花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.224 鳴神山遺跡の墨書文字「大」は大国主神と推定する
2015.10.14記事「鳴神山遺跡の墨書文字「久弥良」はクビラ(金毘羅)と推定する」で「久弥良」がクビラと読み、金毘羅を意味し、即ち大物主神の意味であることがわかりました。
この思考から芋づる式に次の思考展開するのは容易でした。
鳴神山遺跡の長文土器で大国主神が登場するものは2点あります。
「国玉神上奉 丈部鳥 万呂」と「大国玉罪」です。
特に、「大国玉罪」は「大」という文字を使っています。
支配層である丈部一族が「大国玉神」つまり「大国主神」を信奉していたことは確実になりました。
この情報から、鳴神山遺跡で最も多出する文字「大」「大加」の「大」は「大国玉」の「大」であり、つまり「大国主神」の意味であることを導くことができます。
「大加」の加は次の辞書説明にあるように、坏に酒を差し加えるということで捉えることができますから。
従って「大加」で「この坏に酒を注ぎ捧げますから、大国主神が私の祈願を実現してください」という意味になると思います。
くわえ くはへ【加】
〖名〗 (動詞「くわえる(加)」の連用形の名詞化)
① 加えること。増しふやすこと。たし。
② 酒を杯や銚子に差し加えること。また、それに用いる酒器。銚子や提子(ひさげ)の類。
●資勝卿記‐寛永一一年(1634)七月一八日「御銚子を将軍とらせられ、御しゃくにて主上へまいらせらるる、御くわへあり」
以下略
『精選版 日本国語大辞典』 小学館
「大」「大加」の大が大国主神ということになりましたから、鳴神山遺跡に次に示したような関係で大国主神と大物主神が共存して信奉されていたと推定できます。
鳴神山遺跡出土墨書土器で出現する大国主神と大物主神
労働層の一部に大物主神を信奉する集団が存在することから引き出せる意味にはいろいろなものがあると思います。
私が思い浮かぶ最初の意味は、鳴神山遺跡が蝦夷戦争における戦略的軍粮生産基地であったことから、律令国家が全国から技術者や労働者を動員して開発を行い、その動員されたメンバーの中に大物主神を信奉する一団が存在していたに違いないということです。
鳴神山遺跡に大国主神だけでなく大物主神が出現することは、この遺跡が全国規模で動員された人員によって開発されていたことを物語ると考えます。
同時に、鳴神山遺跡は信奉する神の違いなどよりも、現実の軍粮生産開発が優先されている軍事兵站基地であり、一般集落、一般農業集落などでは全くないことを物語っています。
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