2020年9月20日日曜日

内野第1遺跡土製耳飾のペア探し

 縄文土器学習 468

千葉市内野第1遺跡出土の土製耳飾119点の中にペアであるものがどれほどあるか調べてみました。

調べ方は最大直径区分別装飾性分級別に9区分した土製耳飾実測図を画面上に並べて文様と断面形でざっくりとした分類を行い、そのプロセスの中でペア土製耳飾と直観できるものを抽出しました。

同時に抽出したペア土製耳飾は発掘調査報告書の調査表データ(最大直径、最大幅、最大厚、備考)から、データとしての近似性も確認しました。

1 土製耳飾似たもの探し

1-1 最大直径~3.4㎝ 

ア 装飾性高


土製耳飾似たもの探し 最大直径~3.4㎝ 装飾性高

ペア土製耳飾は見つかりません。

イ 装飾性中


土製耳飾似たもの探し 最大直径~3.4㎝ 装飾性中

ペア土製耳飾は見つかりません。

ウ 装飾性低


土製耳飾似たもの探し 最大直径~3.4㎝ 装飾性低

13と115がペア土製耳飾である可能性があります。しかし、形状が単純で小さいためペアであると確信できる特徴点は少ないです。

1-2 最大直径3.5~5.9㎝

ア 装飾性高


土製耳飾似たもの探し 最大直径3.5~5.9㎝ 装飾性高

ペア土製耳飾は見つかりません。

イ 装飾性中


土製耳飾似たもの探し 最大直径3.5~5.9㎝ 装飾性中

ペア土製耳飾は見つかりません。

ウ 装飾性低


土製耳飾似たもの探し 最大直径3.5~5.9㎝ 装飾性低

92と101及び64と65の2組がペア土製耳飾である可能性が濃厚です。

1-3 最大直径6.0㎝~ 

ア 装飾性高


土製耳飾似たもの探し 最大直径6.0㎝~ 装飾性高

34と35複雑な文様と形状がほぼ一致するので、ペア土製耳飾であると断定できます。

イ 装飾性中


土製耳飾似たもの探し 最大直径6.0㎝~ 装飾性中

ペア土製耳飾はみつかりません。

ウ 装飾性低


土製耳飾似たもの探し 最大直径6.0㎝~ 装飾性低

40と57及び39と41の2組がペア土製耳飾である可能性が濃厚です。

2 ペア土製耳飾

1の検討でペア土製耳飾と断定できるものから多少不確かさが残るものまで含めて6組のペア土製耳飾を抽出できました。

土製耳飾の全出土数は119点ですから、ほぼ1割がペアであったことになります。

3 考察

ア 土製耳飾は両耳にペアで着装されていた。

出土数は少ないけれども1割はペア土製耳飾であることから、土製耳飾は両耳にペアで着装されていたことは確実であると考えます。

イ ペア土製耳飾出土が少ない理由

土製耳飾の9割が片方で出土する事象にはそれに対応する祭祀上の理由が存在すると考えます。

耳飾知識が少ない現段階で仮考察を次のようにします。

現代社会で女性がイアリングを片方なくす、隠す、捨てるという行為は、それをプレゼントしてもらった恋人と別れる場合、裏切られた場合、捨てられた場合などの破局を意味します。※

この現代女性心理のアナロジーで次のように想像します。

・土製耳飾は身体変工を伴う通過儀礼で着装するものであり、集落から、突き詰めれば集落リーダー(=シャーマン)から支給されたものであった。

・したがって、土製耳飾は神-シャーマン-自分という関係性を表現するものであった。

・何らかの理由で集落リーダー(=シャーマン)を拒否(殺害、追放)しようとした時、人々は集落リーダー(=シャーマン)との関係を清算する意思表示として土製耳飾の片方を山奥や谷底に投げ捨てた。

・内野第1遺跡に近在近郷の人々が片耳だけの土製耳飾をしてやってきて、集落リーダー(=シャーマン)を処刑あるいは追放する祭祀を行った。人々は祭祀の後、片方の土製耳飾をその場に捨てた。

ウ 土製耳飾の文様について

土製耳飾の文様は類似のものがあり、家紋のような役割をしていて家族毎に同じデザインをつかっていたのかもしれません。

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※ 参考 ユーミン 真珠のピアス 



2020年9月17日木曜日

祈りと不安に関する妄想

 縄文社会消長分析学習 46

ある待ち合わせ時間に山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)をペラペラめくって、この図書の素晴らしさを噛みしめていました。

