2014年10月2日木曜日

遺跡密度図による旧石器時代移動路パターン作業仮説の作成

花見川地峡史-メモ・仮説集>3花見川地峡の利用・開発史> 3.1埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討>3.1.36遺跡密度図による旧石器時代移動路パターン作業仮説の作成

時代が後先逆になりますが、ヒートマップから旧石器時代における狩人の移動経路パターンの作業仮説をつくり、今後の検討の道具(たたき台)として使うことにします。

旧石器時代人の移動経路は既に2014.09.02記事「旧石器時代埋蔵文化財所在地プロット図の考察」で1回作成しています。

擬似遺跡プロット図で作成した「旧石器時代の想像狩ルートと地峡」

このルート図に次の変更を加え、ヒートマップに基づき移動路パターン作業仮説をつくりました。

ヒートマップによる作業仮説をつくるにあたって変更した主要事項
●旧石器時代人は台地内谷津(台地内であるが沖積層による埋没前の深い谷)を横断して移動していないという考えを改め、台地内谷津を横断して移動していたと考えます。
台地内谷津(印旛沼谷津など)は当時深い谷であり、当初は、移動でそこを通過していないと考えていました(上図参照)。しかし、旧石器時代狩方法に関する認識が深まり、深い谷でもその谷津を横断して移動していたと考えることの方が合理的であると考えるようになりました。

参考 旧石器時代の代表的狩方法の想定

旧石器時代人の狩は台地端の深い谷急斜面(崖)を利用して行われていたと考えます。
また狩で得た獲物の解体処理には水が必要ですから谷底の川でその作業を行ったと思います。
つまり、旧石器時代人は崖を狩場として、崖下の川を解体処理場として利用しているのですから、言わば崖の住人です。崖とともに生きている人びとです。その崖人間が、移動の際だけはエネルギー節約で崖を避けて遠回りして対岸に渡ったと考えることはあり得ないと思います。
土地全体が狩場である千葉県北部にあっては、深い谷でも物ともせずに横断したと考えます。

このような考えで作成した作業仮説を次に示します。

遺跡密度図による旧石器時代移動路パターン作業仮説(ar2014100201)
基図は旧石器時代遺跡密度図(ヒートマップ)

遺跡密度図による旧石器時代移動路パターン作業仮説(ar2014100201)
基図は地形段彩図

縄文時代交通路パターン作業仮説と較べると大雑把な地図になってしまいました。
個々の旧石器時代遺跡の意味をまだほとんど知らないので、また擬似プロット図しかないので仕方がありません。
今後個々の旧石器時代遺跡の意味を知り、また真性プロット図ができれば、移動ルート想定レベルが画期的に向上すると思います。

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