シリーズ 花見川地峡の利用・開発史
第1部 縄文弥生時代の交通 その7
1 寄り道をすることにする
「縄文弥生時代の交通」の検討に使うために、「ふさの国文化財ナビゲーション」(千葉県教育委員会)から種別埋蔵文化財情報をダウンロードし、そのファイルの中から検討区域の市町村情報だけを抜き出す作業を繰り返していました。検討作業の下ごしらえをしていたのです。
作業をする中で、必然的に千葉県全体の情報にふれることになります。
ふと気がつくと、面積の広狭とは関係なく文化財のとても多い自治体とそうでない自治体があることに気がつきました。
もし単位面積あたりの埋蔵文化財件数を算出すれば、つまり埋蔵文化財密度を算出すれば、それはその場所の「歴史の濃さ」、「歴史濃度」、「歴史密度」といったものをイメージできるのではないだろうかと発想しました。
そこで、せっかく入手した電子ファイルが手元にあり、それから広域的な情報が汲み取れそうなので、「東京湾と香取の海の交通」というメインテーマに入る前に寄り道をして千葉県全体を俯瞰して「歴史濃度」を検討してみることにしました。
自分自身が千葉県全体の埋蔵文化財に関する何らかのイメージを持つことができれば、メインテーマ検討に際しても役立つことになると思います。
寄り道をするなかで、また別の寄り道をするということを繰り返して、いつの間にか迷子になるということがないように気をつけます。
2 埋蔵文化財総数密度の算出と分布図作成
「ふさの国文化財ナビゲーション」(千葉県教育委員会)からダウンロードした全県の埋蔵文化財リストについて、書式不備等の部分について最低限の調整をしてから、市区町村別埋蔵文化財件数をカウントしました。
千葉県全体の埋蔵文化財箇所数は19905箇所で、1000箇所以上ある自治体は市原市2632箇所、千葉市1320箇所、君津市1265箇所、成田市1184箇所、香取市1014箇所、袖ケ浦市1003箇所でした。少ない方は浦安市1箇所、九十九里町12箇所、長生村22箇所、御宿町27箇所、白子町28箇所などとなっています。
埋蔵文化財19905箇所を千葉県面積5156.62km2で割ると平均埋蔵文化財密度3.9箇所/km2が算出されます。
そこで密度情報を単純化してわかりやすくするために、平均値の値とその倍数を使って、次のような分級をして分布図を作成しました。
●埋蔵文化財密度の分級
分級A 7.8~ 箇所/km2
分級B 3.9~7.7 箇所/km2
分級C ~3.8 箇所/km2
なお、千葉市の情報は区別に示しています。
市区町村別埋蔵文化財密度
この埋蔵文化材密度図と対比させる目的で参考図として現代人口密度をつくりました。
参考 市区町村別人口密度図
人口密度の分級は、平均値とその倍数を使っています。
3 埋蔵文化財密度図からイメージできること
千葉県の歴史について知識の乏しい私にとって、この分布図から「そうだったのか」というイメージがいくつも浮かんできます。
・袖ヶ浦市、佐倉市、神崎町の埋蔵文化財分布密度が高く(分級A)、この付近3箇所の周辺がついで密度が高く(分級B)なっています。これを、現在の人口密度図と比較すると、埋蔵文化財密度の高い場所は現代人口密度の高い場所と一致ません。従って、埋蔵文化財密度の高い場所は開発との関係で高いのではなく、本来の実態として高いことがわかります。つまり、この埋蔵文化財密度図は過去において土地に刻まれた全歴史の濃さを表現しているとみて差し支えないと思います。
・この埋蔵文化財密度は全ての時代の情報を一括して表現していますから、各時代ごとの情報で密度図を作成すると、時代ごとの特徴が出てくる可能性があります。
・袖ヶ浦市の周辺の市原市、君津市は山林の面積が大きく、もしいくつかの区画別に集計するといまより密度が高い分級の場所が出てくると思います。君津市、袖ケ浦市、木更津市、君津市の一帯は東京湾との関係で歴史が濃い場所であったと考えます。
・佐倉市を中心としてその周辺の千葉市緑区、千葉市若葉区、四街道市、千葉市花見川区、八千代市、印西市、酒々井町、富里市、芝山町、成田市などの密度が高くなっています。この一帯は印旛沼水系(香取の海)との関係で歴史が濃い場所であったと考えます。
・自治体という大きなくくりにもかかわらず、佐倉市-八千代市-千葉市花見川区という歴史の濃い場所(ルート)の存在、佐倉市-四街道市-千葉市若葉区という歴史の濃い場所(ルート)の存在が見えます。何れも印旛沼と東京湾を結ぶルートです。そのルートが歴史の濃い場所であるということです。
・松戸市、市川市、船橋市、習志野市などは埋蔵文化財密度が低く、東京湾と印旛沼(あるいは手賀沼)を結ぶ要衝であったという意味での歴史の濃さはみられません。
・神崎町周辺の香取市、成田市から西へ栄町、我孫子市、柏市、流山市と密度の高い場所が続いています。利根川(流海)との関係で歴史が濃い場所であったと考えます。この連担は利根川と東京湾方面をつないでいることも特徴です。
これらのイメージが結果として実証されていくようなものであるのか、ピンボケであり捨て去るべきものであるかはとりあえず別として、何はともあれ自分の歴史認識を豊かにして、興味をますます深めるきっかけとなったことは確実です。
なお、市区町村単位集計でこれだけの情報を得ることができるのですから、自治体内のブロック(旧市町村や大字)程度別に集計できればより的確な情報となります。
さらに1件ごとの情報には住所が記載されていますから、全箇所情報について住所情報からGISに概略位置を機械的に一括プロットできれば(メッシュ表示などができれば)、大変有用な情報になることが判りました。
次の記事から時代別密度について検討したいと思います。
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