2015年4月21日火曜日

八千代市白幡前遺跡 古代寺院関連地名

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.115 八千代市白幡前遺跡 古代寺院関連地名

八千代市白幡前遺跡の古代寺院に関連する地名を検討してみました。

1 白幡前遺跡ゾーンと「八千代市小字図」の対応図作成

白幡前遺跡ゾーンを「八千代市小字図」(「八千代市の歴史 資料編 近代・現代Ⅲ 石造文化財」(八千代市発行)別添附録)の該当域にプロットしてみました。

白幡前遺跡ゾーンと「八千代市小字図」の対応

2 白幡前遺跡付近の古代寺院関連地名(想定)

白幡前遺跡付近の古代寺院関連地名(想定)

●堂ノ後
ゾーン2Aに古代寺院跡があるのですが、そのすぐ北隣の小字が「堂ノ後(どうのあと)」となっています。「堂の跡」つまり御堂の跡という意味だと思います。寺院の御堂が存在したこを伝える9世紀頃付けられた地名であると考えます。

●寺谷津
古代寺院跡のすぐ西の小谷津の地名が「寺谷津(てらやつ)」となっています。白幡前遺跡古代寺院に由来する地名と見て間違いないと思います。近くだから付けられた名前というより、古代寺院がその谷津を開拓したというより積極的な意味があるものと感じます。

●坊山
「坊山(ぼうやま)」は僧侶が開拓した山という意味だと思います。古代寺院が土地の開拓に関わっていた(主導していた)ことを物語る情報だと考えます。

●寺の台
図に※印をかいた小字は名称が欠落しています。
一方、千葉県地名大辞典(角川書店)附録小字一覧の八千代市大字萱田の項では次の順番で小字リストが掲載されています。
…戸田下、牛食下、志津根、寺の台、井戸向、弁天作…
このリストの順番から、名称欠落小字の名称は「寺の台(てらのだい)」であると考えて間違いないと思います。
名称欠落は「八千代市小字図」の単純ミスです。

つまり寺谷津対岸の井戸向遺跡に「寺の台」という地名があるのです。
その地名付近から小金銅仏や「寺坏」「佛」といった墨書土器が出土しています。

白幡前遺跡の古代寺院と小谷津を挟んで対岸に寺院施設があったことを地名が伝えているのだと思います。

地名から、古代寺院が地域に深く根を下ろした様が浮かびあがりました。

3 古代事象・地物等の関連地名(想定)

古代事象・地物等の関連地名(想定)

●白幡前
白幡の意味として、以前の記事で次のように検討しました。
「白(シラ)は新羅(シラ、シンラ)=白羅(シラ、シンラ)であり、意味としては新羅(シラギ)であり、幡(旗)は秦氏であると考えました。」(2015.02.08記事「古墳時代の鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏」参照)

「白幡前」の地名が白幡前遺跡2Aゾーン(寺院存在)、2Bゾーン(寺院を支える集団?)の場所に該当しますから、白幡前遺跡の寺院ひいてはそのスポンサーである集落全体の支配者の出自が渡来人系である可能性が推察できます。

●牛喰
古代「殺牛祭神」の儀礼がそのまま地名として残ったのだと思います。貴重な文化情報を伝える地名です。
「殺牛祭神」は渡来系の人々によって行われたので、白幡地名と整合します。

佐伯有清(1967)「牛と古代人の生活-近代につながる牛殺しの習俗-」(日本歴史新書、至文堂)では、「殺牛祭神」について詳しく論じていますが、その信仰を「牛を殺し、その肉を食べ、酒を飲み、多くの男女が会集して、賑やかに項羽神的怨霊神を祭ることこそ、その祭りの核心」であるとしています。また、2度にわたり禁止令がだされた(延暦10年(791)、延暦20年(801))ことなどが詳しく書かれています。

佐伯有清(1967)「牛と古代人の生活-近代につながる牛殺しの習俗-」(日本歴史新書、至文堂)

小字「牛喰」から八千代市の知られざる古代社会の扉を開けることが出来るかもしれません。

●志津根
志津は市津であり、古代の津(港湾、船着場)の存在を伝えていると考えます。

●木戸浦
木戸は柵と木戸がある防備を固めた施設、つまり重要な官施設が在ったことを伝えていると考えます。

●萱田
古代地名、墨書土器で「草田」が出土していて、カヤタと読むとされています。

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