるなど。

この感想がどの程度的確性があるかわかりませんが、床面木材焼却跡の情報からこれまで知られていない集落生活の様子を知ることができる可能性があります。

「不用材の焼却」で一件落着させるわけにはいきません。

感想 2

台地崖付近の竪穴住居はこれまでの検討で漆小屋など生業に直接かかわる施設であったと考えてきています。

その竪穴住居が完全なる仕事場であったのか、家族も住む住宅兼用であったのかはわかりません。

そのような仕事場機能を持つ竪穴住居には床面木材焼却跡はみられないようです。

床面木材焼却跡のある竪穴住居は、住宅機能が優越し、かつ社会階層上位の家族が住んでいて、そこが廃絶したことを示しているように感じます。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土途中における木材焼却の分布

覆土途中に木材焼却の跡がある竪穴住居は、廃絶後覆土層自然堆積があるという時間が存在し、その後焼却があったものです。

自然堆積層を掘って焼却したものもあります。

感想としては、床面における木材焼却と同じ意味(祭祀として物を燃やす)があると考えますが、なぜ廃絶直後に焼却がないのか気にかかります。

今後検討を深めたいと思います。

2016年12月10日土曜日

上谷遺跡 覆土層タイプの分布

2016.12.09記事「上谷遺跡 竪穴住居覆土層タイプの分類」で竪穴住居の覆土層タイプを分類しました。

覆土層タイプを軸に遺物、墨書土器、遺構の諸情報を分析すれば集落の特性が浮き彫りにできるのではないかと思案しています。

その第1歩として、各覆土層タイプの分布を把握してみました。

分布だけから結論的な情報が得られるわけではありませんが、まず分布を知ることが、今後の分析方法を決めていく上で重要であると考えます。

まず覆土層タイプの分布を考える土台としての情報として竪穴住居と掘立柱建物の分布を示します。

上谷遺跡 竪穴住居と掘立柱建物の分布

この分布図の上に自然堆積タイプをプロットしてみました。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ 自然堆積の分布

覆土層タイプの中では、自然堆積タイプの数が最も多く、基本となるタイプです。

現時点の見立てでは竪穴住居廃絶後祭祀がある時間(数十年?)行われた可能性が高い遺構です。

この分布概況を見ると、大局的に北端部で数が少なく、南西部で数が多くなる傾向を感じます。

竪穴住居全部を母数とした密度も同じように北端部で小さく、南西部で大きくのっているように感じます。

遺跡区域の中において、廃絶後祭祀が行われた(つまり故人に敬意を払った)竪穴住居跡が多い場所と少ない場所では、居住している家族の社会階層が違ってくる可能性があります。

このような思考がどの程度的確であるか、まだ判断できませんが、覆土層タイプの違いから、有益な情報を得られそうな予想をもつことは出来ます。

人為堆積タイプをプロットすると次のようになります。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ 人為堆積の分布

上に書いたように、現時点では人為堆積タイプ竪穴住居に、廃絶前に居住していた家族は集落の中での社会階層がワンランク低かったと想定しています。

この分布図と他の情報を重ね合わせて分析すると、有益な情報が得られると直観します。

自然堆積後人為堆積タイプと人為堆積後自然堆積タイプの分布を次に示します。

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ 自然堆積後人為堆積の分布

上谷遺跡 竪穴住居 覆土層タイプ 人為堆積後自然堆積の分布

それぞれ事情があって単純な自然堆積あるいは人為堆積にならなかったのだと思います。

なぜこのようなタイプが生まれるのか、検討を深めたいと思います。

同時に、分析を進める中で、覆土層4タイプ区分自体の的確性や、個別竪穴住居の区分当否についても検討することになるかもしれません。

2016年12月9日金曜日

上谷遺跡 竪穴住居覆土層タイプの分類

1 竪穴住居の覆土層タイプ

上谷遺跡の学習(検討)を進めてきて、竪穴住居の覆土層のタイプがいくつかあり、そのタイプの学習を含めることが遺物出土の意義を考える上で重要であると思い知らされてきています。