そんな中でつぎのページの記述に目がとまり、妄想が発展しましたので、メモします。

1 山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)306ページの記述


山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)306ページの記述

 私たちは社会や文化の発展を、大きな建物がある、あるいはモノがたくさんあるといった、量的な見地から測ることが多い。だが、それは限られた一面的な見方である。ない・少ないという意味も合わせて考えるべきなのだ。土偶や石棒などの呪術具の数が多いということは、それだけ当時、それが必要とされた場面があったということにほかならない。物理的・精神的な不安がいっぱいあるがゆえに多くの祈りを捧げなければいけない生活と、不安を移動などの方法によってすみやかに解決し、祈る必要のない生活。どちらの方がより「人間的に豊かな生活」であると、読者の皆さんは思われるだろうか。

2 不安と祈り 

ア 306ページの趣旨

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)306ページの記述趣旨は次のように理解します。

定住して人口が増えると不安が増え祈りが必要になる。したがって土偶や石棒なども増える。人口が少なく移動が多ければ祈りの必要性は少なく、土偶や石棒は少ない。

この趣旨はその通りだと思います。

イ 縄文後晩期の不安

同時に人口増大し定住しただけでは土偶や石棒が増えない場合もあります。千葉県の貝塚の中期は人口急増しましたが、土偶は皆無といっていいほどの少なさであり、石棒も大変少ないです。人々に不安が少なく、したがって祈りも少なかったことは土偶や石棒の出土量から言えます。

しかし、後晩期になると土偶や石棒が急増します。人々の不安が急増します。

以下、その理由を妄想します。

3 縄文後晩期に土偶や石棒が増えた理由(千葉県)

縄文後晩期に土偶や石棒が増えた理由を千葉県をイメージしながら考えてみます。

縄文後晩期では中期と比べて土偶や石棒が飛躍的に増えました。

縄文後晩期にはそれだけ不安が人々に広がり、土偶や石棒を利用した祭祀が必要だったということです。

その増大した不安とは何か?

増大した不安の根源は大陸から伝来した原始農業社会(階層化社会)仕様の地母神神話による祭祀そのものであると考えます。

地母神神話による祭祀(以下地母神祭祀と略称)伝来前までの不安解消方法は旧石器社会由来のアニミズムだったと空想します。

中期にはアニミズムと地母神祭祀が地域的にすみわけしていました。ところが後晩期には地母神祭祀が列島を席捲しました。千葉県の貝塚集落も後期になると地母神祭祀社会に変貌しました。

地母神祭祀には、階層社会由来の「人の生贄」(下層民犠牲による危機の克服)、「身体変更」(出自や階層の肉体表現義務化)などが含まれます。

「人の生贄」は現代人がそれを風景としてみれば残酷な公開集団リンチ・処刑です。縄文人にとっても刺激の強いもので、生贄にされる方は当然のこと、生贄にする方も強いストレス・不安を感じていたに違いありません。同時に人の残酷殺害ショーを快楽・最高の娯楽として感じていたとも想像します。

「身体変工」は抜歯、耳たぶ穿孔肥大化、全身の入れ墨、ペニス異形化などで、少年少女期、青年期、壮年期の通過儀礼で、多大な苦痛を伴うものであったことは確実です。ストレス・不安の素であったことは確実です。同時に、それが社会の掟であり、それから逃れることはあり得なかったことだと思います。

つまり、地母神祭祀活動そのものに強いストレスの素、不安の素が内包されていて、そのストレス・不安を解消するためにより一層石棒や土偶を使った祭祀活動が必要だったと考えます。

縄文後晩期に気温低下して食糧が不足し、その不安のために祭祀が発達したという縄文専門家一般の考え方は「嘘っぱち」だと考えます。(気温低下は無かった、むしろ現在より高いとデータは語ります。食糧も中期と比べて逆に増えたことをこれまたデータが語ります。)

中期に大陸から伝来した地母神祭祀により縄文社会が弱体化したと考えます。

地母神祭祀と一緒に伝来したであろう原始農業を発展させれば、地母神祭祀と農業の組み合わせにより縄文社会は農業社会へと踏み出し、全く別の社会発展があったにちがいありません。

