2015年7月21日火曜日

萱田遺跡群付近の開発前地形が判る地図

萱田遺跡群付近の開発前地形が判る地図の利用が可能となり、検討の視野を拡げることが可能になりましたので報告します。

八千代市都市整備部都市計画課に測量成果の複製承認の手続きを行い、昭和30年代末頃測量の八千代市都市計画基本図(1/3000)を入手することができました。八千代市のご好意に感謝します。

旧版八千代市都市計画基本図の例

この旧版八千代市都市計画基本図を編集して萱田遺跡群付近検討の基図を作成しました。

旧版八千代市都市計画基本図を基図とした地図(萱田遺跡群の位置)

開発前の地形が手に取る様にわかる資料です。

白幡前遺跡付近を拡大すると次のようになります。

旧版八千代市都市計画基本図を基図とした地図の拡大図(白幡前遺跡付近)

情報が精細ですから、思考が刺激されます。

発掘された遺跡と平戸川谷津の間の土地(1Aゾーン・1Bゾーンよりさらに一段低い河岸段丘、その付近の小字は古代奇習「殺牛祭神」を連想させる牛喰(!!!))にどのような遺構・遺物が有り得るのか(どのような歴史が刻まれているのか)、否が応でも興味が深まります。

この精細な地図を入手できたので、発掘された遺跡だけで全てを考えるのではなく、その東の土地の古代の状況を想像して、遺跡の情報と東の土地の想像結果を含めて、より広い視野からこの場所の古代社会について考察することができるようになります。

この付近の開発前地形は次の旧版2.5万分の1地形図(大正10年測量)からも知ることができます。

旧版2.5万分の1地形図(大正10年測量)「習志野」図幅の一部

しかし、この旧版2.5万分の1地形図に遺跡ゾーンをプロットすると地形とかなり食い違ってしまい、地形の形状が正確ではないことに気が付かされました。大ざっぱな地形の様子を知ることはできますが、自分が知りたい古代社会の集落・施設・土地利用に関わるような微地形を知ることはできません。

こうしたことから、精細情報である旧版八千代市都市計画基本図を利用できるようになったことは、自分にとって画期的です。

なお、現代の標準地図からは開発前地形を全く読み取ることができません。

現代標準地図
地理院地図から引用

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