花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.228 鳴神山遺跡の墨書文字「山本」の分布
鳴神山遺跡から出土した墨書文字「山本」の分布を示します。
文字「山本」出土分布
「山本山本」の例
Ⅱ063竪穴住居出土
千葉県出土墨書・刻書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から引用
「山本」は台地を「山」と見立て、その利用・開発の主導集団(家系?)の祈願語であると考えます。漁村における「網本(網元)」「船本(船元)」に対応するような意味合いの言葉だったと考えます。
「山本」が従事した業務は焼畑による根菜・雑穀栽培、木の実・山菜採取、狩猟、薪炭生産などの元締め業務であったと考えます。
それらの業務から得られた産物の倉庫がⅡ063竪穴住居付近に密集する掘立柱建物群であったと考えます。
「山本」は社会階層上「犬」を祈願語とした狩猟集団の上位に位置していたのかもしれません。
なお、Ⅱ063竪穴住居からは「子山本」も出土します。
「子山本」
Ⅱ063竪穴住居出土
千葉県出土墨書・刻書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から引用
「網本(網元)」に対応する言葉として「網子」という言葉があり、網漁経営者とその元で隷属関係に置かれた労力提供者を意味しますが、墨書文字「山本」と「子山本」はその関係のアナロジーとして捉えることができると考えます。
祈願語としての「山本」の意味は「山本としての指導職務を全うし、山(台地)からの産物を豊富に得たい」というものだったと想像します。
「子山本」の意味は「山本の指導下での職務を全うし、山(台地)からの産物を豊富に得たい」というものだったと想像します。
「山本」と「子山本」の出土から、鳴神山遺跡における身分的支配関係存在の一端を知ることができます。
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