2018年7月18日水曜日

住居壁の有る竪穴住居と無い竪穴住居

2018.07.17記事「住居壁が最初から無い竪穴住居存在の可能性」で台地平面上の住居壁のない竪穴住居は、発掘調査報告書が記述するように「後世の削平」で住居壁が失われたものではなく、最初から住居壁が無かったものであるとの仮説を持つことができました。
この記事で例として検討したJ57竪穴住居(住居壁あり)とJ100竪穴住居(住居壁なし)についてより具体的にデータを観察して、住居壁がある場合とない場合の条件の違いを考えてみました。

J57竪穴住居とJ100他の位置 素地図は大膳野南貝塚発掘調査報告書による

1 J57竪穴住居

J57竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆
建物敷地(幅約6m)に比高30㎝の土地高低差があり、その高低差を全部利用して竪穴住居を建設しています。土地傾斜(東北東-西南西)の方向と張出部方向が一致しているように考えられます。張出部付近では高さが確保できないので住居壁は消失します。
住居壁を設けることによって家内温度変化が緩和され夏涼しく冬暖かくなると考えられます。また屋根の高さを低めることができますから風に強い、つまり災害に強い家にすることができます。
この竪穴住居は土地高低差を全部住居壁に使ってしまったため、床面傾斜を確保できていません。従って雨天の際の水はけは悪かったことが考えられます。

2 J100竪穴住居

J100竪穴住居 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆
建物敷地(幅約5.5m)に比高20㎝の土地高低差があり、その高低差を住居壁には全く使わず全て床面傾斜に使った住居であると考えます。雨天時の水はけ機能は確保できますが、住居壁がないので家内温度変化が激しく、また屋根が地面から全部立ち上がるので風に弱い家だったと考えられます。張出部方向は土地傾斜方向と略一致するように等高線との関係から想定できます。

3 考察
3-1 住居壁有無の条件
J57竪穴住居では家敷地にある30㎝の高低差を利用して竪穴(住居壁)を掘っています。一方J100竪穴住居では家敷地にある20㎝の高低差を床面傾斜に使い竪穴(住居壁)を掘っていません。家敷地における土地高低差が少なくとも30㎝はないと竪穴(住居壁)を掘る意味はないと縄文人は考えていたのかもしれません。
土地の高低差を住居壁高さと床面傾斜にどのように配分したか、発掘調査報告書のデータを詳しく分析することが可能ですから、住居壁有無と土地傾斜の関係や縄文人が最も好んだ土地傾斜と住居壁高さ・床面傾斜の関係などを今後知ることができそうです。

3-2 張出部方向の意味
J57竪穴住居、J100竪穴住居ともに張出部方向は土地傾斜の方向であり、かつ床面傾斜の方向であると考えられます。張出部方向が祭祀信仰・社会関係との関係ではなく、住居立地条件としての土地傾斜(=床面傾斜=排水方向)として捉えるべき指標である可能性が強まりました。発掘調査報告書のデータを詳しく分析すれば、張出部方向の意味が詳しく分る可能性が濃厚です。また逆に張出部方向から縄文時代微地形復元ができる可能性も浮上します。

2018年7月17日火曜日

住居壁が最初から無い竪穴住居存在の可能性

大膳野南貝塚後期集落で住居壁が最初から無い竪穴住居が多数存在しているのではないかと疑問を持ちましたのでメモしておきます。

1 住居壁が検出されない竪穴住居の分布
覆土層が存在していない竪穴住居は住居壁が検出されない竪穴住居であり、次のように分布します。

竪穴住居 覆土層の有無

2 住居壁未検出の理由としての「後世の削平」に対する疑問
住居壁が検出されない竪穴住居は発掘調査報告書では他の遺構との重複などの理由の他は全て「後世の削平」によるとして説明されています。
しかし次のような疑問が生れます。

2-1 断面図上で確認できる「後世の削平」の不自然さ
台地面にある竪穴住居の多くは住居壁が検出されませんが、J57竪穴住居だけしっかりしている住居壁が検出していて、周辺の竪穴住居との違いが際立っています。そこで隣接するJ71竪穴住居、J100竪穴住居との断面図を比較してみました。

