縄文土器学習 154
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では加曽利貝塚出土、縄文晩期安行3b式深鉢の観察記録3Dモデルを掲載します。
安行3b式深鉢 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.05.16
反射ガラス面越し撮影
安行3b式深鉢 加曽利貝塚出土 展示風景
安行3b式深鉢 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル作成に使った写真
メモ
波のような模様をさらに強調する「人」字状沈線が刻まれています。この模様の主題は本当に波でしょうか?
2019年6月13日木曜日
2019年6月12日水曜日
安行1式・2式土器の観察
縄文土器学習 153
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では安行1式、2式土器を観察します。
1 安行1式土器
曽谷~安行1式の深鉢
八千代市佐山貝塚出土
八千代市立郷土博物館展示
安行1式深鉢
内野第1遺跡出土
加曽利貝塚博物館展示
観察記録3Dモデルを2019.06.09記事「安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 観察記録3Dモデル」に掲載しています。
佐山貝塚出土深鉢と加曽利貝塚出土深鉢の形状と模様がよく似ています。双方とも口縁部に対向する孔があいています。
2 安行2式土器
安行2式深鉢
加曽利貝塚出土
加曽利貝塚博物館展示
安行2式注口土器
加曽利貝塚出土
加曽利貝塚博物館展示
3 安行式土器について 日本土器事典抜粋
「関東地方の縄紋時代後期後半から晩期中葉にかけての型式で、1式・2式・3a式・3b式・3c式・3d式に細分され、1式と2式は後期に、3a式~3d式は晩期に属する。
埼玉県安行村領家猿貝貝塚(当時)の資料をもとに、山内清男が設定し、埼玉県真福寺貝塚・同泥炭層遺跡、茨城県岩井貝塚などの資料に従って1式・2式と亀ケ岡式土器に共存する3式に細分され、その後埼玉県奈良瀬戸遺跡、茨城県広畑貝塚などの資料から3a式から3d式に至る区分が確定したが、細部においてはなお議論があり、とくに3b式から3c式にかけてその傾向が著しい。
安行1式(図1-1~5)は後期後半、曽谷式直後で、形態装飾上似たものを含み、加曽利B式以来の伝統も続く。
安行2式(図1-6~17)は後期終末に位置し、安行1式から多くを踏襲する一方で、次式へと続く新たな形態も登場する。」
安行1式土器
安行2式土器
4 安行1式土器、安行2式土器の較正年代
安行1式土器、安行2式土器の較正年代
小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」資料(2019.02.24)では後期安行式の較正年代が3370~3220年前calBPとなっています。
5 安行式土器出土遺跡の分布
安行式土器出土遺跡分布
私家版千葉県遺跡データベースによる
安行1・2・3式を含む
安行式土器出土遺跡分布 ヒートマップ
私家版千葉県遺跡データベースによる
安行1・2・3式を含む
参考
加曽利B式土器出土遺跡分布
私家版千葉県遺跡データベースによる
加曽利B1・2・3式を含む
加曽利B式土器出土遺跡分布 ヒートマップ
私家版千葉県遺跡データベースによる
加曽利B1・2・3式を含む
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では安行1式、2式土器を観察します。
1 安行1式土器
曽谷~安行1式の深鉢
八千代市佐山貝塚出土
八千代市立郷土博物館展示
安行1式深鉢
内野第1遺跡出土
加曽利貝塚博物館展示
観察記録3Dモデルを2019.06.09記事「安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 観察記録3Dモデル」に掲載しています。
佐山貝塚出土深鉢と加曽利貝塚出土深鉢の形状と模様がよく似ています。双方とも口縁部に対向する孔があいています。
2 安行2式土器
安行2式深鉢
加曽利貝塚出土
加曽利貝塚博物館展示
安行2式注口土器
加曽利貝塚出土
加曽利貝塚博物館展示
3 安行式土器について 日本土器事典抜粋