そこで、全6冊の発掘調査報告書をその観点から読み直し、竪穴住居覆土層タイプの分類をしてみました。

この記事ではタイプ分類を説明します。

覆土層タイプは次のように4つに分類しました。

竪穴住居覆土層タイプ区分のイメージ

自然堆積タイプは廃絶竪穴住居が当初「穴」であり、それがある程度の長時間をかけて徐々に埋まっていったと考えられるものです。

覆土層が色や材質で細かく区分され、「穴」が徐々に埋まっていく様子を層位線が表現しています。

人為堆積タイプは廃絶竪穴住居跡の「穴」を一気に埋め立てたものです。層位が細かく区分されません。

人為堆積後自然堆積タイプはある程度一気に埋め立て、その後その「穴」が放置され徐々に埋まっていった様子がわかるものです。

自然堆積後人為堆積タイプは、最初自然堆積が進んだけれど、ある時点でその「穴」が一気に埋め立てられたものです。

このタイプ区分の分布や遺物出土状況等との関係を今後検討してみることにします。

なお、現時点の大ざっぱな想定では、自然堆積の期間(つまり穴であった期間)、その空間は祭祀が行われていた場所であると考えています。

人為堆積タイプでは一気に埋め戻す時1回だけ祭祀があったと考えます。

人為堆積後自然堆積タイプでは、穴が埋められ、つまり区切りをつけてのですが、その後何らかの事情で祭祀が復活した場所であると考えます。

人為堆積の覆土を掘り返してその場所が自然堆積の場になっている竪穴住居跡がかなりあります。

自然堆積後人為堆積タイプは、祭祀を行っていた場所を何らかの理由で、「閉めた」のだと考えます。

祭祀空間であることを止めるために、「穴」を埋めたのだと考えます。

このような当初想定がどの程度当たっているか、今後詳しく検討します。

覆土層タイプ区分をカウントすると次のようになります。

上谷遺跡 竪穴住居覆土層タイプ

2 焼土・炭化材観察状況

覆土層タイプとともに、焼土・炭化材がどのように観察されているかという情報も竪穴住居跡における祭祀を考察するうえで重要なものとなります。

この情報も作成しました。

発掘調査報告書では全ての焼土・炭化材について「不用材の焼却」という表現を使っていますが、私は「不用材の焼却」説に大いに疑問を持っています。

覆土層タイプと合わせて、情報を詳しく分析すれば、それが「不用材の焼却」なのか、祭祀に関係するのか、判断するに参考となる情報を得ることができると期待しています。

この情報をカウントすると次のようになります。

上谷遺跡 竪穴住居の焼土・炭化材観察状況


覆土層タイプ、焼土・炭化材観察状況を使った分析を次の記事から行います。

2016年12月7日水曜日

過去6年間学習テーマのKJ法図解

趣味活動(ブログ活動)の過去6年間のふりかえりを行っていて、考古歴史、地名、地形、自然・風景、社会に関する学習テーマをこれまでに抽出しました。

学習テーマは57にのぼりました。

ブログ「花見川流域を歩く」6年間の学習テーマ

この学習テーマ相互の関係をKJ法で分析してみました。

結果は次のようになりました。

ブログ「花見川流域を歩く」6年間の学習テーマKJ法図解

自分の興味が次の4つに大分類されることがわかりました。

・台地地形
・地峡の考古歴史
・GISデータベース
・自然・風景

この中で、台地地形の中の「花見川河川争奪」と地峡の考古歴史の中の「花見川地峡」が密接不可分に関連していて、その関連を軸に趣味活動の興味が深まっていることを再確認できました。

考古歴史学習としての縄文時代の諸テーマ、古代の諸テーマ、近世(印旛沼堀割普請)、戦前のテーマ、現代のテーマは全て花見川地峡との関連で興味を深めているものばかりです。

