花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.160 八千代市権現後遺跡の墨書土器出土状況
八千代市権現後遺跡の墨書土器の検討に入ります。
白幡前遺跡、井戸向遺跡、北海道遺跡と同レベルで検討して比較するために、墨書土器対竪穴住居出土率(S)の把握、分級、分布について検討しました。
次に遺跡ゾーン別の出土墨書土器数、竪穴住居跡数、墨書土器対竪穴住居出土率(S)(墨書土器数/竪穴住居跡数)とその分級を一覧表にしました。
墨書土器対竪穴住居出土率(S)の値、分級基準
墨書土器出土数の値はwebサイト明治大学日本古代学研究所で公表している千葉県墨書土器データベースファイルを用いて算出しました。
墨書土器は官人が一般人を動員する組織活動に際して生まれた風習であると考えます。
文字というものが一般人の目の前に現れた最初の時代であり、文字の威力・魔力を使うことによって効果的な一般人動員が行われ、その際に個人用祈願ツールとして墨書土器が普及したと考えます。
従って、墨書土器が出土するということは文字(漢字)の威力(魔力)を実感している人々…官人に動員組織されプロジェクトに参加している人々がそこに存在していたことを示していると考えます。
また、場合によっては、墨書土器が組織による配給や給食の文字通りの受け皿として使われたのかもしれません。
墨書土器の存在は一般人の識字率の指標として使うこともでき、また生活の組織活動性、集団活動性の質の高さ指標としても使うことができると考えています。
墨書土器はあくまでも官が直接組織したプロジェクトの産物と考えます。
在来一般農民、奴婢、俘囚など単純な肉体労働だけを期待される人は墨書土器とはあまり縁が無かったと考えます。
墨書土器を使った人は官人とその直接配下にいる、いわばホワイトカラー層であったと考えます。
竪穴住居数は人口数に比例すると考えられますから、墨書土器対竪穴住居出土率(S)が高いことは人口あたり墨書土器数が多いことになり、それは組織活動が活発であったことを示していると考えます。
このような観点から、上記Sの分級は次のようなイメージでとらえることができます。
分級a…………………分級b…………………分級c
組織活動活発イメージ←→組織活動虚弱イメージ
この分級を地図で示すと次のようになります。
権現後遺跡のゾーン別墨書土器対竪穴住居出土率(S)分級図
参考 北海道遺跡のゾーン別墨書土器対竪穴住居出土率(S)分級図
参考 白幡前遺跡、井戸向遺跡のゾーン別墨書土器対竪穴住居出土率(S)分級図
権現後遺跡ではⅡゾーンが分級aで、他のゾーンは全て分級bです。
北海道遺跡と較べると、権現後遺跡は官人の組織活動が強かったことがわかります。出土銙帯数が北海道遺跡より多いことと対応します。
権現後遺跡では全てのゾーンで官人による組織活動が行われたと考えます。
白幡前遺跡を本社、井戸向遺跡は本社の別建物、北海道遺跡と権現後遺跡は支社であると例えたことがありますが、支社としては権現後遺跡の方が北海道遺跡より上位の組織であったようです。
次の検討でTとSのクロス検討を行います。
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