「関東地方の縄紋時代後期後半から晩期中葉にかけての型式で、1式・2式・3a式・3b式・3c式・3d式に細分され、1式と2式は後期に、3a式~3d式は晩期に属する。
埼玉県安行村領家猿貝貝塚(当時)の資料をもとに、山内清男が設定し、埼玉県真福寺貝塚・同泥炭層遺跡、茨城県岩井貝塚などの資料に従って1式・2式と亀ケ岡式土器に共存する3式に細分され、その後埼玉県奈良瀬戸遺跡、茨城県広畑貝塚などの資料から3a式から3d式に至る区分が確定したが、細部においてはなお議論があり、とくに3b式から3c式にかけてその傾向が著しい。
安行1式(図1-1~5)は後期後半、曽谷式直後で、形態装飾上似たものを含み、加曽利B式以来の伝統も続く。
安行2式(図1-6~17)は後期終末に位置し、安行1式から多くを踏襲する一方で、次式へと続く新たな形態も登場する。」
安行1式土器
安行2式土器
4 安行1式土器、安行2式土器の較正年代
安行1式土器、安行2式土器の較正年代
小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」資料(2019.02.24)では後期安行式の較正年代が3370~3220年前calBPとなっています。
5 安行式土器出土遺跡の分布
安行式土器出土遺跡分布
私家版千葉県遺跡データベースによる
安行1・2・3式を含む
安行式土器出土遺跡分布 ヒートマップ
私家版千葉県遺跡データベースによる
安行1・2・3式を含む
参考
加曽利B式土器出土遺跡分布
私家版千葉県遺跡データベースによる
加曽利B1・2・3式を含む
加曽利B式土器出土遺跡分布 ヒートマップ
私家版千葉県遺跡データベースによる
加曽利B1・2・3式を含む
安行式土器出土遺跡数(400)は加曽利B式土器出土遺跡数(874)から半減しています。半減の様子は特定地域で減少するのではなく千葉県全域で満遍なく現象しているように観察できます。人口減少によりこれまで存在していた子集落・孫集落が廃され親集落に集約された様相を推察します。
より詳しい土器形式細分別遺跡分布図は縄文全期について追って作成し項目を立てて検討します。
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学習チェックリスト
2019年6月11日火曜日
雷下遺跡出土木製品意匠の意味
縄文木製品学習 8
雷下遺跡出土木製品(木製品イ)意匠の意味について考察してみました。
当初の想定でキケウシパスイではないかと踏んでいましたので、それが出ている図書のページをめくってみました。
髯揚箆(ひげあげべら)イクパスイ
金田一京助・杉山寿栄男共著「アイヌ芸術 木工編」(昭和17年発行、昭和48年復刻)から引用改変
驚いたことに、キケウシパスイ4例のうち2例は植物(の紐?)が付いています。棒にモノがついているのです。
この写真を見て、雷下遺跡等から出土している木製品イの全周する溝はモノを縛り付けて、それが滑り落ちないようにするためのガイド溝であることが直観できました。おそらく間違いのないところだと感じることができます。
さらに金田一京助・杉山寿栄男共著「アイヌ芸術 木工編」の説明を読むと、キケウシパスイの尖った方は鳥の嘴をあらわし、嘴に酒をつけて周囲にふりかけるとキケウシパスイというイナウが鳥の役割をして神に願いを確実に届けるとう趣旨の記述が書かれています。(戦前アイヌのキケウシパスイに関する記述)この記述は現在も引用-孫引用をくりかえして使われているようです。
雷下遺跡出土木製品イの本質を考える上で、キケウシパスイ、鳥、イナウなどのキーワードを仮説することは重要であることが感得できました。
雷下遺跡出土木製品は何かを紐で結んでいた。匙状先端は酒を振りかけるためかもしれない
参考 Wikipediaのイクパスイの項 抜粋
イクパスイ(ikupasuy)は、アイヌ民族が儀式で使用する木製の祭具で、カムイ(神)・先祖に酒などの供物をささげる際、人とカムイの仲立ちをする役割を果たすものとされた。
名称は ikuが「酒を飲む」、pasuyが「箸」の意である。
日本語では「(カムイに)酒を捧(ささげる)箸」として、捧酒箸と訳される。
カムイノミ(神事)やシンヌラッパ(先祖供養)など、酒を用いる祈りには欠かせず、このほか個人的な祈りに際しても用いられた。