GISデータベースに関する興味は千葉県全体を対象にしています。
GISデータベースをつかった検討(学習)はまだ本格展開していません。
今後GISデータベースの活用をすることによって、広域からみた花見川地峡の意義などの興味が深まるものと考えます。

自然・風景に関する興味も花見川河川争奪地形という舞台における興味となっています。
しかし、残念ながら地峡性を意識できるほど広域の観察・観賞をこれまではしていません。

今後学習を発展させるうえで、花見川地峡という特性を浮き彫りにすることがその価値を高めることができると確認できました。

2016年12月5日月曜日

上谷遺跡 遺物多出竪穴住居が集落の中心的存在である理由

上谷遺跡の主要墨書文字4つの主要出土遺構のうち「万」が多出するA078竪穴住居について、検討しました。

1 A078竪穴住居の位置

A078竪穴住居の位置

2 遺物分布

A078竪穴住居の遺物分布は次のように図化されていて、事実上情報がありません。

A078竪穴住居遺物分布図

一覧表にある67番までのうち3つだけが掲載されています。

それ以外の番号は一覧表にありません。

恐らく、情報量が多すぎて、一覧表を含めて遺物整理が頓挫してしまったままのようです。

報告書に掲載されている出土物イメージは次の通りです。

A078竪穴住居の出土物

……………………………………………………………………
●遺物に関する報告書記載

住居の規模に比例して遺物は多かったが、覆土一括資料として取り上げており、多くの遺物は分布図を提示するに至らなかった。

本住居跡の遺物は、基本的にA078aに伴うものである。

また、出土遺物は墨書土器が多く、破片を含めて38点に上っている。鉄器は鉄鏃3点と刀子3点、穂摘具と思われるものが1点出土している。なお、クルミが1点出土している。
……………………………………………………………………

3 報告書における所見とその検討

報告書所見にはつぎのような記述があり、この竪穴住居がⅡ地区の中心的存在の1軒であったことが述べられています。

……………………………………………………………………
●所見

本竪穴住居においては、墨書土器等が多く出土している。

墨書土器は土師器坏に記されたものがほとんどであるが、土師器皿と須恵器坏に線刻されたものも2点出土している。

住居規模や墨書土器の多さから、本住居はⅡ地区の竪穴住居の中心的存在の1軒であったかもしれない。
……………………………………………………………………

本住居が集落内の1ブロックにおいて中心的存在だった可能性に言及していることに注目します。

住居規模が大きいことと、さらに建て替えをしていることから、この住居が中心的存在であったことは推察できます。

同時にこの遺構で、墨書土器多出を中心的存在の理由に上げていることに注目します。

私はこのブログで、覆土層中の墨書土器や鉄器等はほとんど全て祭祀のお供え物であると考えています。

ですから、墨書土器等が多出する竪穴住居は当然集落内の有力家であり、当然中心的存在であったと考えています。

ところが、上谷遺跡の発掘調査報告書では覆土層中の遺物はすべて廃棄物(ゴミ)として想定されてきています。

他の遺物多出竪穴住居では、そこに廃棄物の穴があったと記述されるばかりです。

この遺構でだけ覆土層中の遺物が廃棄物(ゴミ)ではなく、廃絶前家族の社会的地位の高さを象徴するものとして扱われています。

おそらく、この竪穴住居で遺物の整理が最後まで行われ、遺物分布図がつくられ、覆土層の下層、中層、上層に満遍なく遺物が分布している様子が見える化したならば、他の遺構と同じく、遺物は廃棄物で穴に捨てられたと記述されたことでしょう。

遺物分布図が作られないので、報告書執筆時に、無意識的に墨書土器多出=中心的存在が記述されたものと推察します。

遺物整理が頓挫したこの遺構でだけで墨書土器多出=中心的存在を記述するのではなく、緻密な遺物整理を行った遺構でこそ、墨書土器多出=中心的存在の意義を詳細に検討していただければよかったと思います。

