2014年10月11日土曜日

古墳時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

花見川地峡史-メモ・仮説集>3花見川地峡の利用・開発史> 3.1埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討>3.1.43古墳時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

1 古墳時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成
旧石器時代、縄文時代、弥生時代と同じ方法で古墳時代遺跡密度図(ヒートマップ)を作成しました。

途中経過で作った擬似プロット図と最終成果のヒートマップを並べて示します。

古墳時代 擬似プロット図とヒートマップ

2 市区町村別遺跡密度図とヒートマップの比較
市区町村別遺跡密度図とヒートマップを対照して示すと次のようになります。

古墳時代 市区町村別遺跡密度図とヒートマップの対照
市区町村別遺跡密度図で得ることができる情報を、ヒートマップはさらに詳しく展開してより具体地理的に示しています。
二つの地図に比較から、市区町村別遺跡密度図から得られる情報が、使っている市区町村界が非整形、大小ばらばらにもかかわらず、思いのほか価値のある情報であると直感できます。

3 弥生時代と古墳時代のヒートマップ比較
弥生時代と古墳時代のヒートマップを対照できるように示すと次のようになります。

弥生時代と古墳時代のヒートマップ比較
赤い目玉(遺跡高密度地域)を含めて密度分布に根本的変化が見られないのが最大の特徴です。縄文時代→弥生時代の比較ではヒートマップ分布に根本的な変化が見られました。
弥生時代→古墳時代でヒートマップ分布に根本的変化が見られない理由は、人々の生業が同じ農耕であることに因るからだと思います。
弥生と古墳という違いは同じ農耕社会における社会発展の段階の違いを示していますが、これはヒートマップで上総における遺跡高密度域拡大、下総における遺跡高密度域縮小という形で表現されています。
弥生時代と比べて古墳時代には房総とヤマト王権とのつながりが強まり、房総で地理交通的にヤマト王権と最も密接につながる上総が最初に栄えたということだと考えます。

この時代の上総と下総のニュアンスを次の図に表現してみました。

古墳時代遺跡密度図から感じる上総、下総のニュアンス

上総を下総と比較すると、ヤマト王権と上総は直結しているが、下総は海路はるばる房総半島を廻って香取の海に入るという遠回りをするか、上総経由でつながるしかなかったのです。
従って、ヤマト王権に近い「上」としての上総、それより遠い「下」としての下総という名称とともに、恐らく上総:下総=房総の中心:房総の縁辺というようなプラス感情、マイナス感情の伴うニュアンスがあったものと想像します。

参考 奈良時代の房総三国
「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)から引用、塗色

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