用いる際は、その先を酒につけて酒の滴を火やイナウに振りかけ、神・先祖に捧げて祈祷する。人間の言葉は直接カムイに届かないとされているが、イクパスイを介することで人間の言葉は(たとえ不足や誤りがあったとしても)カムイに正確に届けられる。また、捧げた一滴の酒はカムイモシㇼ(kamuy-mosir:神々の世界)に一樽にもなって届き、カムイたちも同様に酒を酌み交わすとされた。
1930年に行われたイオマンテの様子。膳の上の椀に載せられたへら状の物がイクパスイ
キケウㇱパスイ
イクパスイの一種であると同時にイナウの一種でもある。kike が「削りかけ」、us「~がつく」、pasuy「箸」の意で、日本語では削り掛けつき捧酒箸と訳される。
主にヤナギ、ミズキなどの白木で作られ、一部の地域を除いて文様を施すことはない。上面1~4ヵ所に削りかけがあり、数や形は家系によって異なる。
大祭に際してとくに重要な祈りに用いられ、イナウ同様儀式が終わると火にくべたり祭壇に納めて火のカムイへの捧げ物としたため、原則として儀式のたびに新しく作られているが、一部の地域では複数回使用されたこともある。
雷下遺跡出土木製品(木製品イ)意匠の意味について考察してみました。
当初の想定でキケウシパスイではないかと踏んでいましたので、それが出ている図書のページをめくってみました。
髯揚箆(ひげあげべら)イクパスイ
金田一京助・杉山寿栄男共著「アイヌ芸術 木工編」(昭和17年発行、昭和48年復刻)から引用改変
驚いたことに、キケウシパスイ4例のうち2例は植物(の紐?)が付いています。棒にモノがついているのです。
この写真を見て、雷下遺跡等から出土している木製品イの全周する溝はモノを縛り付けて、それが滑り落ちないようにするためのガイド溝であることが直観できました。おそらく間違いのないところだと感じることができます。
さらに金田一京助・杉山寿栄男共著「アイヌ芸術 木工編」の説明を読むと、キケウシパスイの尖った方は鳥の嘴をあらわし、嘴に酒をつけて周囲にふりかけるとキケウシパスイというイナウが鳥の役割をして神に願いを確実に届けるとう趣旨の記述が書かれています。(戦前アイヌのキケウシパスイに関する記述)この記述は現在も引用-孫引用をくりかえして使われているようです。
雷下遺跡出土木製品イの本質を考える上で、キケウシパスイ、鳥、イナウなどのキーワードを仮説することは重要であることが感得できました。
雷下遺跡出土木製品は何かを紐で結んでいた。匙状先端は酒を振りかけるためかもしれない
参考 Wikipediaのイクパスイの項 抜粋
イクパスイ(ikupasuy)は、アイヌ民族が儀式で使用する木製の祭具で、カムイ(神)・先祖に酒などの供物をささげる際、人とカムイの仲立ちをする役割を果たすものとされた。
名称は ikuが「酒を飲む」、pasuyが「箸」の意である。
日本語では「(カムイに)酒を捧(ささげる)箸」として、捧酒箸と訳される。
カムイノミ(神事)やシンヌラッパ(先祖供養)など、酒を用いる祈りには欠かせず、このほか個人的な祈りに際しても用いられた。
用いる際は、その先を酒につけて酒の滴を火やイナウに振りかけ、神・先祖に捧げて祈祷する。人間の言葉は直接カムイに届かないとされているが、イクパスイを介することで人間の言葉は(たとえ不足や誤りがあったとしても)カムイに正確に届けられる。また、捧げた一滴の酒はカムイモシㇼ(kamuy-mosir:神々の世界)に一樽にもなって届き、カムイたちも同様に酒を酌み交わすとされた。
1930年に行われたイオマンテの様子。膳の上の椀に載せられたへら状の物がイクパスイ
キケウㇱパスイ
イクパスイの一種であると同時にイナウの一種でもある。kike が「削りかけ」、us「~がつく」、pasuy「箸」の意で、日本語では削り掛けつき捧酒箸と訳される。
主にヤナギ、ミズキなどの白木で作られ、一部の地域を除いて文様を施すことはない。上面1~4ヵ所に削りかけがあり、数や形は家系によって異なる。
大祭に際してとくに重要な祈りに用いられ、イナウ同様儀式が終わると火にくべたり祭壇に納めて火のカムイへの捧げ物としたため、原則として儀式のたびに新しく作られているが、一部の地域では複数回使用されたこともある。
雷下遺跡出土木製品の詳細観察
縄文木製品学習 7
市川市雷下遺跡(6)(縄文早期)から出土した木製品(木製品イ)について発掘調査報告書写真を拡大して詳細観察しました。
1 観察した木製品