「本格農業はしません、しかし魅力的な祭祀だけは全面的に受け入れます。」という縄文社会の主体的対応(選択)がその後の社会衰退につながったと考えます。


2020年9月15日火曜日

内野第1遺跡土製耳飾の最大直径別出土数と装飾性との関係

 縄文土器学習 467

2020.09.15記事「内野第1遺跡土製耳飾119点の最大直径別頻度分布」のつづきです。

1 実測図による装飾性分級

発掘調査報告書では土製耳飾を6群31類に分類していますが、この記事では土製耳飾の全体像をざっくり知ることが目的ですので、最大直径区分別実測図集成を見ながら、次のような装飾性分級を行いました。

●最大直径1.0~3.4㎝(少年少女)

装飾性高…有文のもの

装飾性中…無文で中央部穿孔のあるもの

装飾性低…無紋で中央部穿孔のないもの

●最大直径3.5~5.9㎝(青年)

装飾性高…円形で全面有文のもの

装飾性中…環形で有文のもの

装飾性低…円形または環形で無文のもの

●最大直径6.0~8.4㎝(壮年熟年)

装飾性高…滑車形で有文のもの

装飾性中…環形で有文のもの

装飾性低…円形または環形で無文のもの

最大直径1.0~3.4㎝(少年少女)装飾性分級


最大直径3.5~5.9㎝(青年)装飾性分級


最大直径6.0~8.4㎝(壮年熟年)装飾性分級

2 装飾性差異の意味

最大直径区分(=世代区分)のそれぞれに装飾性高のもの、中のもの、低のものが出現します。つまり、各世代ともに装飾性という観点でいうと明白な差異が存在していることがわかります。

装飾性の高中低という差異はその耳飾を装着していた人の社会階層に対応していると想定します。

装飾性高の耳飾を装着していた少年少女・青年は集落のなかで高位のポジション、指導的ポジション、祭祀執行的ポジションにある家柄出身である考えます。その耳飾を装着していた壮年熟年は実際に高位的、指導的、祭祀執行的な人物であったと考えます。

装飾性中の耳飾を装着していた少年少女、青年、壮年熟年は集落の一般住民であったと考えます。

装飾性低の耳飾を装着していた少年少女、青年、壮年熟年は集落の中で下層で劣位な立場の住民であったと考えます。

3 最大直径区分別の装飾性分級

最大直径区分別(=世代区分別)の装飾性分級をグラフで示すと次のようになります。


最大直径区分別(=世代区分別)の装飾性分級

少年少女(~3.4㎝)と青年(3.5~5.9㎝)のグラフパターンは極端に違いません。しかし壮年熟年になると少年少女や青年と比べて、装飾性中の数が増えます。

この関係をより分かりやすく知るために、各世代ごとに装飾性高中低の割合を見てみました。


最大直径区分別(=世代区分別)の装飾性分級(割合)

少年少女や青年と比べて、壮年熟年になると装飾性中の割合が増え、装飾性低と高が減少します。

この現象は後晩期の階層性が強まった縄文社会の様子を伝えているものとして興味を持ちます。

4 世代区分別に装飾性分級の割合が変化する理由

現時点では次のような状況を空想します。

【装飾性低装着の人々】

・装飾性低の耳飾を装着していた人々は社会下層に位置付けられていた。その社会位置を示すものとして装飾性低の耳飾装着を義務付けられていた。

・社会下層の人々はそれ以外の人々と比べ食糧事情など生活環境が劣悪であり、また危険や不衛生な仕事に携わる機会も多く死亡率が高かった。

・さらに犠牲(人身御供など)が必要な場合は社会下層の人々が主にその対象となった。

・したがって少年少女では装飾性低は一番割合が多いが、青年になると少なくなり、壮年熟年ではさらに割合が減少し、少年少女の半分近くになる。

【装飾性中装着の人々】

・装飾性中の耳飾を装着していた人々は社会の中核をなす人々つまり一般住民であり、その社会位置を示すものとして装飾性中の耳飾装着を義務付けられていた。

・装飾性低や高の耳飾を装着する人々(下層民、指導層)の死亡率が高いため、壮年熟年になると相対的に一般住民の割合が増える。

【装飾性高装着の人々】

・装飾性高の耳飾を装着していた人々は集落の中で高位的、指導的、祭祀執行的な立場にある上層民であり、一言で特徴づければシャーマンとその家族であった。シャーマンは装飾性高の耳飾装着が義務付けられていた。

