2013年4月7日日曜日

柏井橋近くの梵天(ぼんでん)


柏井橋近くの有名な旧家の屋敷周りの路傍と花見川に、今年も春のお彼岸前に五色の梵天(ぼんでん 御幣の大きなもの)が建てられました。

柏井橋付近路傍の梵天

柏井橋付近路傍の梵天

柏井橋付近路傍の梵天

梵天頭部の拡大

梵天は神霊の依代です。旧家(あるいは旧家を頭屋とするコミュニティ)に伝わるお彼岸の行事として建てられたものだと思います。

お彼岸以降何べんもの強風が吹き、五色の紙垂も大半が吹き飛ばされたものもありますが、色が鮮やかでまだよく目立ちます。

柏井橋下花見川の梵天の紙垂は白い紙で、路傍の梵天とは趣が異なり、神霊の依代としての意味が五色の紙垂のものとは少し異なるのだと思います。

柏井橋下花見川河川敷の梵天

川(花見川)を通ってやってくる神霊に特別の意味があるのだと思います。

機会があればこの旧家の方に梵天に関わる話を聞きたいと思っています。


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参考 ぼんでん 柳田國男監修 民俗学辞典(東京堂出版)

普通に梵天と書き、大きな御幣のこと。東北地方に盛んに用いられるが、大きな幣串に厚い和紙をとりつけたこの形式は、御幣の古態として珍しからぬものである。祭礼に際して、頭屋の標示に、御神幸の折の稚児のかつぎ物に、あるいは神事相撲の優勝者の表彰などに用いられる。このものが本来はミテグラとして神霊の憑依体であったのであるからこれらの機能はごく当然のことである。ボンデンという語は恐らくホデから来ており、ホデは目立つものの義であり、東北で蒔・草などの採取にあたり占有標の棒をいい、関東で小神の座をワラホウデンというのもそれである。神名に大宝天王というのが全国的にあるが、幣を神体としてあがめたことによるものであろう。[参]折口信夫「髯籠の話」(古代研究所収、昭4)

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追記(2013.04.08)

今朝散歩をしていると、国道16号近くの下横戸共同墓地脇に梵天を見つけました。五色の紙垂など形式は柏井橋近くのものと同じです。おそらく同じシリーズ物だと思います。屋敷周りだけでなく離れた場所にもあるので、もしかしたらもっとあるのかもしれません。

下横戸共同墓地脇にある梵天

なお、下横戸共同墓地には天保期印旛沼堀割普請で庄内からやってきて労働に従事し病死した農民の墓(「荘内大服部村百姓仁兵衛墓」)があります。(2011.2.8記事「花見川上流紀行22普請の苦労を偲ぶ」参照)

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今朝の散歩で梵天を見つけましたが、情報発信すると(ブログ記事を書くと)、情報が私の方に向かって集まってくるという現象を実感しました。


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3 件のコメント:

  1. 海老川乱歩です。

     小生も、小学生の頃からここを通る度に、大きな家だなぁと思っていました。
    いやらしい話、ここの方は何の仕事をしているのか、
    この近辺を耕して豪農になったのかとか、いやいや建設会社の社長さんかなぁとか
    いろいろ想像してしまいます。
    (東金街道を車で走っていると立派な門構えの農家のような家が何軒かありますね)
    あまりにも大きな敷地なので、何か地元の古い(江戸時代)歴史を知っていそうだとか、
    戦争遺跡の事も知っていそうだとか、勝手に想像が膨らんでしまいます。

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  2. 海老川乱歩さん

    こんにちわ

    この旧家はもともと北柏井村の名主であった川口家であり、嘉永5年以降は小金牧の牧士(もくし)を勤めた家柄です。普通の名主以上で乗馬、苗字、帯刀を許された豪農といってよいと思います。いまでも広大な土地の地主さんです。印旛沼堀割普請関連の古文書なども多数伝えてきています。
    2012.5.5記事「鷹の台カンツリー倶楽部内古墳の見学」にも関連情報を書きました。

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  3. 海老川乱歩です。

    あぁ~川口さんですか。川口さんなら名前は知ってますよ。

    昔、花一中の正門の前に、花一中生には超有名な「川口文房具店」がありました。
    (今現在は、お店は無いみたいですね)

    その近辺の大地主さんだと聞いた事があります。

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