発掘調査報告書で次のように記載されている木製品1の2つのピースについて観察しました。
「加工が明瞭な木製遺物は7点あった。1は、トネリコ属トネリコ節の心持ち丸木材の表面を削り、横断面が楕円形となるように加工した棒状品である。断片化した3点が同一地点から出土しており、加工の様相、樹種と木取りの特徴が同じであることから同一個体と判断され、一端がすぼまる棒状と復元される。」
木製品
発掘調査報告書から引用
2 観察
雷下遺跡出土木製品の意匠 1
雷下遺跡出土木製品の意匠 2
2つのピースともに全周切込みがあり、その一部がえぐられています。また一方の端は丸木を斜め方向にわざと凹凸をつけて形状が匙状に見えるようにカットされています。そのカット面は極めて新鮮ですからカットされてから多数回にわたって使われた様子は皆無です。
1では面取り、圧着痕らしきものが観察できます。
2では小孔1つと縛り跡らしきものが観察できます。
2つのピースともに、作られた後1回使われ、その後遺棄されたように想像できます。
3 参考 匝瑳市亀田泥炭遺跡(縄文後・晩期)出土木製品の観察
棒状木製品2の意匠
棒状木製品4の意匠
4 考察
・雷下遺跡出土木製品と亀田泥炭遺跡出土木製品の意匠が「類似」しているという域をこえて「同一」であると形容したくなるような近似性を感じることができます。
・楕円形の長い棒状木製品を一旦つくり、それを分割して特殊意匠を施して単位木製品を複数作ったと考えられます。
・特殊意匠は縄文早期も縄文後・晩期も「えぐりを伴う全周切込み」「材を斜め方向に凹凸をつけ(匙状にして)カットしている」です。
・さらに2遺跡出土物ともにカット面が新鮮で使いまわした様子は全く感じられません。
市川市雷下遺跡(6)(縄文早期)から出土した木製品(木製品イ)について発掘調査報告書写真を拡大して詳細観察しました。
1 観察した木製品
発掘調査報告書で次のように記載されている木製品1の2つのピースについて観察しました。
「加工が明瞭な木製遺物は7点あった。1は、トネリコ属トネリコ節の心持ち丸木材の表面を削り、横断面が楕円形となるように加工した棒状品である。断片化した3点が同一地点から出土しており、加工の様相、樹種と木取りの特徴が同じであることから同一個体と判断され、一端がすぼまる棒状と復元される。」
木製品
発掘調査報告書から引用
2 観察
雷下遺跡出土木製品の意匠 1
雷下遺跡出土木製品の意匠 2
2つのピースともに全周切込みがあり、その一部がえぐられています。また一方の端は丸木を斜め方向にわざと凹凸をつけて形状が匙状に見えるようにカットされています。そのカット面は極めて新鮮ですからカットされてから多数回にわたって使われた様子は皆無です。
1では面取り、圧着痕らしきものが観察できます。
2では小孔1つと縛り跡らしきものが観察できます。
2つのピースともに、作られた後1回使われ、その後遺棄されたように想像できます。
3 参考 匝瑳市亀田泥炭遺跡(縄文後・晩期)出土木製品の観察
棒状木製品2の意匠
棒状木製品4の意匠
4 考察
・雷下遺跡出土木製品と亀田泥炭遺跡出土木製品の意匠が「類似」しているという域をこえて「同一」であると形容したくなるような近似性を感じることができます。
・楕円形の長い棒状木製品を一旦つくり、それを分割して特殊意匠を施して単位木製品を複数作ったと考えられます。
・特殊意匠は縄文早期も縄文後・晩期も「えぐりを伴う全周切込み」「材を斜め方向に凹凸をつけ(匙状にして)カットしている」です。
・さらに2遺跡出土物ともにカット面が新鮮で使いまわした様子は全く感じられません。
次の記事でこの木製品イの意匠の意味について考察します。
2019年6月10日月曜日
雷下遺跡等3遺跡から出土した棒状木製品に関する鳥形作業仮説
縄文木製品学習 6
2019.06.09記事「異なる2遺跡から出土した棒状木製品の意匠近似性」で木製品をアとイに分類して、アはイナウに関連するような祭具、イはキケウシパスイに関連するような祭具であると作業仮説を立てました。作業仮説を立てることにより、仮説自体の真贋は別にして、そのモノの認識を深める過程を短縮できると考えたからです。
同じような趣旨から、木製品アについてその作業仮説をもう一歩踏み込んで検討してみました。実物を閲覧しない段階で踏み込んだ作業仮説を立てることは大きなリスクを伴います。しかしすぐに実物閲覧の機会が得られる可能性が不明ですから、趣味活動の楽しみを継続発展させるためにあえて空想を掻き立ててみます。