・シャーマンは霊力を失ったときには殺されたりしたため寿命が短かった。そのため壮年熟年になるとその数が減少した。

メモ 石棒先端装飾意味と身体変工

 縄文石器学習 27

以前から石棒先端に施される装飾の意味が判らず気になっていました。各地展示施設学芸員の方に尋ねても納得のいく答えには出会えませんでした。

ところが、土製耳飾の装着のために耳たぶ穿孔拡大という身体変工が行われていることを知り、さらに世界中の身体変工事例を学習するなかで、石棒先端装飾が身体変工を表現しているものだと直感できましたのでメモしておきます。特段の証明材料はありませんが、自分にとっては蓋然性の高い直観です。

1 石棒先端の装飾例


石棒先端装飾を示す例(これまでに作成した3Dモデル画面)

・尖石縄文考古館出土石棒…中期

・匝瑳市のさか図書館展示石棒…晩期(匝瑳市豊和地区出土)

・加曽利貝塚博物館展示石棒…後期加曽利B3式(112号住居)


加曽利貝塚博物館展示石棒の実測図

貝塚博物館紀要第8号から引用

・清瀬市郷土博物館展示石棒…中期(清瀬市野塩外山遺跡)

いずれの石棒も先端部に輪状の凹みが装飾されています。

2 石棒先端装飾の意味(想像)

石棒先端装飾はペニス亀頭部にリング状のモノを付けて施した変形(身体変工)を表現していると直観します。直接の証明はそのような身体変工を施した遺体が発掘される可能性はほぼゼロであるのでできないと思います。しかし、民族例を詳しく調べればその仮説のより説得的な説明はできると考えます。

ペニス先端を変形させる意味は、それだけの苦痛を克服するという通過儀礼的な意味と、性行為における効果に関連すると想像します。

3 ペニスにかかる身体変工の例

ウシュマル遺跡(メキシコ、マヤ文明)でペニスの竿部分に身体変更を施した石像を観察したことがあります。


ペニス竿部分の多数の傷跡

残念ながら亀頭部は欠けています。


傷のついたペニスを出した石像

案内人の説明では重要な祭祀ではリーダーがペニスから放血し、その血が祭祀に使われたとのことです。そのような傷跡をペニスに持つことがリーダー(=シャーマン)の要件だったようです。


ウシュマル遺跡全景

4 感想

ペニスにかかる身体変工は汎世界的に存在するようですから、縄文時代に存在しないと考える方が疑わしいくらいです。しかし調べようがありません。

石棒祭祀の背景に男性によるペニスの身体変工があると考えます。石棒祭祀の検討にはペニス身体変工の存在について考察することが不可欠です。

内野第1遺跡土製耳飾119点の最大直径別頻度分布

 縄文土器学習 466

2020.09.12記事「縄文後晩期土製耳飾に関する問題意識」で、土製耳飾に大中小があり、それは装着年齢を表していますが、それぞれに装飾性の高いものから低いものまであることを直観しました。この直観が正しければ、土製耳飾出土情報が社会階層性存在の明瞭な指標となっているかもしれないと考え、大いに興味を持ちました。そこで、発掘調査報告書データを直接いじくって、最大直径データ(=年齢相関データ)と装飾性分級との関係について簡易な分析をしてみました。

この記事では最大直径別出土数について集計しました。

1 土製耳飾119点の最大直径頻度分布とその解釈

発掘調査報告書で最大直径(㎝)としている数値は耳飾が断片であっても円形と仮定して求めている仮想完成形の直径であると考えられます。したがって、この最大直径の数値をそのまま利用して、その頻度分布を0.5㎝刻みで求めてみました。

なお、出土119点のうち最大直径記載のないもの3点を除いて分析しました。


千葉市内野第1遺跡 土製耳飾最大直径別出土数

この頻度分布図を次のように解釈します。

・1.0~3.4㎝では1.5~1.9㎝をピークとした山形分布をしています。この分布は少年少女が最初に耳たぶに穴を開け小さな耳飾を装着した様子を表現していると考えます。

