2015年10月5日月曜日

鳴神山遺跡における墨書土器出土の顕著な偏在性

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.217 鳴神山遺跡における墨書土器出土の顕著な偏在性

文字「大」「大加」「依」などが遺跡内で極めて偏在して出土していて、それが打ち欠き行為によるものであることがわかりました。
2015.10.04記事「鳴神山遺跡の墨書土器分布検討 その1」参照

そもそも墨書土器全体の分布がどうなのか、どれだけ偏在分布するのか、調べてみました。

次の図は鳴神山遺跡の墨書土器遺構別出土数グラフ分布図です。

鳴神山遺跡 墨書土器出土分布図
墨書土器が出土しない竪穴住居が多数あるとともに、多数の墨書土器が出土する遺構が集約的に分布していて、墨書土器というものがきわめて偏在的に出土している様子が一目瞭然にわかります。

墨書土器といえども実用食器であったことは確実だと思いますから、本来は竪穴住居分布と同期するような平均的出土傾向があってしかるべきです。しかし実際は、その出土位置が集落内の特定場所に集約される傾向が顕著だということです。

つまり、実用食器として使われていた場所(多くは竪穴住居)から、墨書土器は特定場所に移動して、その場所で打ち欠きが行われ、墨書土器としての最後の祈願行為に活用され、廃棄されたということが考えられます。

墨書土器というものと、打ち欠き行為というものと、集落内特定ゾーンに出土場所が集約されるといことが自分の頭の中で結合しました。

墨書土器というものが、本来実用品として使われていた場所から、特定場所に大移動して、そこで廃棄されたという事実を知りました。

集落内特定ゾーンに集約的に墨書土器が出土するということは、繰り返しその付近で打ち欠き行為つまり酒宴(祭祀)が行われたということであり、労働集団の区分とその拠点が浮き彫りになったと考えます。

また、「大」なり「大加」なり「依」なり…墨書土器の文字・熟語を集団が共有し、酒宴の場でその文字だけが残るように大切な土器を打ち欠いたのですから、その文字・熟語に対する思いは強いものがあったと思います。

文字そのものだけからは不可能だとしても、強い思いが込められたことがわかったのですから、文字の意味(つまり集団が文字に込めた強い意味)は何らかのかたちで、判明する可能性があると考えます。文字は単なる集団の標識だと考えて、思考を停止してしまうことはしたくありません。粘り強く検討を続けたいと思います。

参考として墨書土器出土の偏在性について数値でみてみました。

次のグラフは遺構別墨書土器出土数-順位グラフです。

鳴神山遺跡 遺構別墨書土器出土数-順位グラフ

出土数1位の遺構(Ⅰ47A)が65点出土し、以下45、45、39、38…と続きます。

墨書土器出土数20までの遺構は13あり、その出土数合計は443で全体(1158)の38%になります。

墨書土器出土数10までの遺構は28あり、その出土数合計は651で全体(1158)の56%になります。

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参考の参考として白幡前遺跡の遺構別墨書土器出土数-順位グラフを作成してみました。

白幡前遺跡 遺構別墨書土器出土数-順位グラフ

墨書土器出土数20までの遺構は7あり、その出土数合計は170で全体(827)の21%になります。

墨書土器出土数10までの遺構は28あり、その出土数合計は436で全体(827)の53%になります。

白幡前遺跡にも墨書土器の偏在性が確実に存在していることを確かめることができました。

同時に、比較して、白幡前遺跡より鳴神山遺跡の方が偏在度がより強いことがわかります。

墨書土器を使った打ち欠き行為つまり墨書土器を使った集団祈願行為が白幡前遺跡より鳴神山遺跡でより盛んだったことがわかります。

これは、白幡前遺跡より鳴神山遺跡の方が、墨書土器出土総量及び竪穴住居1軒あたり墨書土器出土量が多いこととも対応(整合)します。

白幡前遺跡ではゾーン別検討を行い、墨書土器データベースのGISデータベース化をしていませんから遺構別分布図を作成していません。従って、遺構別墨書土器分布が強く偏在することに気が付きませんでした。

近い将来、萱田遺跡群全体の墨書土器GISデータベースを作成して改めて墨書土器を含む遺物分布の再検討を行いたいと思います。

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