1 棒状木製品 ア の資料追加
茂原市渋谷貝塚から出土している棒状木製品もアと同じ用途の製品である可能性があります。
茂原市渋谷貝塚出土の棒状木製品 挿図
発掘調査報告書から引用
茂原市渋谷貝塚出土の棒状木製品 写真
発掘調査報告書から引用
この棒状木製品は2019.01.26記事「茂原市渋谷貝塚出土木製品」で検討していますが、当時は木製利器として捉えていました。
参考 茂原市渋谷貝塚の位置
2 水鳥の形状と棒状木製品アの形状の類似
2-1 水鳥の形状
水鳥の首から頭部にかけての形状が棒状木製品アの形状に似ているように感じることができます。
飛翔する水鳥の形状
飛翔する水鳥の首から頭部にかけての形状区分
水鳥の首から頭部にかけての形状区分を棒状木製品アに対応させると次のようになります。
2-1 雷下遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分
雷下遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分
2-2 亀田泥炭遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分
亀田泥炭遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分
2-3 渋谷貝塚出土棒状木製品アと水鳥形状区分
渋谷貝塚出土棒状木製品アと水鳥形状区分
3 メモ
・棒状木製品は発掘調査報告書の挿図や写真を見る限り、全体形状が鳥形であるような感触を受けます。鳥形のイナウであると作業仮説します。
・西根遺跡出土丸木木製品も鳥と関連するイナウであると仮想し、その後の鳥形の祖形でもあると考えました。
・現物を観覧・閲覧できる機会を得られれば、この鳥形仮説の真贋の程が直観できると考えます。
・雷下遺跡出土棒状木製品アのうち2点は市立市川考古博物館で今夏展示されるらしいという情報がありますので、今から楽しみです。
2019.06.09記事「異なる2遺跡から出土した棒状木製品の意匠近似性」で木製品をアとイに分類して、アはイナウに関連するような祭具、イはキケウシパスイに関連するような祭具であると作業仮説を立てました。作業仮説を立てることにより、仮説自体の真贋は別にして、そのモノの認識を深める過程を短縮できると考えたからです。
同じような趣旨から、木製品アについてその作業仮説をもう一歩踏み込んで検討してみました。実物を閲覧しない段階で踏み込んだ作業仮説を立てることは大きなリスクを伴います。しかしすぐに実物閲覧の機会が得られる可能性が不明ですから、趣味活動の楽しみを継続発展させるためにあえて空想を掻き立ててみます。
1 棒状木製品 ア の資料追加
茂原市渋谷貝塚から出土している棒状木製品もアと同じ用途の製品である可能性があります。
茂原市渋谷貝塚出土の棒状木製品 挿図
発掘調査報告書から引用
茂原市渋谷貝塚出土の棒状木製品 写真
発掘調査報告書から引用
この棒状木製品は2019.01.26記事「茂原市渋谷貝塚出土木製品」で検討していますが、当時は木製利器として捉えていました。
参考 茂原市渋谷貝塚の位置
2 水鳥の形状と棒状木製品アの形状の類似
2-1 水鳥の形状
水鳥の首から頭部にかけての形状が棒状木製品アの形状に似ているように感じることができます。
飛翔する水鳥の形状
飛翔する水鳥の首から頭部にかけての形状区分
水鳥の首から頭部にかけての形状区分を棒状木製品アに対応させると次のようになります。
2-1 雷下遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分
雷下遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分
2-2 亀田泥炭遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分
亀田泥炭遺跡出土棒状木製品アと水鳥形状区分
2-3 渋谷貝塚出土棒状木製品アと水鳥形状区分
渋谷貝塚出土棒状木製品アと水鳥形状区分
3 メモ
・棒状木製品は発掘調査報告書の挿図や写真を見る限り、全体形状が鳥形であるような感触を受けます。鳥形のイナウであると作業仮説します。