J57竪穴住居の住居壁だけ偶然後世の削平を免れたのか? 大膳野南貝塚発掘調査報告書のデータによる
J71とJ57の柱穴の間の距離は4m、J57とJ100の距離は3mです。そのような至近距離でJ57竪穴住居だけ住居壁がそっくり残り、J71とJ100では「後世の削平」で跡形もなく完全に失われたのは私には大変不自然なできごとのように感じられます。
少なくとも垂直方向の位置が下であるJ100竪穴住居に住居壁の一部が検出されてしかるべきです。J57竪穴住居と3mしかはなれておらず、かつその下方向にあるJ100竪穴住居住居壁を完全に除去するような後世の削平が行われた可能性は限りなくゼロに近いのではないかと考えます。もともとJ100竪穴住居に住居壁がなかったと考えられます。
台地面に広がる住居壁のない竪穴住居は「住居壁が完全に検出されないもの」ばかりであり、「住居壁の一部」「住居壁の極一部」が検出されたものはゼロです。
後世の削平で台地面の竪穴住居が破壊されたならば、住居壁が残るもの、住居壁が一部残るもの、住居壁が完全に残らないものが必ず生まれると思います。ところが大膳野南貝塚では住居壁が一部残るものが完全にゼロであることから、後世の削平により住居壁が失われたという発掘調査報告書の説明に疑問が生れます。もともと台地面では住居壁のない竪穴住居がほとんどであり、それがそのまま出土したのではないかという疑問が生れます。

2-2 貝層下遺構で確認できる「後世の削平」のあり得なさ
J123竪穴住居はその上部が南貝層に覆われた位置にありますが、周辺竪穴住居と違い住居壁が出土しません。

J123竪穴住居の位置

J123竪穴住居 住居壁未検出の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書のデータによる

J123竪穴住居 住居壁未検出の説明 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用・加筆
発掘調査報告書では住居壁未検出について、「後世の削平および遺構重複等により住居壁は失われており・・・」と説明しています。
断面図C-C`のC付近にあるべき住居壁がないので、その理由を「後世の削平」として説明しています。
しかし、この付近の遺構はすべて南貝層に覆われていて、それを剥いで遺構を検出したのですから、「後世の削平」で住居壁が失われたという説明はあり得ません。J123竪穴住居の南側には最初から住居壁は無かったと言えます。
なお、周辺の竪穴住居の住居壁をみると北側(台地側)に存在していて、南側(谷底側)に存在しないものが多くなっています。これは斜面を利用して竪穴住居を建設した際の作り方がこうなっていたからです。後世の削平と関係ありません。
J123竪穴住居も遺構重複で失われた北側には住居壁があった可能性があります。

J123竪穴住居近傍における他竪穴住居住居壁の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書図面から作成

3 発掘調査報告書における「後世の削平」について 
発掘調査報告書では、J123竪穴住居に限らず南貝層、北貝層下から出土した竪穴住居のうち住居壁が無いものは全て「後世の削平」により失われたと説明しています。貝層を剥いでその下にある遺構について「後世の削平」で説明することはあり得ないことです。このような説明から発掘調査報告書では次のような前提で記述が行われたと考えられます。
1 全ての竪穴住居は当初住居壁を持っていた
2 理由不明の住居壁未検出は「後世の削平」として全部一括説明する
このような前提で記述した結果、2-1で検討した通り台地平面上で「後世の削平」と考えると遺構出土状況が大変不自然であることが判明しました。全ての竪穴住居は当初住居壁を持っていたという大前提が間違っている可能性が濃厚です。また2-2で検討したとおり「住居壁未検出=後世の削平」という図式を機械的に当てはめた結果、後世の削平があり得ない場所でも「後世の削平」を強引に記述する間違いをしています。
こうした疑問から発掘調査報告書における「後世の削平」記述は、当該遺構における現場観察としての「後世の削平」情報が反映されたものではないと判断できます。
従って、「後世の削平」記述はすべて利用しないことが大切であると考えます。
なお、当然のことながら「後世の削平」という事象は大いに存在していたと考えます。しかし、残念ながらその様子を発掘調査報告書から汲み取ることはできないと考えます。