そうすれば、廃絶住居における祭祀の姿が浮き彫りになったと思います。


2016年12月4日日曜日

自然風景観察、社会学習 6年間のふりかえり

6年間の趣味活動(ブログ活動)のふりかえりを行っています。

2016.11.19記事「ブログ花見川流域を歩く 6年間のふりかえり」参照

この記事では自然風景観察、社会学習をふりかえります。

6年間の主な観察、学習テーマ(対象)をならべてみました。

自然・風景観察、社会学習の主なテーマ

自然・風景観察、社会学習のフィールドイメージ

●放水観察

大雨の際、大和田排水機場から放流される印旛沼の洪水は最大120m3秒です。

この放流が行われるとき、その様子を観察体験して、それを引き金にして花見川が果たしている役割等について考察しています。

参考 放水風景

●上ガス観察

花見川で上ガス現象が存在するというこのブログの報告が、社会的な意味での最初の発見(報告)になるようです。

農業用水の揚水に連動した現象のようです。

参考 上ガスメカニズム仮説

●自然観察

主に動物について観察したことをブログ記事に書いています。

これまで観察した主な動物の中にははノウサギ、ハクビシン、フクロウ、オオタカ、各種水鳥などが含まれています。

ドバト集団が次々に、波立つ花見川水面でホバリングしながら波頭の水を飲む珍しい行動(おそらく遊び)なども観察しました。

参考 フクロウ

●風景鑑賞

日々季節変化する花見川早朝風景を鑑賞し、その写真を撮ってブログに掲載しています。

2016年9月からブログ「花見川流域を歩く 自然・風景編」を設置しています。

●河川整備計画

花見川河川争奪という地学現象が花見川に存在していて、その特異な地形を利用して印旛沼堀割普請が行われました。

現代河川行政はそうした経緯を理解しないで、印旛沼堀割普請を単純な台地開削と理解して花見川を扱っています。

花見川のその扱い方(千葉県下全河川について唯一花見川だけを人工河川と定義する扱い方)に疑義があり、検討しました。

参考 花見川の区間別自然地理的出自

●トーチカ・鉄道連隊橋脚

トーチカの存在を確認し、現地調査結果を報告書にとりまとめ、公表しました。

2012.12.29記事「戦争遺跡予備調査報告書の公表」参照

参考 草刈後姿を現したトーチカ監視塔(下部)
メジャーの長さは1.5m
この台座の上に鉄骨の塔が立っていたと考えます。

●下志津演習場・習志野演習場

近衛師団管轄演習場規程附図を発見し、両演習場についての興味を深めました。

2012.04.01記事「資料紹介 近衛師団管轄演習場規程附図 その1」など多数

参考 近衛師団管轄演習場規程附図の表紙

2016年12月2日金曜日

地形学習 6年間のふりかえり

6年間の趣味活動(ブログ活動)のふりかえりを行っています。

2016.11.19記事「ブログ花見川流域を歩く 6年間のふりかえり」参照

この記事では地形学習をふりかえります。

6年間の主な学習テーマ(対象)を時間順にならべてみました。

だいたいですが、表の上が学習後半、下が学習前半です。

地形学習の主なテーマ

地形学習のフィールドイメージ

花見川を本格的に散歩し出して、すぐに河川争奪地形の存在に気が付きました。

その河川争奪地形検討がブログ「花見川流域を歩く」の最初のテーマです。

花見川に河川争奪地形を発見しましたが、その特異な地形があるために、その場所が縄文時代交通路となり、古代東海道水運支路が建設され、近世印旛沼堀割普請が行われ、現代は印旛沼放水路として利用されているのです。