・西根遺跡出土丸木木製品も鳥と関連するイナウであると仮想し、その後の鳥形の祖形でもあると考えました。
・現物を観覧・閲覧できる機会を得られれば、この鳥形仮説の真贋の程が直観できると考えます。
・雷下遺跡出土棒状木製品アのうち2点は市立市川考古博物館で今夏展示されるらしいという情報がありますので、今から楽しみです。
2019年6月9日日曜日
安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 観察記録3Dモデル
縄文土器学習 152
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では内野第1遺跡出土安行1式深鉢の観察記録3Dモデルを掲載します。
安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.05.16
安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 展示風景
安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 観察記録3Dモデル作成に使った写真
ガラス越し撮影
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では内野第1遺跡出土安行1式深鉢の観察記録3Dモデルを掲載します。
安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.05.16
安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 展示風景
安行1式深鉢 内野第1遺跡出土 観察記録3Dモデル作成に使った写真
ガラス越し撮影
異なる2遺跡から出土した棒状木製品の意匠近似性
縄文木製品学習 5
異なる時代・空間の縄文低地2遺跡から出土した棒状木製品の意匠が余りにも似ているので驚きを禁じえません。ともに丸木舟も共伴出土しています。
1 意匠が共通する木製品が出土した2遺跡
雷下遺跡と亀田泥炭遺跡
2 棒状木製品の意匠近似性
2-1 意匠が近似する2種の木製品
木製品のうち2種類(ア、イと仮称)の意匠が2遺跡で近似しています。
2遺跡出土木製品で意匠が近似する2つの木製品
2-2 棒状木製品 ア
棒状木製品アの意匠近似性
造形の趣旨は同じであると感じられるような意匠近似性が認められます。
2-3 棒状木製品 イ
棒状木製品イの意匠近似性
造形の趣旨は同じであると感じられるような意匠近似性が認められます。
イは2つの遺跡ともに焦げたものが出土しています。
異なる時代・空間の縄文低地2遺跡から出土した棒状木製品の意匠が余りにも似ているので驚きを禁じえません。ともに丸木舟も共伴出土しています。
1 意匠が共通する木製品が出土した2遺跡
雷下遺跡と亀田泥炭遺跡
2 棒状木製品の意匠近似性
2-1 意匠が近似する2種の木製品
木製品のうち2種類(ア、イと仮称)の意匠が2遺跡で近似しています。
2遺跡出土木製品で意匠が近似する2つの木製品
2-2 棒状木製品 ア
棒状木製品アの意匠近似性
造形の趣旨は同じであると感じられるような意匠近似性が認められます。
2-3 棒状木製品 イ
棒状木製品イの意匠近似性
造形の趣旨は同じであると感じられるような意匠近似性が認められます。
イは2つの遺跡ともに焦げたものが出土しています。
3 メモ
・現状では発掘調査報告書情報だけの比較です。今後現物閲覧や精細写真利用が可能かどうか関係機関に相談し、可能ならば検討を深めたいと思います。
・西根遺跡出土木製品は現物閲覧、発掘時撮影精細写真利用が実現し、観察検討結果をまとめました。
・西根遺跡出土木製品の検討を踏まえると、雷下遺跡・亀田泥炭遺跡出土木製品の検討では次のような作業仮説をもつことが合理的であると考えます。
棒状木製品ア…アイヌイナウの祖形にたどれる木製祭具
棒状木製品イ…アイヌキケウシパスイの祖形にたどれる木製祭具
・2遺跡ともに丸木舟が出土していますから丸木舟に関わる活動行為(祭祀等)と木製品が関連していたことは十分に考えられます。しかし、木製品がイナウやキケウシパスイのような祭具であるとするならば、それは縄文社会一般で使われていた木製品であり、水辺環境だけに特別関わるとは考えられません。丸木舟が残存したのと同じ堆積環境が存在したがために木製品が残されたと考えます。