・3.5~5.9㎝ではピークが存在しない平滑な分布がみられます。これは青年期に至った人々が耳たぶに開けた穴を順次拡大して少しづつ大きな耳飾りに取り換えている様子を表現していると考えます。

・6.0~8.4㎝では6.0~7.4㎝が大きなピークとなっています。これは壮年熟年に至った人々の耳たぶ穴の大きさの限界を示していると考えます。

この解釈の様子を色分けして示すと次のようになります。


土製耳飾最大直径と世代との関係イメージ

最大直径区分別(=世代別)の出土数は次のようになります。


土製耳飾最大直径区分別(=世代別)の出土数

この数値は世代別人口に比例していると考えられるので、興味が湧きます。つまりこのグラフは世代別人口構成比がイメージできるグラフです。

少年少女(10~16歳くらい?)と青年(17~22歳くらい?)の人口は変化は見られません。壮年・熟年(23歳以上)になると数値は大きくなりますが、その増加割合は控えめであり、寿命の短さを暗示しています。

青年の期間を17~22歳の6年間として、その期間の土製耳飾出土数35から、機械的に按分比例で壮年熟年の期間を求めてみると約8年となり、寿命は30歳ということになります。超ラフな思考ではありますが、生データから内野第1遺跡平均寿命をイメージできたことは楽しいことです。

2 最大直径区分別(=世代別)実測図集成

最大直径区分別(=世代別)に土製耳飾実測図を集成しました。

実際の作業は次の通りです。

発掘調査報告書実測図スキャン→Photoshopで個々の実測図切り抜きファイル化→最大直径区分別フォルダーにファイル収納


最大直径1.0~3.4㎝(少年少女)実測図集成


最大直径3.5~5.9㎝(青年)実測図集成


最大直径6.0~8.4㎝(壮年熟年)実測図集成

次にこの実測図集成を使って装飾性分級を行うことにします。(つづく)

2020年9月13日日曜日

縄文後晩期土製耳飾装着の様子

 縄文土器学習 465

縄文後晩期土製耳飾が大きなものは8㎝近くあり、それを耳たぶに装着する様子が十分にイメージできないので、主にwebで情報を集めてみました。装着の様子がだんだんとイメージできるようになりました。

1 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」掲載縄文人の装身具装着イラスト


「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」掲載縄文人の装身具装着イラスト

このイラストの耳飾り部分を拡大しました。


縄文人の装身具装着イラスト 部分拡大

縄文後晩期の土製耳飾は確かに耳たぶでできた輪に装着されています。

2 タイ北部長耳族


少女

https://kknews.cc/zh-hk/travel/j4lr6.html


熟年女性

https://kknews.cc/news/eppop6z.html

耳飾りは銀でできています。

いずれも観光客用に耳飾りを装着した写真です。

3 マサイ族


女性

https://www.pinterest.jp/pin/796926096553960977/


男性

https://www.pinterest.jp/pin/675821487826264685/

いずれも観光客用に耳飾りを装着した写真のようです。

4 イヤリング商品


イヤリング商品宣伝ページ


イヤリング商品宣伝ページ

耳たぶに穴をあけ、それを広げて、その穴にはめ込む耳飾商品の英語宣伝ページが多数あります。

5 感想

・耳たぶを紐のごとく長くのばす身体変工が世界各地で行われ、それが肉体健康的に十分可能であることを知りました。

・耳たぶの身体変工が可能であったとしても、縄文人が日常生活の中で常時土製耳飾を付けていたことは考えれないと感じました。縄文人が土製耳飾を装着したのは祭祀の時であると考えます。

・祭祀以外の時間では長い耳たぶに垂れ下がるような耳飾を装着していたと考えられます。耳たぶの穴を広げるためにも必要ですし、日常レベルの装身のためにも必要です。その日常の垂れ下がり式耳飾がどのようなものであったのか、知ることが一つの学習課題です。

・土製耳飾を装着していない耳は、垂れ下がり式耳飾を装着しても、しなくても長耳になります。恐らく縄文人は長耳の方が通常の耳より価値のある耳として感じていたに違いありません。

