1 知識習得加速のための環境整備
考古歴史知識習得を加速させるために、現在「千葉県の歴史」を集中的に学習しています。
「千葉県の歴史」のうち次の7巻を手元に揃え学習しています。
●揃えた「千葉県の歴史」
・通史編 原始・古代1
・通史編 古代2
・通史編 中世
・資料編 考古1(旧石器・縄文時代)
・資料編 考古2(弥生・古墳時代)
・資料編 考古3(奈良・平安時代)
・資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)
揃えた「千葉県の歴史」の特設本棚収納
この7巻の本を効率的に学習するための環境を整備しました。
パソコンの画面(2014.03.30記事「モニターを4画面にしました」参照)に向かって椅子の右脇に特設の本棚を置き収納しました。すぐに本を取り出せます。
また、椅子の左脇に移動可能な袖机(65㎝×60㎝)を置き本を開いて2冊は置けるようにしました。
パソコン画面を置いている机では、いつもの定位置でキーボードをたたきながら、その脇に本を置けます。
このようなパソコン画面-机回りに大冊図書7巻を自由に使える空間を特別整備しました。
この「千葉県の歴史」学習用特設空間を整備する前は大冊図書1冊を利用するだけでも、本を読みながらキーボードを打つことが困難でした。いらいらします。
2冊以上の図書を同時に利用することも空間的に無理があり、勢い学習そのものが億劫になります。学習意欲に対する空間的抵抗が強すぎるのです。
「千葉県の歴史」学習用特設空間整備により、上記のような大形大重量本利用に伴ういらいら、億劫感を完全に排除することができました。
学習加速が出来るようになりました。
2 旧石器時代石器写真から過去に表採した石を思い出す
「千葉県の歴史」学習用特設空間整備により知識習得を加速している最中ですが、その学習の中で旧石器時代石器の写真を見ることが多くなりました。
これまで石器といえば、次のようなイメージを持っていました。
私がこれまで持っていた典型的石器イメージの例
「千葉県の歴史 資料編 考古4」(千葉県発行)から引用
しかし、「千葉県の歴史 資料編 考古4」(千葉県発行)には旧石器時代石器の写真が沢山掲載されています。
例えば次のような写真です。
旧石器時代石器の例
「千葉県の歴史 資料編 考古4」(千葉県発行)から引用
この写真を見て、ハタッ!と思い当たることが脳裏に浮かびました。
2013年8月に自宅近くの散歩コースで縄文土器を表採したのですが(2013.08.10記事「縄文土器を拾う」参照)、その時一緒に拾った石とよく似ています。
拾った表採物を取り出して、石類をよく見ると、上記写真のような石器に見えてきます。
縄文土器と一緒に拾った石類
拾った時はもしかしたら石器かもしれないが、鏃とかナイフとか典型的な石器の形をしていないので、また小さいかけらであるので、現代の路盤敷石のかけら等である可能性もあるものとして、深く考察しませんでした。心に残りませんでした。
しかし、旧石器写真を沢山見る中で、ひょっとしたら拾った石が石器であるのではないだろうかという思考が突然よみがえりました。
出土した場所は分譲地(非住宅)造成のために掘り起こした表土を盛土した場所ですから、土器や石等は原位置から全く離れ、各時代の遺物が混在してしまっています。
もし石器ならば、縄文土器と一緒に盛土から出土したので縄文時代の石器と考えることが順当です。一方造成地付近に旧石器時代遺跡があっても不思議はない場所と考えますので、旧石器時代の石器である可能性もあると思います。
専門家が見れば石の形状等から石器であるかどうか一目でわかることかもしれません。
3 石器似石の表採を思い出した意味
「千葉県の歴史」学習用特設空間整備により、図書をめくる機会が日常的となり、それにより忘れていた石器似石表採を思い出しました。
そして石器似石を再び手に取って、次のような感想が生れましたのでメモしておきます。
●趣味活動の中で1年前に石器似の石を拾い、それが今、眼前に再び現れたのですから、自分の思考が石器の方向を強く指向していたことは確実です。自分の意識の深層部分で石器やそれが象徴する考古歴史に対する深い興味が実在していることを示しています。
小学生の頃、切手収集に熱中していて、路傍の小さな紙屑が次々に切手に見えてしまい、いちいち確認して歩いていました。その心理状況と同じです。
●今、私は「千葉県の歴史」等から得られる知識・情報に基づいて様々な発想をして、いろいろなパソコン作業を経て、新たな情報を生み出そうとしてます。殆どすべて観念的なレベルでの情報作業・操作です。ところが、この観念的思考作業の流れの中で、突然目の前に、石器似の石という現物が現れました。
趣味活動のほとんどが観念レベルの情報作業・操作であるにも関わらず、完全にそれだけでなく、わずかですが現物・現場と結びついていることを我ながら確認できます。大げさにいえば、自分レベルでの趣味活動健全性について、その存在を確認できたような気がします。
コメント失礼致します。掲載されている「縄文土器と一緒に拾った石類」は、残念乍ら石器ではないと判断できます。そもそも石材が石器に利用されるものではございません。市史の写真は、槍先型尖頭器・ナイフ型石器・スクレイパーとかでそれぞれ刃部を付けたりして道具としての意図が見られますが。
返信削除匿名さん コメントありがとうございます。石器について知識ゼロで考古学習を楽しんでいるので、ご指摘の通りだと思います。今も石器知識は限りなくゼロに近いですが、拾った石が砂岩なので、今なら石器とは言わなかったと思います。戦前戦後に道路敷石が紛れ込んだようです。ご指摘感謝します。
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