2023年12月2日土曜日

大膳野南貝塚後期集落の盛衰と漆喰

 The rise and fall of the late Daizenno Minami Shell Mound settlement and its stuccorwork


The rise and fall of the late Daizenno Minami Shell Mound settlement and its relationship with stucco.

I organized QGIS into tools by time period. It started out as a non-fishing village in the Kasori E IV period, developed greatly as a fishing village in the Horinouchi I period, and ended as a non-fishing village in the Kasori B2 period.


大膳野南貝塚後期集落の盛衰と漆喰との関係をQGISをツールに時期別に整理しました。加曽利EⅣ式期に非漁労集落として出発して、堀之内1式期に漁労集落として大発展し、加曽利B2式期には非漁労集落として終焉します。

1 時期別竪穴住居・土坑からみた大膳野南貝塚中期末~後期集落の盛衰

1-1 加曽利EⅣ式、加曽利E式Ⅳ式~称名寺式


加曽利EⅣ式、加曽利E式Ⅳ式~称名寺式

加曽利EⅣ式期、加曽利E式Ⅳ式~称名寺式期の竪穴住居から漆喰炉や漆喰貼床は検出されていません。貝層が検出される土坑があるので、漁労が全く行われていなかったとは言えませんが、漁労が生業の中でメインでなかったと言えます。

竪穴住居分布が散漫であり、その様子は中期大規模貝塚崩壊後の小集落分散居住の様子と整合します。

1-2 称名寺式、称名寺式~堀之内1式古


称名寺式、称名寺式~堀之内1式古

竪穴住居は全て漆喰が検出されます。竪穴住居の位置は北斜面貝層と南斜面貝層に存在していて、これらの竪穴住居は大膳野南貝塚後期漁労集落の始祖といえる家族が居住したものであると想定できます。

称名寺式期に大膳野南貝塚集落の漁労活動が軌道に乗り、豊かな海産物を入手加工する条件や技術が確立し、漆喰文化がスタートしました。

1-3 堀之内1式


堀之内1式

竪穴住居は急増します。集落は堀之内1式期がピークとなります。竪穴住居漆喰【有】と匹敵する数の竪穴住居漆喰【無】が伴います。

海産物入手加工により大膳野南貝塚集落が地域の生産拠点となり、人口急増現象が生じたと理解します。漆喰文化が花開きました。

竪穴住居漆喰【有】は集落定住民の住居であると考えます。竪穴住居漆喰【無】は集落定住民と交易したり、各種サービスを提供する周辺地域住民の一時逗留施設などであったと想定します。

竪穴住居漆喰【無】の意義について、さらに検討を深めることにします。

竪穴住居漆喰【有】と土坑貝層【有】の分布は略環形となり、環形ゾーンを構成します。竪穴住居漆喰【無】と土坑貝層【無】の分布はこの漆喰・貝層環形ゾーンの内側と外側に分かれて分布するように大勢観察できます。


(参考)堀之内1式+後期

発掘調査報告書では縄文後期竪穴住居とされたもののほとんどは堀之内1式のものであると想定されるとしています。そこで、堀之内1式+後期の集落分布図を作成しました。この分布図が集落ピークの堀之内1式期集落のイメージにより近いものと考えます。

1-4 堀之内2式、堀之内2式~加曽利B1式


堀之内2式、堀之内2式~加曽利B1式

竪穴住居漆喰【有】と竪穴住居漆喰【無】が並立します。竪穴住居漆喰【無】には規模の大きなものが見られます。前の時期とくらべて漁労が衰退し、一方漁労ではない生業で生活する家族が生活していたことを想像できます。

1-5 加曽利B1式、加曽利B1式~B2式


加曽利B1式、加曽利B1式~B2式

竪穴住居は竪穴住居漆喰【無】だけです。土坑に貝層検出するものがありますから、漁労がゼロであったことはないと思いますが、集落家族は漁労以外の生業で暮らしていたと想定します。加曽利B2式期に集落は終焉した考えます。

2 メモ

集落が漁労をメインに大発展した堀之内1式期の竪穴住居漆喰【無】の意義について検討を深めることにします。竪穴住居漆喰【有】が存在する漆喰・貝層ゾーンと竪穴住居漆喰【無】が空間的に弁別されることは明白ですから、当時の縄文人も竪穴住居漆喰【有】と竪穴住居漆喰【無】の意味差異については強い弁別意識を持っていたに違いありません。


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