6 参考

たまたま本日(2020.09.13)メールで届いたThomas Flynn氏の新着3DモデルHead Of Buddha - Optimised Re-Upload(Kushan period, 2nd/3rd century Pakistan (Ancient Region of Gandhara))をみるとブッダの耳に大きな穴が開き、長耳になっています。耳たぶに大きな穴を開ける身体変工は思っていた以上に一般的であるようです。

Thomas Flynn氏の新着3DモデルHead Of Buddha - Optimised Re-Upload




2020年9月12日土曜日

縄文後晩期土製耳飾に関する問題意識

 縄文土器学習 464

千葉市埋蔵文化財調査センターに展示されている4点の土製耳飾について3Dモデルをつくり観察しました。マジマジと縄文耳飾を観察し、耳飾は何が問題なのか考えたのは極端に言えば生まれて初めてです。

2020.09.11記事「縄文後晩期土製耳飾2点の3Dモデル」

2020.09.02記事「縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル」

この4点の展示耳飾の実測図を発掘調査報告書で探してブログ記事に引用する作業をする中で、千葉市内野第1遺跡の耳飾実測図掲載5ページと一覧表4ページを何回も見て、スキャンなどもしました。

内野第1遺跡出土の土製耳飾は全部で119点あります。

ふと気が付くと、次のような問題意識が自分の思考に生まれましたのでメモします。

1 土製耳飾は大中小が存在する。

土製耳飾は直径1.5㎝程度の小さいもの、直径5㎝程度の中程度のもの、直径7㎝程度の大きなものまで大中小の大きさの異なるものが出土します。

おそらく小さなものは少年少女が初めて耳たぶに穴を開けてその穴にはめ込んだ最初の土製耳飾であると考えられます。

その後人々は耳たぶの穴を広げる努力をして青年期頃(結婚適齢期頃?)には中程度の土製耳飾を耳に装着していたと考えます。

そして壮年期・熟年期になると最大の大きさの土製耳飾を耳に装着していたと考えます。

つまり土製耳飾の直径の大きさはそれを装着する人の年齢に対応すると考えられます。

2 土製耳飾大中小ともに装飾性が高いものから低いものまで存在する

土製耳飾大中小ともに装飾性が高いもの、中程度のもの、低いものが存在します。


大きな耳飾(壮年・熟年用?)の装飾性


中程度(青年用?)と小さな(少年少女用?)耳飾の装飾性

3 家柄(世襲的血統)による階層の存在か

大中小の各大きさともに装飾性の差別化があるという事実から否が応でも土製耳飾に対する強い興味が生まれます。

少年少女、青年、壮年・熟年ともに3段階の装飾性差別化があるということは、家柄(世襲的血統)による明確な階層が内野第1遺跡に存在していたことを物語っているのではないかという問題意識が生まれます。

「耳飾とは家柄(世襲的血統)を示すサインであり、内野第1遺跡社会は明瞭な階層社会であった」という学習上の作業仮設を設定し、その検証を学習プロセスの中に組み込みたいと思います。

4 内野第1遺跡出土土製耳飾119点の分類

内野第1遺跡出土土製耳飾119点の分類を統計的手法を使って行い、大きさと装飾性の関係を定量的に把握してみることを当座、臨時的に寄道学習することにします。

2020年9月11日金曜日

縄文後晩期土製耳飾2点の3Dモデル

 縄文土器学習 463

千葉市埋蔵文化財調査センターに展示されている縄文後晩期土製耳飾2点について3Dモデルを作成して観察しました。2020.09.02記事「縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル」で観察した土製耳飾と一緒に展示されているものです。

1 縄文時代後晩期土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点 観察記録3Dモデル

縄文時代後晩期土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点 観察記録3Dモデル

右:番号113、最大長5.0㎝、最大厚1.5㎝、重量31.9g、刻目列、刻目瘤 

左:番号83、最大長5.3㎝、最大幅0.8㎝、最大厚2.3㎝、重量33.1g、刻目瘤、沈線 

撮影場所:千葉市埋蔵文化財調査センター 

撮影月日:2020.08.20 

ガラス面越し撮影 

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.007 processing 39 images


展示の様子


展示の様子 特殊モード写真


右:番号113の実測図

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


左:番号83の実測図

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


3Dモデルの動画

2 メモ

・この二つの耳飾は直径5㎝、重量30g程度です。これを耳たぶに装着すればかなり強い印象を与えることができます。2020.09.02記事「縄文後期終末土製耳飾2点の3Dモデル」で観察した耳飾は直径7㎝、重量50g程度になります。これらの耳飾を付けた縄文人を現代人が見れば「美しい」という印象ではなく「恐ろしい」という威圧感を感じるに違いありません。