4 住居壁が最初から無い竪穴住居が存在していた可能性
発掘調査報告書の「後世の削平」記述を利用しないことにすると、俄然、住居壁が最初から無い竪穴住居の存在が浮かびあがります。住居壁が無いとは竪穴ではないのですから言葉としては「竪穴住居」ではなくなりますが、とりあえず住居壁の無い竪穴住居と呼ぶことにします。
台地面上の竪穴住居の多くが住居壁の無い竪穴住居であった可能性が濃厚になりました。
平らな台地面に本当に竪穴を掘ったら雨の時に排水不能になります。そうした側面から考えても平な台地面では竪穴のない住居が一般的であった可能性が濃厚です。
斜面上の竪穴住居は台地側に住居壁があり、谷底側に住居壁がない竪穴住居が一般的であった可能性が濃厚です。
大膳野南貝塚で住居壁の無い竪穴住居が有るならば、それは大膳野南貝塚だけの特殊事例とは考えづらいですから、必ずや近隣遺跡の台地面にあるはずです。今後調査したいと思います。

2018年7月16日月曜日

竪穴住居床面傾斜を縄文人は好んだ

大膳野南貝塚後期集落竪穴住居の半数近くが床面に傾斜があります。現代人的感覚で言えば床面は水平にするのが最も好ましいと考えますが、どうも縄文人の居住環境の好みは違っていたようです。詳しい検討は後日おこなうこととして、とりあえず問題意識だけをメモしておきます。

1 J95竪穴住居の例

J95竪穴住居建物の検討
J95竪穴住居の床面はA断面で5°、B断面で1.6°ほど傾いています。
一方、発掘調査報告書記載により柱穴を色分けしてみると外側壁柱穴、内側壁柱穴、張出部柱穴、機能不明柱穴になります。住居の拡張が1回行われたと考えて、機能不明柱穴は棟木を支える補助柱と考えると、傾斜下側の補助柱が上側の補助柱の約2倍になり、傾く建物を下側で一生懸命支える姿がイメージできます。よく観察すると補助柱だけでなく、壁柱も内側、外側ともに傾斜下側に多く、上側に少なくなっています。
この様子をポンチ絵にするとつぎのようになります。

J95竪穴住居 模式断面(想定)
竪穴住居床面にわざと傾斜を設け、その傾斜に建物が耐えるように傾斜下側の柱を増やしている様子が観察できるのです。

2 J81竪穴住居の例

J81竪穴住居床面の勾配
J81竪穴住居床面の勾配は広い空間の部分で7.2°、全体平均で5.2°になります。

3 竪穴住居床面が傾斜している範囲

竪穴住居床面が傾斜している範囲
南貝層に関わる竪穴住居のほとんど全てと北貝層に関わる竪穴住居の多くの竪穴住居の床面が本来の自然地形を利用して傾斜しています。その数は後期集落全竪穴住居の半数近くになります。これらの竪穴住居は台地側に浅い掘り込み壁を有し、谷津側では掘り込みはありません。

4 竪穴住居床面傾斜の意味
わざわざ自然地形を利用して床面に傾斜を設けているので、縄文人は床面に傾斜をつけることを好んだのだと思います。
なぜ竪穴住居床面に傾斜をつけたかったのか、とりあえずの仮説は排水をよくするためと安眠を得るためであったとします。
床面に傾斜をつけておけば住居内に雨水が流れ込んできても貯まることはなく、全部流れ出てしまい、災害をやり過ごすことができます。
また、WEBでたまたま読んだ論文にはベッドの傾きを10°にすると0°や20°以上と比べて仰臥位での寝心地が最も良くなり、同時に入眠と睡眠維持でも最も良いことが判ったそうです。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscn/41/6/41_505/_pdf/-char/en)
縄文人が寝心地をもとめて竪穴住居床面に傾斜を持ち込んだか否かなどと考えると、大膳野南貝塚学習がとても愉快なものになります。
竪穴住居床面傾斜の意味を今後折に触れて詳しく検討することにします。

屋内炉と屋外炉の仮まとめ

1 屋内炉と屋外炉の仮まとめ
大膳野南貝塚後期集落の屋内炉と屋外炉の種類と利用方法イメージを予察的次元でまとめることができました。

屋内炉と屋外炉の仮まとめ
漆喰貝層有竪穴住居集団も漆喰貝層無竪穴住居集団もそれぞれ屋内炉と屋外炉を利用していて、屋外炉は大型土器を使った集団による調理専用炉であったようにイメージできます。