花見川がそこまで重要性のある河川であるとは、最初は全く知りませんでした。

花見川河川争奪地形は利根川水系と東京湾水系を結節する重要ポイントであるとともに、同時に台地を区分する(裂く)線形でもあります。

近世の牧や近代の陸軍演習場が花見川を境に区分してつくられました。

また、敗戦濃厚になった時代には花見川西岸にトーチカが建設され、九十九里に上陸して東京に迫る米軍を阻止する防衛線を花見川が担っていたようです。

花見川河川争奪地形の理解は下総台地で展開した歴史理解に必須となる基礎知識です。

なお、花見川河川争奪地形をふくめて、下総台地の地形は褶曲変動の影響で形成されています。

褶曲変動地形として、台地成立直後に形成された浅い谷が化石谷として沢山残っていてますので、その形成プロセスなども学習してきました。

浅い谷の地形学習は考古歴史学習に大いに役立っています。

旧石器時代、縄文時代の人々は台地上の浅い谷を水場として利用していました。

浅い谷に水が溜まり、湖沼となった場所である長沼の縁には縄文時代の遺跡があり、戦後まで灌漑用水源として利用されていました。

……………………………………………………………………
参考までに2014.05.082記事「花見川河川争奪のまとめ」の内容を紹介します。

1 花見川筋の自然地形復元

花見川筋は江戸期印旛沼堀割普請及び戦後印旛沼開発で自然地形と水系が大幅に改変されました。
従って、開発前自然地形と水系を復元認識することが花見川河川争奪を考察するための必須前提条件です。

開発前自然地形と水系は古地図(小金牧野絵図、17世紀中葉作)及び現地調査から次のように復元できます。

図-1 東京湾水系と印旛沼水系の分水界

図-2 東京湾水系花見川と印旛沼水系河川の流域界

2 花見川河川争奪のまとめ

花見川河川争奪の検討結果を次の表と図にまとめました。

表-1 花見川河川争奪のまとめ

図-3 一般的河川争奪原理と花見川河川争奪原理の差異

表-2 新たな河川争奪タイプ(様式)の分類
静的河川争奪は鈴木隆介著「建設技術者のための地形図読図入門 第3巻段丘・丘陵・山地」(古今書院、2008)による。

図-4 花見川河川争奪の成因 2つの水系のV字谷の地理的位置関係

図-5 2つの水系のV字谷(頭方侵蝕)前線

図-6 花見川河川争奪の地形面モデル

図-7 花見川河川争奪が生起した年代

花見川河川争奪に関する検討はさらに詳しく検証したく、幾つかの具体的課題に取り組みたいと考えています。

2016年12月1日木曜日

上谷遺跡 遺物出土状況の紙上観察を楽しむ A209竪穴住居

上谷遺跡の主要墨書文字4つの主要出土遺構のうち「竹」が多出するA209竪穴住居について、遺物出土状況の紙上観察を楽しんでみました。

1 A209竪穴住居の位置

A209竪穴住居の位置

2 遺物分布図

A209竪穴住居の遺物分布図(報告書掲載データ)は次の通りです。

A209竪穴住居 遺物分布図(報告書掲載データ)

ただし、A209竪穴住居からは2900点の遺物が出土していて、この分布図は発掘担当者が着目した主要遺物のみを示しているものです。

ですから、以下の紙上観察・分析は発掘担当者が着目した主要遺物のみというフィルターを通った情報について行うものです。

上記図は番号と指示線が入り乱れていて図が錯綜し、また遺物種類もわからないので、不用な情報を消し、遺物種類を鉄製品、「竹」墨書土器、「竹」墨書土器以外の土器に色分けして図を作り直しました。

