2012年1月8日日曜日

浅い谷の正体

芦太川上流の浅い谷の正体を突き止めるために、横断方向のボーリングデータを比較してみました。

この附近の台地には東西に平行して走る二つの小崖があり、それを境にして地殻運動の傾向が異なる印象を受けています。芦太川の浅い谷はこの二つの小崖の間にあるので、比較するボーリングデータも同じ条件のものとします。

近くにボーリングデータがないので、約1㎞西の3地点のデータと比較してみました。

ボーリングデータの位置

ボーリングデータの比較
千葉県地質環境インフォメーションバンクの資料による。

A、B、Cは台地一般面を代表するボーリングデータと考えます。
3~7は浅い谷のボーリングデータです。

この図から、A、B、Cと3~7について、孔口標高、ローム層厚、粘土層厚、粘土層と砂層の境の標高のそれぞれの平均値を求めると次のようになります。


台地面と浅い谷を比較して私が気がついた特徴的なことは、次の通りです。
1 粘土層・砂層境の標高は台地一般面と浅い谷はほとんど同じであること。
このことから、浅い谷の基本形状は砂層浸食によらない可能性が濃厚です。

2 粘土層厚は浅い谷が1.3m薄いこと。
このことから、浅い谷は粘土層を浸食してできた可能性が濃厚です。

3 ローム層厚は浅い谷が2.4m薄いこと。
このことからローム層が2.4m積った地史時間においては、この浅い谷がアクティブであったと考えられます。つまり、浅い谷に積もった火山灰は流水により流されたと考えます。
浅い谷のアクティブさが失われてから、(谷の大きさに見合った流水が流れなくなってから)2.3mのローム層が台地一般面にも、浅い谷にも積もったと考えます。

浅い谷のアクティブさが失われた理由は、小崖より上流の流域が地殻変動により沈下し、芦太川の流域ではなくなったためだと考えます。

なお、浅い谷である理由は、粘土層を形成した時代の浸食基準面(海面)の緩やかな低下に従ってできた谷であるため、深い谷が形成できる条件が存在しなかったと考えます。
そして、浸食エネルギーは水平方向に働かざるを得ず、広く浅い谷になったものと想像します。

以上の考えに基づいて、台地面のボーリングデータと浅い谷のボーリングデータを繋げて、浅い谷と台地の関係を示す模式的地層断面を作成してみました。

想定模式地層断面

浅い谷の正体を次のように想像します。

1 この附近では砂層堆積から粘土層堆積に環境が変化し(海の陸化)、粘土層アが堆積した。

2 陸化が徐々に進む(浸食基準面が低下する)と粘土層アを浸食して河流による広く浅い谷が形成された。

3 その谷にも粘土の再堆積があった(粘土層イ)。あるいは上流から運ばれた砂層の再堆積もあった(砂層のレンズ)。

4 谷がアクティブであった期間に台地では2.4mの火山灰が積もった(ローム層ア)。

5 ある時期、地殻変動により、小崖1が形成され、それより上流の流域が沈下し、そこからの流水の供給が絶たれた。そのため、芦太川は空川になった。

6 その後の地史時間の中で台地にも、浅い谷にも火山灰が2.3m積もった(ローム層イ)。

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