2 感想
・6月までの学習では炉については全く分からないことだらけで、そもそも漆喰炉になぜ漆喰が堆積しているのか、火を燃やした場所はどこであるのかイメージが湧きませんでしたが、7月に入ってなぜかトントン拍子で炉について理解を深めることができました。
・小林達雄の仮説(炉は調理などの機能より祭祀的機能が卓越する)を念頭に大膳野南貝塚の具体情報を観察していくと、だんだんと小林達雄の仮説が怪しく感じられるようになり、現在は調理などの実生活機能が卓越する施設として捉えることが必要であるように認識を深めることが出来ました。
・炉の大きさによってどの程度の大きさの土器の煮炊きが可能であったのか、検討をすれば答えがでてきそうなので、いつか検討したいと思います。
・屋内炉では地床炉、土器囲炉、漏斗型断面炉よりも漆喰炉のほうが高機能であると直観できます。同じく屋外炉でピット付土坑炉、廃屋土坑炉よりも屋外漆喰炉の方が高機能であると直観できます。これをデータで示すことにより、漆喰貝層有竪穴住居集団と漆喰貝層無竪穴住居集団の階層性を説明する有力な材料とすることができます。

2018年7月15日日曜日

漏斗状屋内炉

大膳野南貝塚後期集落の竪穴住居内の炉について観察すると、その形状が漏斗状になっているものがいくつか見つかります。これらの漏斗状屋内炉は土器を設置して調理する機能を有していたと想定できますのでメモしておきます。

1 漏斗状屋内炉の例
顕著な漏斗状屋内炉が6例観察できます。このうちJ15とJ78は最初は漏斗状屋内炉として使用していて、途中から底の部分を放棄して漆喰炉に転換しています。漆喰炉にすれば炉内の破砕貝パウダーで土器を固定できます。J15とJ78は漆喰貝層有竪穴住居からの出土であり、他は全て漆喰貝層無竪穴住居からの出土です。

漏斗状屋内炉の例

2 漏斗状屋内炉の利用方法(想定)

漏斗状屋内炉の利用方法
漏斗の底の部分が土器を固定する機能を有していたと想定します。

2018年7月13日金曜日

竪穴住居祉屋外炉

大膳野南貝塚後期集落のJ92竪穴住居祉(漆喰貝層無竪穴住居)に屋外炉が建設されて長期間使われていたと想定できるのでメモしておきます。

1 場所

J92竪穴住居の場所

2 断面・土層及び発掘状況写真から想定した屋外炉

J92竪穴住居祉に建設された大型土器用屋外炉(想定) 大膳野南貝塚発掘調査報告書の素図に加筆

J92竪穴住居祉に建設された大型土器用屋外炉(想定) 大膳野南貝塚発掘調査報告書の素写真に加筆

屋内炉を切って大きく深い土坑(発掘調査報告書ではピット)がいくつも掘られていて、その土層の焼土分布からこれらの土坑は大型土器用屋外炉であると想定しました。土器設置穴と考えられる穴が4カ所あります。土器設置穴は大型土器を埋めて加熱調理し、その後土器をとり出すという作業を何回も繰り返して大きくなりすぎて最後は使えなくなり、隣接した場所に新規の設置穴を作り直すという作業を繰り返していたものと考えられます。

3 J92竪穴住居出土略完形土器
J92竪穴住居屋内炉東側の床直上から略完形土器が2器出土しています。そのうち1は口径20㎝、底径9.5㎝、器高39.5㎝でススが底から15㎝より上に付いています。
この土器の火炎跡はこの竪穴住居祉屋外炉で加熱調理に使われた時に付いたものと考えられます。

J92竪穴住居出土略完形土器の煤の跡

4 屋外炉のイメージ
J92竪穴住居祉屋外炉の燃焼面と土器設置穴は次のようにイメージできます。

大型土器用屋外炉

5 考察
漆喰貝層有竪穴住居住人の屋外炉は屋外漆喰炉が全部で8基あります。漆喰貝層無竪穴住居住民の屋外炉は416号土坑がその一つであると考えましたが、J92竪穴住居祉屋外炉が2つ目の例となります。
2018.07.07記事「縄文時代野外調理場」参照


2018年7月12日木曜日

脱皮感覚を意識する

縄文時代学習に関して自分が突然脱皮し出したような感覚を意識しましたので記録しておきます。
ブログ「芋づる式読書のメモ」2018.07.09記事「縄文時代はどのように語られてきたのか」で山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)第1章の感想を書きました。自分自身の縄文時代知識の基本が1960年代のものであることを自覚したので「1960年代頃の時代が形成する縄文時代観・文化観はもうお払い箱に入れなければならないということです。」と自分自身に語り掛けました。