4 参考 2遺跡の発掘調査報告書
雷下遺跡発掘調査報告書
亀田泥炭遺跡発掘調査報告書
亀田泥炭遺跡関連ブログ記事 2019.01.28記事「匝瑳市亀田泥炭遺跡出土木製品」
2019年6月8日土曜日
加曽利B3式土器 浅鉢及び深鉢 加曽利貝塚出土
縄文土器学習 151
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では加曽利貝塚出土加曽利B3式土器を観察します。
1 加曽利B3式粗製浅鉢
加曽利B3式粗製浅鉢
4 メモ
・3点の土器は全て粗製土器で器形、模様ともに大変簡素です。この3点により加曽利B3式土器の様相を学習するのは無理であると達観します。
・3点の土器は全て異形台付土器と同じ竪穴住居から出土しています。
2019.06.07記事「加曽利B3式異形台付土器 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル」参照
・異形台付土器が「負の祭祀」(収穫や誕生を祝う祭祀ではなく、死や病気・消沈に関わる祭祀)であるとすれば、そのような祭祀が精製土器ではなく、粗製土器に関わっているという情報は貴重な情報であると考えます。
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学習チェックリスト
縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では加曽利貝塚出土加曽利B3式土器を観察します。
1 加曽利B3式粗製浅鉢
加曽利B3式粗製浅鉢
加曽利貝塚出土 加曽利貝塚博物館展示
加曽利貝塚出土 加曽利貝塚博物館展示
2 加曽利B3式粗製深鉢 ア
加曽利B3式粗製深鉢 ア
加曽利貝塚出土 加曽利貝塚博物館展示
加曽利B3式粗製深鉢 ア 部分拡大
加曽利貝塚出土 加曽利貝塚博物館展示
3 加曽利B3式粗製深鉢 イ
加曽利B3式粗製深鉢 イ
加曽利貝塚出土 加曽利貝塚博物館展示
加曽利B3式粗製深鉢 イ 部分拡大
加曽利貝塚出土 加曽利貝塚博物館展示4 メモ
・3点の土器は全て粗製土器で器形、模様ともに大変簡素です。この3点により加曽利B3式土器の様相を学習するのは無理であると達観します。
・3点の土器は全て異形台付土器と同じ竪穴住居から出土しています。
2019.06.07記事「加曽利B3式異形台付土器 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル」参照
・異形台付土器が「負の祭祀」(収穫や誕生を祝う祭祀ではなく、死や病気・消沈に関わる祭祀)であるとすれば、そのような祭祀が精製土器ではなく、粗製土器に関わっているという情報は貴重な情報であると考えます。
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学習チェックリスト
加曽利B3式期 山形土偶 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル
縄文土器学習 150
加曽利B3式期の山形土偶(加曽利貝塚出土)観察記録3Dモデルを作成しました。
加曽利B3式 山形土偶 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.05.16
山形土偶展示の様子
山形土偶展示の様子
髪型が山形なので山形土偶と呼ばれるそうです。耳が隠れるようなおかっぱの髪型だったのでしょうか。耳付近の孔は耳飾りを表現していると考えられます。
乳房の間から下腹部につづく帯状のものは妊娠正中線を表現していると判断できます。妊娠正中線とそれを境に大きなおなかが二つに割れているような様子はそうした要素をデフォルメしていて、妊娠がこの像で占める位置が大きなものであることを示しています。
3Dモデルで可能となる乳房の横方向観察で、乳房の形状が他の部分と比べて特段に精密でリアルかつ理想的に表現されていることが判ります。乳房は単なる出っ張りではありません。乳房の造形の精緻さと較べると顔や手足の造形はとってつけた粘土塊そのものです。
この土偶を造形した縄文人は乳房に最大のエネルギーを投入したことは確実です。