A209竪穴住居 遺物分布図 全遺物

分布の粗密をみると南西隅の密で、北側で粗になっているように見えます。

断面的には覆土層の下層から上層まで満遍なく分布しているように見えます。

A209竪穴住居 遺物分布図 鉄製品

平面的には遺構全体に散ばり、断面的にも下層から上層まで分布するようです。

A209竪穴住居 遺物分布図 「竹」墨書土器

遺構の中央から北東隅にかけて分布が空白にjなっています。

断面図は投影断面図であり、遺物分布が遺構の外縁部付近に多いことを考慮すると、床面上あるいは覆土層下層に多いように観察できます。

この事実から「竹」墨書土器はA209竪穴住居廃絶直後の短い期間だけ持ち込まれたと考えることができそうです。

A209竪穴住居 遺物分布図 「竹」墨書土器以外の土器

全遺物の分布とほぼ同じように観察できます。

次に、これらの遺物分布図をヒートマップにしてみました。

3 ヒートマップ

全出土物ヒートマップ

これまで観察してきた竪穴住居と比べると遺構中央部に分布する遺物が多くなっていますから、分布特性が異なります。

鉄製品ヒートマップ

遺構縁の近くだけでなく、そこから離れた遺構中央部にも集中域があります。

遺構廃絶直後だけでなく、時間をおいてその後覆土層の中上部にも鉄製品がもちこまれたようです。

「竹」墨書土器ヒートマップ

A209竪穴住居は上谷遺跡の代表的墨書文字の一つである竹が最も多数出土する遺構ですが、平面分布は局在するように観察できます。

遺構廃絶直後に「竹」墨書文字が持ち込まれたようです。

「「竹」墨書土器以外のヒートマップ

全出土物ヒートマップとほぼ同じ特性が観察できます。

4 接合できる土器片の分布

接合できる土器片の分布が判っていて、興味を引きますので、そのいくつかを色分けしてみました。

接合できた土器片の分布

26番土器(土師器甕、遺存1/2)を例に観察すると、平面的には、多くは局所に分布しますが、離れた場所にも散ばります。

断面的には、断面図が投影断面図であることを念頭に、覆土層区分図と対照させると、ある1時点の覆土層表面地形に散布されたように観察できます。

つまり、26番土器片はばらまかれたものであるとほぼ断定できます。

土器片がその後のかく乱によって覆土層の中を平面的、断面的に移動したものではないとほぼ断定できます。

26番土器片は1人の手でばらまかれたものです。

これは何を意味するでしょうか?

私の解釈は、壊れた土師器(遺存1/2)をA209竪穴住居に持ってきて、その場で打ち欠き、その破片をばらまいたと思います。

その行為はゴミの投棄ではなく、壊れたものであるとはいえ有価物を持ってきて、それをわざわざ壊して、お供え物にして、遺構居住故人を祀ったのだと考えます。

壊れた土器であるとはいえ、それを破片にまで壊すことによって、土器がもつ価値を故人に捧げるという、生贄をささげることに共通する心性が働いたと想像します。

何かの状況で生じたゴミとしての土器破片をこの遺構に捨てるとしたら、わざわざばらまかないで、足元にガラガラと捨てるだけです。

ばらまくという行為に大いに着目して、その行為の背景にある心性を想定することが大切です。

5 考察

A209竪穴住居について発掘調査報告書では次のように記述しています。

……………………………………………………………………
遺物

2900点余が出土した。

出土傾向は捉えられないが、土師器坏、須恵器甕が主体を占めていた。

また、墨書土器が21点、線刻が1点出土している。

「竹」が10点出土していた。

所見

極めて遺物の出土の多い遺構である。

住居跡は自然堆積による埋没であり、住居廃絶後は「穴」として残された遺構であった。

その中に破損した土器を中心として、廃棄場所として廃絶住宅を利用したような住居跡である。

そのために2900点に上る破片などの出土が認められたと、考えられた遺構である。

その遺構集中地区なのか、他地区からの廃棄かは第5分冊の整理をまって再検討したいが、本遺跡では人為投入土による竪穴住居跡の埋戻しの例が多いなか、意識的に廃棄場所として遺存させた遺構とも捉えたい。

(赤字は引用者)
……………………………………………………………………

廃棄場所ということですから、発掘調査報告書はこの竪穴住居をゴミ捨て場として捉えているとことになります。

しかしこれまでの検討で、このブログでは、この竪穴住居はゴミ捨て場ではなく、竪穴住居に居住していた有力家当主故人の祭祀の場所であったと考えます。

出土遺物は全てお供え物として、投げられた(あるいは置かれた、埋められた)ものであると想像します。