山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)表紙
この図書の「1 縄文時代はどのように語られてきたのか 山田康弘」で紹介されている次の図書も早速読み始めました。

kindle版「つくられた縄文時代」(山田康弘、新潮社、2016)

おそらく自分の意識「自分の知識はまるで古い」がある閾値を超えて強まったのでこのような記事を書いたのだと思います。
そして昨日書店に入ると次の図書が目に入りました。

小林謙一・工藤雄一郎・国立歴史博物館編「増補 縄文はいつから!? -地球環境の変動と縄文文化-」(新泉社)
以前にも何度も見かけたことはありますが、購入にまでは至らなかった本です。しかしページをめくってみると、全て自分の知識の古さをより一段と意識させ、同時に最新情報にアクセスできるキッカケとなりそうな本であると直観できました。
次の図は旧石器時代から縄文時代にかけての自分の1960代知識を全面改訂する入口になりそうですし、情報の出典が豊富であることに学習意欲が刺激されます。

過去5万年間の出来事の年表

西根遺跡や大膳野南貝塚などの発掘調査報告書分析活動で得られた知識(オリジナル情報)が膨大になり、そのとりまとめ作業をはじめたことが主因で、自分の背景知識の古さを折に触れて実感でき、最新背景知識の枯渇を感じることができたのだと思います。
縄文時代学習の深まりと背景知識の古さの間のバランスがこれ以上とれなくなったともいえます。
自分の趣味活動において縄文時代最新知識獲得活動を集中的におこない、1960年代知識から脱皮して、自分の背景知識が2010年代のものだと意識できるようになりたいと思います。

2018年7月10日火曜日

狩猟方法イメージ

大膳野南貝塚学習中間とりまとめ 8 狩猟方法イメージ

大膳野南貝塚学習中間とりまとめを次の10項目に分けて行っています。
1 漆喰貝層有無2集団の関係
2 諸磯・浮島2集団の関係
3 集落消長の理由
4 貝塚・集落の構造
5 貝殻・獣骨・土器片出土の意義
6 埋葬の様相
7 竪穴住居祭壇の様相
8 狩猟方法イメージ
9 個別テーマ
10 背景学習

この記事では「8 狩猟方法イメージ」の説明素材を集めて、まとめペーパーの材料を作りましたので掲載します。

1 後期旧石器時代の狩猟方法
1-1 後期旧石器時代の遺物
大膳野南貝塚及びその南に位置するバクチ穴遺跡から後期旧石器時代の石器(石鏃)が出土しています。

大膳野南貝塚付近石器ブロック分布図 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
後期旧石器時代に、狩猟用石器を所持していた集団が大膳野南貝塚付近にキャンプをはり、その周辺で狩をしていたことが判ります。

1-2 後期旧石器時代狩猟方法のイメージ
狩猟方法についてイメージ的検討(想像的検討)をしてみました。
後期旧石器時代のうち最終氷期クライマックス期(1万年前頃)を例にとると海面が現在より100m以上低いことに対応して河川浸食が激しく、谷津地形が現在よりはるかに険しいものでした。一方下総台地には広い台地面が存在するので季節移動をするシカなどの動物の格好の移動経路でありすみかであったと考えられます。後期旧石器時代人はこうした自然環境を最大限活用して主に台地上で狩りをしていたと考えます。
狩方法は集団で動物を追いつめて最後に仕留めるという困難を伴う方法ではなく、動物を集団で追って崖から追い落として半ば自滅させ、最後のトドメを槍で刺すとイメージします。動物が逃走する際の習性を知り尽くした上で、その知識を活用しながら動物を追い、最後に地形を最大限活用して自滅あるいは弱らせた上でトドメを刺したと考えます。動物が四方に逃げないような柵・妨害物・陥し穴等仕掛けの設置もあったのではないかと考えます。
大膳野南貝塚の位置する地形は広い台地面から台地狭窄部に至る入口付近であることから、次のような狩猟方法をイメージしました。

後期旧石器時代の狩の様子(想定)

後期旧石器時代ブロックと対応する狩場(想定)

後期旧石器時代狩場の地形イメージを一般化するとつぎのように仮説できると考えます。
旧石器時代狩場の地形イメージ(仮説)