加曽利B3式期の山形土偶(加曽利貝塚出土)観察記録3Dモデルを作成しました。
加曽利B3式 山形土偶 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.05.16
山形土偶展示の様子
山形土偶展示の様子
髪型が山形なので山形土偶と呼ばれるそうです。耳が隠れるようなおかっぱの髪型だったのでしょうか。耳付近の孔は耳飾りを表現していると考えられます。
乳房の間から下腹部につづく帯状のものは妊娠正中線を表現していると判断できます。妊娠正中線とそれを境に大きなおなかが二つに割れているような様子はそうした要素をデフォルメしていて、妊娠がこの像で占める位置が大きなものであることを示しています。
3Dモデルで可能となる乳房の横方向観察で、乳房の形状が他の部分と比べて特段に精密でリアルかつ理想的に表現されていることが判ります。乳房は単なる出っ張りではありません。乳房の造形の精緻さと較べると顔や手足の造形はとってつけた粘土塊そのものです。
この土偶を造形した縄文人は乳房に最大のエネルギーを投入したことは確実です。
2019年6月7日金曜日
加曽利B3式異形台付土器 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル
縄文土器学習 149
縄文土器を形式別に学習しています。
加曽利B3式土器について加曽利貝塚博物館展示土器を素材に学習します。
この記事では加曽利貝塚から出土した加曽利B3式異形台付土器の観察記録3Dモデルを作成しましたので掲載します。
加曽利B3式異形台付土器 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.05.16
ガラス越し撮影
参考 左は加曽利B3式浅鉢、右は加曽利B3式深鉢
異形台付土器、浅鉢、深鉢ともに112号住居跡から出土。
異形台付土器 展示の様子
異形台付土器の機能について、自分は「大麻蒸気発生吸引装置のフィギュア(イコン)」仮説を考えています。その真偽は今後検討を深めることにします。
2019.03.27記事「器台「大麻炙り台」仮説に関連する超空想」
異形台付土器に関して次の記事をかいたこともあります。
2019.04.06記事「異形台付土器の資料」
メモ1
加曽利B2式期が社会のピークでその後加曽利B3式期には社会が凋落傾向にあるのではないかと想像しています。そのような落ち目の時期に異形台付土器が果たす役割が増大したと想像します。
メモ2
「大麻蒸気発生吸引装置のフィギュア(イコン)」仮説が正しければ、実際の大麻吸引を伴わなくても、イコンの力で死人と話したり、病気を治癒したり、人を奮い立たせることが出来たことになります。「言霊」と同じ力を異形台付土器が持っていたと考えることができます。
縄文土器を形式別に学習しています。
加曽利B3式土器について加曽利貝塚博物館展示土器を素材に学習します。
この記事では加曽利貝塚から出土した加曽利B3式異形台付土器の観察記録3Dモデルを作成しましたので掲載します。
加曽利B3式異形台付土器 加曽利貝塚出土 観察記録3Dモデル
撮影場所:加曽利貝塚博物館
撮影月日:2019.05.16
ガラス越し撮影
参考 左は加曽利B3式浅鉢、右は加曽利B3式深鉢
異形台付土器、浅鉢、深鉢ともに112号住居跡から出土。
異形台付土器 展示の様子
異形台付土器の機能について、自分は「大麻蒸気発生吸引装置のフィギュア(イコン)」仮説を考えています。その真偽は今後検討を深めることにします。
2019.03.27記事「器台「大麻炙り台」仮説に関連する超空想」
異形台付土器に関して次の記事をかいたこともあります。
2019.04.06記事「異形台付土器の資料」
メモ1
加曽利B2式期が社会のピークでその後加曽利B3式期には社会が凋落傾向にあるのではないかと想像しています。そのような落ち目の時期に異形台付土器が果たす役割が増大したと想像します。
メモ2
「大麻蒸気発生吸引装置のフィギュア(イコン)」仮説が正しければ、実際の大麻吸引を伴わなくても、イコンの力で死人と話したり、病気を治癒したり、人を奮い立たせることが出来たことになります。「言霊」と同じ力を異形台付土器が持っていたと考えることができます。
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