2012年1月18日水曜日

仲東谷津と芦太川合流部の人文

仲東谷津と芦太川合流部付近は高津新田遺跡となっています。
千葉県教育委員会のWEB「ふさの国文化財ナビゲーション」によると次のような情報を得ることができました。

遺跡名:高津新田遺跡
所在地:八千代市八千代台南字不明2-4他
種別:包蔵地、集落跡、牧跡
時代:旧石器、縄文(早)、奈良
立地・現状:台地状・畑、山林、宅地
遺構・遺物:住居跡、空堀、土塁、野馬堀、溝・尖頭器、縄文土器、土師器、陶器、泥面子
文献:文36、38
備考:大請遺跡を含む、八千代台南遺跡と高津新田野馬堀遺跡を統合、s60、H2、4年調査、一部消滅

ふさの国文化財ナビゲーションの検索画面

高津新田遺跡について、「八千代市の歴史 通史編 上」(八千代市発行)には次の説明が載っています。(p121)
八千代台駅から約800mほど南の八千代台南二丁目周辺一帯は高津新田遺跡として知られているが、平成4年7月、遺跡の一部が宅地造成されることになり発掘調査が行われた。調査の結果、市内で最古となる竪穴式住居跡が発見された。
住居の規模は、長径4.2m、短径4.0mのやや変形した四角形で、壁際にそって多数の小柱穴がめぐらされているほか、中央部には屋根を支える支柱穴が数か所あり、建築面積は約16平方mである。
また、夏島式土器や稲荷台式土器のほか、同時期を考えられる有舌尖頭器1点、石鏃5点、石片などが出土している。


私が円錐体地形と呼んだ仲東谷津の水流が形成した一種の河岸段丘は、南東向きの緩斜面で日当たりがよく高燥であり、かつ仲東谷津や芦太川の水場に近く、旧石器時代、縄文時代から恰好の居住場所として利用されてきたことが、上記情報から判ります。

なお、牧跡(高津新田野馬堀遺跡)は円錐体地形ではなく、仲東谷津の南側の台地にあります。(文36「千葉県八千代市市内発掘調査報告平成2年度」、文38「千葉県八千代市市内発掘調査報告平成4年度」)
近世になっても、二つの浅い谷が合流し、そこが谷頭浸食部となっているというこの附近の地形要衝としての特性が、牧境として利用されてきたことが判ります。(2012.1.2記事「谷中分水界と野馬除土手」参照)

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