2015年7月17日金曜日

萱田遺跡群の主な墨書土器文字

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.170 萱田遺跡群の主な墨書土器文字

萱田遺跡群の主な墨書土器文字をふりかえってみました。

4つの遺跡毎に史料10点以上が出土する文字をピックアップしてみました。

次の表は10点以上出土文字史料の全墨書土器史料に対する割合です。

10点以上出土文字史料の全墨書土器史料に対する割合 表
千葉県墨書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から集計

この割合をグラフにすると次のようになります。

10点以上出土文字史料の全墨書土器史料に対する割合 グラフ

白幡前遺跡56.0%、権現後遺跡48.1%と高く、井戸向遺跡34.4%、北海道遺跡28.9%と低いことがわかります。

この%の高低はその遺跡における組織活動の強弱を示していると考えられます。

官人を中心とした組織活動とは、ゾーンという小空間に対応した小集団の活動です。この活動が活発であれば、墨書土器の文字も組織活動に因む文字が小集団の中で流行って、特定の文字が多くなります。

白幡前遺跡、権現後遺跡は小集団による組織活動が活発で、小集団特有の特定文字が多数出てくるために、%が高くなります。

井戸向遺跡、北海道遺跡は相対的に小集団による組織活動が弱く、小集団特有の特定文字が少ないため、%が低くなっていると考えます。

北海道遺跡は全体が農業開発集落、井戸向遺跡も西半は農業開発集落であるために、このような結果になったと考えます。

次の表は史料10点以上出土した墨書土器文字の一覧です。

史料10点以上出土した墨書土器文字

白幡前遺跡はゾーン毎に特定ミッションを持った小集団がその居を構えていて、小集団ごとに特徴的な文字が出土します。

最多出文字は「生」を含む文字であり、一般将兵の祈願語であると考えられ、生きぬくことで将来を展望するという、武人として極めて前向きな祈願になっています。

「生」は白幡前遺跡と権現後遺跡で最多出文字となっていて、権現後遺跡が白幡前遺跡から派遣された部隊によって開発されたことが判ります。権現後遺跡(土器生産団地)は白幡前遺跡という軍事基地に勤務する将兵によって新規開発されたのです。

白幡前遺跡の「大の下に一」(大一[タイイツ])と権現後遺跡の「罡」は陰陽師関連の祈願語であると考えます。
蝦夷戦争下の戦勝祈願に陰陽師が大きな役割を果たしていたことがしのばれます。
陰陽寮の出先機関が白幡前遺跡に存在していたと想定しています。

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