花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.216 鳴神山遺跡の墨書土器分布検討 その1
鳴神山遺跡の墨書土器GISデータベースのプロトタイプが完成し、いよいよ文字別等の分布検討に入ります。
なお、文字別等の分布検討の次に出土遺物との関係検討を予定しています。
1 墨書土器出土遺構と非出土遺構
墨書土器出土遺構と非出土遺構の分布を次の全体図に示しました。
鳴神山遺跡墨書土器検討全体図
墨書土器出土遺構を白点、非出土遺構を黒点で表示しています。
なお、都合上調査区域外の遺構も黒点で表現されていますがこの中には墨書土器出土遺構もありますので了解ください。(まだデータベースに登録されていないため、非出土遺構扱いになってしまっています。)
調査区域内の墨書土器出土遺構は170箇所、非出土遺構は178箇所でほぼ半々というイメージになります。
2 2重の環状道路
道路遺構が出土していて、見事な2重の環状道路となっています。
環状道路に囲まれたその中心に位置する場所と内側の環状道路沿いに掘立柱建物が集中していますから、鳴神山遺跡の集落構造がこの2重の環状道路によって構築されたことが判明します。
鳴神山遺跡墨書土器検討主要部図
3 主要文字の分布検討
次の図は鳴神山遺跡出土文字の量をイメージ的に示したものです。
鳴神山遺跡 5点以上出土した墨書・刻書土器文字・熟語
これらの文字・熟語の分布について検討します。
●大の分布
文字「大」の分布図(遺跡別出現数グラフの分布図)を示します。
文字「大」出土分布図
特定遺構(Ⅰ47A竪穴住居)に43件の出土が集中していることが大きな特徴となっています。
43件の史料はほとんどが打ち欠き土器です。
文字「大」を祈願文字として共有する集団が、Ⅰ47A竪穴住居趾付近で酒宴を行い、その後既に遺棄されていたⅠ47A竪穴住居趾の穴に打ち欠いた土器を捨てたのだと思います。
従って、文字「大」を祈願文字として共有する集団の首領の棲みか(根拠地)がⅠ47A竪穴住居趾付近にあると想定できます。
重要なことは、その場所が2重の環状道路の外側にあることです。
文字「大」の分布全体も2重の環状道路の外側のものが大勢を占めています。特に環状道路の北側に分布の主要部があります。
従って、分布からだけで考察すると、文字「大」を共有する集団は集落主要部(中枢部)とは離れていることから、数は多いけれど権力構造の中では劣位なポジションにいた可能性があります。
集落の北に広がる台地面における実労働部隊であるという印象を持ちます。
●大加の分布
文字「大加」の分布図を示します。
文字「大加」出土分布図
分布の大要が「大」と共通していますから、「大加」を祈願文字として共有した集団は「大」を祈願文字として共有した集団の一つの系統(支族、分派)であることはほぼ確実だと考えます。
「大加」も特定遺構(Ⅰ44竪穴住居)に17件の出土が集中します。その17件のほとんどが打ち欠き土器です。
「大加」を祈願文字として共有した集団の首領の棲みか(根拠地)がⅠ44竪穴住居近くにあったことが想定できます。
●依の分布
文字「依」の分布図を示します。
文字「依」出土分布図
文字「大」「大加」と見事の棲み分けるように環状道路の中心部の特定遺構(Ⅱ84竪穴住居)から28件の「依」墨書土器が出土します。これもほとんどが打ち欠き土器です。
「依」は「衣」に通じ被服関係業務を使命とする集団の祈願文字であると考えます。
現時点では近くの掘立柱建物が被服関係の倉庫であり、その管理をしていた集団であると考えます。
「大」「大加」は現場的であり、「依」は管理的であり、空間的すみわけは権力構造における上下関係を意味するのではないかと想像します。
「大」、「大加」集団は麻栽培をメインにして製糸や機織りなどの労働をしていたのかもしれないと空想します。
「依」を祈願文字とした集団の方が人数は少ないようですが、社会的に優位なポジションにいたと想像します。
「依」を祈願文字として共有する集団の首領の棲みか(根拠地)はⅡ84竪穴住居の近くにあったと想定します。
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