2014年10月5日日曜日

弥生時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

花見川地峡史-メモ・仮説集>3花見川地峡の利用・開発史> 3.1埋蔵文化財データに基づく地域特性基礎検討>3.1.38弥生時代遺跡密度図(ヒートマップ)の作成

遺跡密度図(ヒートマップ)を使った旧石器時代、縄文時代の検討はどこまでも続いてしまいますので、ここで一旦切り上げて、弥生時代に移ります。

1 ヒートマップの作成
旧石器時代、縄文時代におけるのと同じ次の作業でヒートマップを作成しました。

(ヒートマップの作成は3週間ぶりくらいになるのですが、この程度の時間が空くと、私の場合パソコン操作は確実に忘れてしまいます。そのため、全て初めての時につくった手順メモや操作思い出し用画面画像を見ないとできなくなります。今回も手順メモや思い出し用画面画像を参考に作業してようやく操作のコツを思い出しました。)

●弥生時代ヒートマップの作成手順
ア ふさの国文化財ナビゲーションからダウンロードしてある遺跡csvファイルについて書式上の調整等をしてから、東京大学csvアドレスマッチングサービスを利用して、緯度経度情報を持ったcsvファイルをつくる
イ そのファイルをGISソフト地図太郎PLUSにプロットして、そこからshapeファイル(経緯度座標系)でアウトプットする。
ウ shapeファイル(経緯度座標系)をフリーGISソフトQGISにプロットする。
エ QGISでヒートマッププラグインを使ってヒートマップをつくり、Gtifファイルでアウトプットする。
オ ヒートマップファイル(Gtifファイル)を地図太郎PLUSで開き、他の情報との重ね合せなどを行う。

途中経過で作った擬似プロット図と最終成果のヒートマップを並べて示します。

弥生時代 擬似プロット図とヒートマップ

2 市区町村別遺跡密度図とヒートマップの比較
市区町村別遺跡密度図とヒートマップを対照して示すと次のようになります。

弥生時代 市区町村別遺跡密度図とヒートマップの対照

市区町村別遺跡密度図で得ることができた情報を、ヒートマップはより詳しく展開していることが直感できます。
市区町村別遺跡密度図で得ることができた情報は、千葉県弥生時代の生活・活動の特に濃い場所が2箇所あるという大勢情報です。ヒートマップはこの情報をより地理具体的に展開して指しています。ヒートマップから2つの高密度地域が東京湾岸の幾つかの目玉と印旛沼岸の目玉として理解できます。
また千葉県をぐるりと取り囲むように密度が中程度の高いところ(白いところ)が分布していて、台地と低地の境が特に重要であったことがわかります。

3 縄文時代と弥生時代のヒートマップ比較
縄文時代ヒートマップと弥生時代ヒートマップを対照できるように示すと次のようになります。

縄文時代と弥生時代のヒートマップ対照

縄文時代の目玉(高密度域)と弥生時代の目玉(高密度域)がきれいに分離していて、きわめて特異的、特徴的です。

弥生時代目玉(高密度域)が縄文時代のそれを意識的に避けて立地したことが明確に読み取れます。

大変興味深い事象です。

旧石器時代と縄文時代の目玉はこのような関係ではありませんでした。縄文時代目玉は旧石器時代目玉をそのまま全部踏襲して、さらに独自の自分の目玉をつくっています。(2014.09.13記事「旧石器と縄文の遺跡密度図(ヒートマップ)比較」参照)

抽象的一般的に説明するならば、旧石器時代と縄文時代は同じ狩猟社会、縄文時代と弥生時代は狩猟社会と農耕社会という生業が全く異なる、という点に対応する事象であるからだということになるのかもしれません。

具体的に考えるならば、縄文時代最後期の人々と弥生時代の活動の中心を担った人々はその出自が異なっていたに違いないと想像します。

縄文遺跡をつくった人々とは別出自の人々(移動してきた人々)が縄文遺跡を乗っ取ることなく、別の場所に活動・生活の中心場所を形成し、その別出自の人々の方が繁栄していったとも考えられます。

ヒートマップの目玉の分離現象(非重合現象)は単なる生業の違い(狩猟的と水田耕作的)による棲み分け以上の意味を持っているように思います。

この点についていろいろと情報を集めて、自分の認識を深めたいと思います。

引き続き次の記事で弥生時代ヒートマップについて検討します。

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