・縄文中期遺跡から出土する耳飾りは別のタイプで小さなもので、出土量もわずかです。

・縄文後晩期における土偶祭祀と耳飾りの盛行は、石棒祭祀や抜歯習俗、入れ墨習俗と一連の社会現象で、その根は同じ外来「排他的新興宗教」みたいなものから派生していると想像します。中期に大陸から伝来した地母神殺害再生神話が後期に異常な展開をして、社会ががんじがらめになってしまったと考えます。

・後晩期女性縄文人は耳たぶに穴を開けて徐々に大きくして、年齢とともに大きな耳飾を付け、現代人からみると「苦痛に耐えることが生きること」という幸福でない人生を送っていたと考えます。

2020年9月9日水曜日

千葉市有吉北貝塚出土アリソガイと皮なめし作業との関係(想像)

 縄文貝製品学習 14

1 アリソガイと皮なめしに関する問題意識

千葉市有吉北貝塚を念頭に、アリソガイ製ヘラ状貝製品が皮なめしに関連しているという作業仮説で学習を進めています。

予備実験でアリソガイを革に擦るとクリーム状の物質が塗布され、革が柔らかくなることを体感し、アリソガイが皮なめしに関連していることの確からしさを実感しました。

しかし、次のような問題意識も生まれました。

ア アリソガイの効用で脱毛や柔軟化を全て賄うことは可能か?

アリソガイを擦って塗布できる物質(炭酸カルシウム)はどんなに頑張っても微量であることに変わりはありません。アリソガイの炭酸カルシウムが水分と反応して強アルカリの水酸化カルシウムが形成され、皮に有用な変化をもたらすことはある程度できることは間違いないと考えます。しかし、それにより原皮を見違えるように変化させることができるのかどうか判断に苦しみます。

シカ原皮で実験的に確かめるしか方法がありません。

現時点での感想は、原皮の脱毛や柔軟化の基本作業はアリソガイ利用以外の方法で行われていたと考えます。

アリソガイを擦るという微妙な力による手作業は、毛が密集するシカ皮脱毛の基本作業とは平仄が合わないという筋肉的感想を予備実験で持ちました。

イ 千葉市有吉北貝塚でシカ頭骨の出土数が少ないこと皮なめしとの関連

千葉市有吉北貝塚発掘調査報告書ではシカ骨について、全身部位の中で上・下顎骨が少ない偏りが見られ、その偏りは資料の採集もれなどではなく、積極的に評価できる情報であるとしています。上・下顎骨が少ない理由として、狩猟した場所に頭蓋骨や椎骨などを置いて、主要な四肢と肉を集落に持ち帰ることがあったと解釈しています。

この解釈に従えば、シカは狩猟基地で皮剥ぎと解体が行われたと考えることができます。

また、集落に皮なめし必須道具である下顎骨を搬入していないことから、皮なめしも狩猟基地で行っていたと考えられます。

狩猟基地でおこなう皮なめしの方法は判りませんが、シカの脳漿を使った皮なめしが存在していたかどうかが大きな論点になるかと思います。

2 アリソガイと皮なめしの関係(想像)

上記の問題意識に基づいて、有吉北貝塚におけるアリソガイと皮なめしの関係を現時点で次のように想像します。

・狩猟基地でシカの皮剥ぎと解体が行われた。

・四肢と肉は直ちに集落に運搬され消費された。

・狩猟基地で皮は水洗いされ、下顎骨製品で脂肪・肉片等が除去された。(シカ脳漿を使った?)皮なめしも行われた。

・基本的な皮なめしが済んだ革が集落に持ち込まれ、アリソガイの効用を使って革に残る毛や残留物等が丁寧な手作業で除去され、革が上質・高級なものに生まれ変わった。さらに染色が行われ、その革で製品が作られた。


千葉市有吉北貝塚出土アリソガイ製ヘラ状貝製品

千葉市有吉北貝塚発掘調査報告書から引用


2020年9月8日火曜日

縄文中期アリソガイの利用原理(作業仮説)