2 縄文時代早期頃の陥し穴罠猟
2-1 陥し穴と炉穴の分布
大膳野南貝塚草創期から前期中葉の遺構として陥し穴と炉穴が検出されています。陥し穴は33基存在していて早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が出土しています。

陥し穴(写真) 赤数字は逆木設置タイプ、青数字はスリットタイプ

陥し穴と炉穴は台地面、台地と斜面の境界、斜面のそれぞれに立地しています。大膳野南貝塚で陥し穴と炉穴が近接して立地している場所がありますが、それらが同時に存在したことは考えにくいので、陥し穴を使っていた時期は別の場所に炉穴(キャンプ地)があり、炉穴(キャンプ地)を使っていた時期は別の場所の陥し穴を使っていたと考えます。

陥し穴と炉穴の地形との対応

2-2 陥し穴罠猟の方法
2-2-1 動物移動路に設置した待ち受け陥し穴
陥し穴の長軸方向をみると北に広がる広い台地面から大膳野南貝塚のある狭い台地面に動物が入ってくる移動路に陥し穴が設置されていたものが多いと考えられます。

陥し穴の長軸方向
陥し穴による狩猟方法は人との関わりの無い状況で動物が餌をもとめて歩いている時にカムフラージュされた陥し穴(罠)に間違って落ちる方法であったと考えます。人が動物を追い、逃げる動物が結果として陥し穴に落ちる狩猟法を想定すると陥し穴の規模が小さすぎると考えられます。また動物が勝手に陥し穴に落ちる罠猟の方がはるかに効率的です。

2-2-2 誘導柵の設置
陥し穴はすべて待ち受けによる罠猟であったと考えますが、その効率をより高めるために動物を誘導する柵や穴に落ちざるを得ない罠仕掛が作られていたと考えます。
13号陥し穴では広域にわたる誘導柵と陥し穴罠仕掛を発掘平面図や発掘状況写真の縄文ピット・黒斑点情報から想定復元しました。

陥し穴誘導柵遺構の存在可能性

13号陥し穴罠猟のイメージ (上が南で地図と反対に表示されています)

2-2-3 陥し穴の連続設置
陥し穴が至近距離に複数設置されている様子が幾つかの地点で観察できます。古い陥し穴の機能が低下して、新しい陥し穴に作り替えたということも考えられますが、恐らく陥し穴を至近距離に連続設置することにより集団で移動する動物の捕捉効率を高めたものと考えます。

至近距離に設置された陥し穴の例 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
15号陥し穴と16号陥し穴の距離は5.7mです。

3 前期集落と後期集落の狩猟方法
3-1 犬を使った狩猟
前期集落と後期集落ではイヌ骨が出土していて犬を猟犬として使った狩猟が行われていたと考えられます。後期集落では犬が竪穴住居から埋葬された状態で出土していていて、犬と人との関わりの深さが判ります。

2号犬骨 J9竪穴住居貝層直下から出土

3-2 狩猟対象獣種
前期集落と後期集落の獣骨出土主要住居祉の情報を確認しグラフ化しました。

主要住居祉の獣推計最小個体数 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

主要住居祉の獣推計最小個体数
前期集落、後期集落ともに狩猟対象獣種のトップはイノシシで次いでその6割程度の量としてシカが続きます。時期別に大きな変動はありません。
イノシシが最もポピュラーな狩猟対象獣種であった理由としてシカとくらべて人家の近くにも出没する習性があることと、同じくシカとくらべて犬をつかった狩猟がしやすかったことがあるのではないかと考えます。
なお、発掘調査報告書では後期集落でイノシシ幼少獣が飼育されていた可能性について言及しています。
上記データで前期集落(諸磯b)3軒と後期集落ピーク時(堀之内1)6軒のトータル推計最小個体数がほぼ同じ値になります。その理由は後期集落では生業の大きな部分を漁労が占めていて、狩猟に裂くパワー・時間が限られていたのに対して前期集落では狩猟が生業のなかで占める割合が大きかったことによると考えます。

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次の資料を公開しました。(2018.07.12)

pdf資料「狩猟方法イメージ 要旨」

pdf資料「狩猟方法イメージ」

上記資料を含めて私の作成した主な資料・パワポはサイト「考古と風景を楽しむ」にも掲載しています。

2018年7月9日月曜日

大膳野南貝塚 狩猟対象獣種

大膳野南貝塚住人の狩猟対象獣種を確認しました。

主要住居祉の推計最小個体数 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
この表を時期別に集計してグラフにすると次のようになります。

