2016.04.27記事「珍しいイスラム人面画を触媒とした人面墨書土器の意義再考察 その1」で、イスラム人面画の考察から、「政治・経済・文化の主要部から空間的に離れた辺境地では、文化面で独自の動きが発生する」という事象をヒントとして汲み取りました。
このヒントを素に、再度千葉県出土人面墨書土器の人面素性について検討します。
平城京では天然痘の大流行などがあり、天然痘などをもたらす疾病神や鬼を土器に描き(人面墨書土器)、それにご馳走を入れて川で流し、疾病などが住居から退散するように祈願していることを知りました。
2016.04.24記事「人面墨書土器の人面は人か鬼か?」参照
このような習俗が平城京から下総国や上総国に伝えられたことは確実です。
官人が平城京から多数やってきて、各地の新規開発地の指導をしていたからです。
また一般労働に従事する住民層も平城京から千葉にやってきていて、平城京の習俗が千葉に直接持ち込まれていると思います。
(船尾白幡遺跡から、墨書文字「門」が多数出土していて、氏族大生部が宮城十二門の壬生門の警備兵を交代で派遣していたことを想像しています。2016.03.16記事「船尾白幡遺跡の支配氏族 大生部」参照)
しかし、平城京と千葉は空間的にかけ離れています。
そして、一方は日本政治経済文化の中心であり、一方は新規開発が盛んにおこなわれている東国です。
平城京から見れば東国は辺境です。
平城京の習俗が千葉に持ち込まれたとしても、それが社会環境の違いから、イスラム人面画にみたように、変化、変質、変容することが大い有りると考えます。
このような観点から千葉出土の主要人面墨書土器について平城京との違いに着目して、個別に再検討して、分類してみました。
なお、この分類検討は想像力を使って行っています。想像力(あるいは空想力)を使うことにより自分の考えをある程度体系化することができます。
自分の考えを体系化すれば、さらにより深く物事を認識できるようになります。思考の中に含まれる誤りも発見しやすくなります。
一言でいえば学習を加速できます。
分類A 国玉神を描いた人面墨書土器
次の4、5は文字として国神奉、国玉神奉が書かれていることと、人面の絵の様子、及び竪穴住居内出土であることから、人面は国(玉)神であると考えます。
4
4の人面画は威厳が感じられ、かつ髯が1本線で顔の輪郭が無いなど抽象的であることから国神であると考えます。
5
5の人面画は一筆書的に描かれています。
デフォルメが激しく、空想的顔つまり神の顔を描いていると考えます。
5の顔つきを次のように解読しました。
5の解読 1
5の解読 2
5の解読 3
11は土器焼成前にヘラ書された人面画です。
11
スケッチの視線入射角が小さいので、正面から見れるように画像を調整して、さらに正立させてみました。
11(画像調整)
「へのへのもへじ」のような印象を受けます。
土器作成職人が神(国玉神?)に祈願するツールとしてこの人面ヘラ書土器を作ったものと想像します。
人面は神ですが、子供が「テルテル坊主」を作って天気が晴れることを祈願するのと同じような心境で土器をつくり、神の絵は「へのへのもへじ」のように書いてあればよかったのだと思います。
絵が写実的とか、芸術的とか、その質は考えていなかったと想像します。
自分の望むことを土器を使って祈願するという習俗は同じでも、平城京から伝わった習俗の特徴(疾病神、竪穴住居から遠ざけるために川で流す)が、千葉では国玉神、住宅に神を寄せるという具合に、大変容しています。
平城京では天然痘の大流行など、切羽詰まった社会環境があるのですが、千葉では疾病衛生環境という点では余裕があり、社会環境の違いが大きかったものと考えます。
平城京では、疾病による死の恐怖から逃れたいというマイナスに直面した際の祈願であり、千葉では寿命を伸ばしたいというプラス方向を向いた祈願であったと考えます。
次の6は仏(仏像頭部)を土器に書いて、仏に祈願したものとして考えました。福耳であることや目鼻口の様子が仏像的です。
6
この土器はいわば仏像の代替物であると考えます。
「分類A 国玉神を描いた人面墨書土器」の神が仏に変化してしまったものと想像します。
分類C 自画像を描いた人面墨書土器
1、2、3、8、9、10は祈願者が自画像を描いて、閻魔王の使いの鬼に自分本人であることを示しているのだと思います。
1
2
3
8
女性が描いた自画像で、省略を増やすことにより、想像で絵を補うような高度な手法を用いていると考えます。
自分の美貌(あるいはありのままの様子)が絵をかくことによって失われることを防いでいるものと考えます。
9
10
髷があることや絵のタッチなどから身分のある人物の自画像であると考えます。この人面が神や鬼であるとは思えません。
天然痘の大流行で死の恐怖に怯える平城京住民は、怖い鬼の絵を土器に描いて、それにご馳走を入れて、川に流して、死が遠ざかることを祈願したのですが、千葉の住民は、自分の顔を土器に描いて閻魔王の使いの鬼を自宅に招き入れ、賄賂を贈り、延命を祈願したのです。
社会環境の違いが祈願習俗の大幅な変容を招いていると考えます。
千葉住民の延命祈願の背景には切羽詰まった本当の祈願はなく、習俗が形骸化している様子を感じます。
分類D 立身出世ストーリー戯画を描いた人面墨書土器
7は人面が確かに書いてありますが、分類A~Cとは全く別系統の戯画土器であると考えます。
7
人面が4つ出てきて、その人面の様子が官人の立身出世の階梯を表現しているように読みとれます。
7の戯画ストーリー
7は官人が自分の未来の立身出世の階梯を戯画で描き、その実現を祈願したものと考えます。
夢の実現のために、その夢を言葉や絵で表現して、それをいつも眺めて気持ちをそれに集中させるという行為は、現代でも生活技術として一般的に行われています。
イスラム人面画と人面墨書土器とは絵として関連づけることはありませんでした。
しかし、イスラム人面画の思考(辺境空間では文化が変質する)が触媒の役割をして、人面墨書土器考察を深め、千葉県出土人面墨書土器を4つに分類することができました。
人面墨書土器の人面は人か鬼(神)か?というような、二者択一を迫るような質問は無意味であることが判りました。
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