 縄文貝製品学習 13

縄文中期の千葉市有吉北貝塚などから出土するアリソガイ製ヘラ状貝製品の用途が、現代製革工程の石灰漬けに相当するものであると作業仮説して学習を進めてきました。この記事ではさらに踏み込んでアリソガイ製ヘラ状貝製品の利用原理についての作業仮説を設定します。

1 現代製革工程と縄文時代アリソガイ製ヘラ状貝製品役割の対応(作業仮説)


現代製革工程と縄文時代アリソガイ製ヘラ状貝製品役割の対応(作業仮説)

2 縄文中期アリソガイ製ヘラ状貝製品の利用原理(作業仮説)


縄文中期アリソガイ製ヘラ状貝製品の利用原理(作業仮説)

1 アリソガイを皮に擦りつける→ペースト状の炭酸カルシウムが皮表面に塗布される。

2 皮を水で湿らせる→水とペースト状炭酸カルシウムが反応して水酸化カルシウムが生成される。

・炭酸カルシウムが水に溶解し、炭酸イオンとカルシウムイオンに乖離する。

・炭酸イオンは水のHと結びついて炭酸(弱酸性)になる。

・カルシウムイオンは水のOHと結びついて水酸化カルシウム(強アルカリ性)になる。

・全体が強アルカリが支配する状況となる。

3 皮が水酸化カルシウムにより現代製革工程石灰漬けと同じ効果を受ける。(毛・表皮の破壊、非コラーゲンタンパク質の除去、脂肪のケン化がなされ、皮は膨潤し、線維組織がゆるめられほぐされる。皮の線維構造に均質化が図られ、革となったときの柔軟性が向上する。)

この作業仮説は予備実験でアリソガイを革に擦りつけると微量のペースト状貝成分が革に塗布されることから最初のその確からしさ感触を得ています。

3 縄文中期アリソガイ製ヘラ状貝製品の利用原理(作業仮説)の問題点と検証

ア 問題点

ア-1 アリソガイ貝成分塗布の微量性

アリソガイを擦りつけると確かに貝成分(炭酸カルシウム)がペースト状に革表面に塗布できました。しかしその量は極めて微量です。この微量の炭酸カルシウムが水と反応してさらに微量の水酸化カルシウムが生成され、それが原皮の脱毛や柔軟化にどのように影響するのか、原皮に生じる化学反応の大局観を素人故にもつことができません。

おそらく、縄文中期には脱毛や柔軟化について既に既存の技術が確立存在していたことは間違いないと思います。脱毛や柔軟化の基本的工程は済んでいる状況のなかで、最後の仕上げ、上等化・高級化のステップで使われたような気がします。

例えば、脱毛や脂肪除去作業でどうしても取れない微小異物について、鋭い削器等を使うと原皮が傷つく恐れがあるとき、アリソガイを使って「魔法」のように異物を除去するというようなイメージが湧きます。

ア-2 出土アリソガイの廃棄基準

出土アリソガイの写真を見ると摩耗の程度から、貝が少し縮小して手で持ちにくくなったら廃棄しているように観察できます。

これはアリソガイ在庫が豊富にあり、使い勝手優先で考えることができる状況があり、少しでも使い勝手が悪くなると廃棄していたように感じられます。

この現象から、アリソガイの利用にあたって、貝成分をいかに多量にゴシゴシ塗布するかという問題意識より、いかに擦りつけ使い勝手を維持するかという方に重点があるように感じられます。つまり貝成分塗布ではない別の操作問題意識が存在していた可能性があります。

例えば皮なめし薬剤や染色剤の塗り込みがアリソガイで行われていた可能性もありうると考えます。貝が摩耗縮小すると薬剤の塗り込みがしにくくなるのかどうか確かめなければなりません。考察の範囲を広げなければなりません。

イ 検証

作業仮説の検証をシカ皮などの原皮(体から剥いだ直後の皮)で行う必要があります。

その場合、縄文中期製革工程モデルをいくつか作り、その中にアリソガイ利用をいろいろな場面に組み込むという多数ケースについて実験的に考察する必要があります。


アリソガイ製ヘラ状貝製品(出土物)

西野雅人先生提供資料から作成


アリソガイ(現棲)

現物は西野雅人先生から借用