白幡前遺跡の検討のころから墨書土器に興味を持ち出し、画像付データベースが利用できるので、墨書土器の情報分析に踏み込んでしまっています。
墨書土器の多くが打ち欠きされているという事実を、墨書土器現物閲覧をさせていただいた八千代市立郷土博物館の研究員の方に教えていただきました。
確かにデータベースの画像を見ると、墨書文字を残すように人為的に打ち欠いたものが多くみられます。
この打ち欠きという行為をもたらした当時の人々の心性に興味を持っていますので、最初のメモを書いておきます。
本来のテーマである花見川-平戸川(新川)筋が東海道水運支路であるという仮説検証とは離れてしまいますが、人の心を知るということは、一人の人間として本能的に興味のあることがらです。
発掘に関わる詳しい情報を知っているわけではありませんが、墨書土器打ち欠きでは次のような状況があるようです。
1 職種職能集団の活動発展を祈願した酒宴(祭祀)がある。
2 その酒宴(祭祀)で集団メンバーが、集団独自の文字を書いた墨書土器を使う。
3 酒宴(祭祀)で使った墨書土器を打ち欠き(破壊し)、廃棄された竪穴住居、井戸、氷室、溝等に捨てる(納める)。
古代にあって土器は大切な生活道具であり、簡単に壊して捨ててよいようなものでなかったことは言うまでもないことです。
ましてや集団の祈願文字を墨書し、日常生活で祈願に使っているのですから、それを壊すということは尋常ではありません。
神に強く祈願する気持ちを、自分の大切なものを壊して表現する(証明する)ように見受けられます。
自分の大切な物を壊す代わりに、神に祈願内容の実現を迫っているのだと思います。
このような、現代人の日常生活からみると尋常ではない心性をどのようにしたらリアルに理解できるか、時間をかけてでも知りたいと考えています。
この記事では、その尋常ではない心性と関連するかもしれない事例をメモしておきます。
1 犠牲儀礼
人や動物を殺害して神への儀礼とする風習は世界各地にありますが、それと全く同じ意味を持つ可能性があります。
神への供え物として動物を殺し、その動物を集団で食い、その時使った墨書土器も供物として破壊した儀礼であると考えることができます。
2 贈与の原理における増殖
墨書土器が集団内で贈与され、その贈与された大切な墨書土器を人の面前で破壊することによって霊力の増殖が起こるとする古代人の心性があったのかもしれません。
このような例が北米原住民のポトラッチで貴重なコッパー(銅製の象徴的記念品)を破壊する行為としてあるようです。(中沢新一「愛と経済のロゴス」)
もっと関連する事例を集めて、いつか総合的に検討したいと思います。
墨書土器の打ち欠きは「自分の大切な物を壊す代わりに、神に祈願内容の実現を迫っているのだと思います。」程度の記述で終わらすにはあまりに重たい事象です。
花見川風景
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