主要住居祉の推計最小個体数
前期集落も後期集落の狩猟対象獣種のトップはイノシシで次いでその6割程度の量としてシカが続きます。時期別に大きな変動はないようです。
イノシシが最もポピュラーな狩猟対象獣種であった理由としてシカとくらべて人家の近くにも出没する習性があることと、同じくシカとくらべて犬をつかった狩猟がしやすかったことがあるのではないかと想像します。
なお、発掘調査報告書では後期集落で幼少獣が飼育されていた可能性について言及しています。
上記は獣骨が沢山出土した主要住居のデータですが、それにしても前期集落(諸磯b)と後期集落ピーク時(堀之内1)のトータル推計最小個体数がほぼ同じになることは重要な情報であると考えます。前期集落の全竪穴住居軒数は16軒、堀之内1の全竪穴住居軒数は47軒+α(20軒位?)ですから竪穴住居1軒あたりあるいは住人1人あたりの狩猟獲物数をイメージすると堀之内1の数は大幅に少なくなります。
後期集落では生業の大きな部分を漁労が占めていて、狩猟に裂くパワー・時間が限られていたと考えます。逆に前期集落では狩猟が生業のなかで占める割合が大きかったことがわかります。

2018年7月8日日曜日

漆喰炉に漆喰が堆積している理由

漆喰炉に漆喰が堆積している理由が判りましたのでメモしておきます。

1 漆喰炉造成当初の炉体と燃焼面
1-1 屋内漆喰炉

屋内漆喰炉の炉体と当初の燃焼面 大膳野南貝塚発掘調査報告書掲載情報から作成
屋内漆喰炉はローム・焼土粒・漆喰を捏ね合わせた硬質材が素材となっていて、耐火性を考慮して作られているものと考えられます。漆喰炉造成当初の燃焼面は炉体表面であったと考えられます。漆喰は炉の使用に伴い二次的に生成されたと考えます。

1-2 屋外漆喰炉

屋外漆喰炉の炉体と当初の燃焼面 大膳野南貝塚発掘調査報告書掲載情報から作成

屋外漆喰炉の漆喰堆積の様子 大膳野南貝塚発掘調査報告書掲載情報から作成
屋外漆喰炉の炉体は土・漆喰・貝殻を素材とした材で作られ、強い耐火性を備えたものであると考えます。漆喰炉造成当初の燃焼面は炉体表面であったと考えられます。漆喰は炉の使用に伴い二次的に生成されたと考えます。
屋外漆喰炉には漆喰を掘って埋甕をして、それを固定具として大型土器を固定して料理をしたと考えられます。埋甕内にも漆喰が堆積し、これも埋甕使用に伴い二次的に生成されたものと考えます。

2 漆喰炉内に漆喰が堆積した理由
2-1 屋内漆喰炉

屋内漆喰炉に漆喰が堆積した理由
炉内に小型土器を置いて調理する場合、土器を埋めて安定させる材に破砕貝パウダーが使われ、そのパウダーが調理のプロセスで熱せられ、煮こぼれの水分を吸って漆喰に変容して、それが底や壁に溜まっていったと考えられます。その結果調理をすればするほど炉に漆喰が溜まり炉が浅くなったと考えられます。

2-2 屋外漆喰炉

屋外漆喰炉に漆喰が堆積した理由
大型土器とそれを固定するための固定具(埋甕)の間に破砕貝パウダーを充填して土器の安定を図ったと考えます。パウダーは熱っせられ、煮こぼれの水分を吸って漆喰に変容し、最後には埋甕を漆喰で充満させてしまい、次の埋甕が設置されたと考えます。

3 考察
漆喰が堆積すると炉が浅くなるという問題は生まれますが、漆喰は耐火性がありかつ純白性は熱で失われないので、炉の象徴性・聖性を保持する上で漆喰炉は好都合であり、好まれて使われたものと考えます。
屋内炉で破砕貝パウダーが使われ結果として(二次的に)漆喰が堆積したということが事実ならば、それは土器を常時炉内において調理等に使っていたことを示唆します。小林達雄が言うほどに調理機能が低かったのではなく、逆に土器を使った調理が炉のメイン機能だったことを暗示しているようにも考えられます。