花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.219 鳴神山遺跡の墨書土器文字「冨」「工」の分布
鳴神山遺跡の墨書土器文字について出現数の多いものから順次その分布を検討しています。
この記事では「冨」と「エ、工」の分布について検討します。
次に「冨」の分布を示します。
文字「冨」出土分布図
参考 「冨」出土史料 打ち欠き土器 例
Ⅱ128竪穴住居出土
千葉県出土墨書・刻書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から引用
分布の特徴は遺跡全体(集落全体)に満遍なく散らばっていることです。1遺構から1点あるいは2点に出土に限られます。
文字「大」「大加」を共有する集団と文字「依」を共有する集団の2系統の集団が空間を棲み分けて存在していたことがわかりましたから、「冨」の分布が意味するところは少し絞って考えることができるような気がします。
まず、古代における「冨」の一般的意味は次の辞書の記述と大きな違いはないと考えます。
富 冨
常音 フ、フウ
常訓 と・む、とみ
字音
フ、 fù
慣 フウ
【冨】俗字
字義
➊と‐む。㋐財産や物などが、多くなる。↔貧。「殷富(インプ)」㋑多くある。豊か。また、満ち足りている。「豊富」
➋と‐ませる(とます)。豊かにする。「富国強兵」
➌とみ。財産。また、財産が多くあること。「富豪」「巨富」
『新漢語林』 大修館書店 から引用
豊かさを象徴する言葉を墨書土器に書いて、祈願語として使ったということですが、既に存在している「大」「大加」や「依」などの結束力が感じられる集団が存在する空間で、その言葉を祈願語で使った意味を次のようの想像します。
「冨」は縁起が良い言葉だから使いたい住民が自由に墨書土器に書いたということは、ほぼ無いと思います。
集落の支配層なら自由に言葉を書けたかもしれませんが、大衆は文字を与えられて、その文字の力(魔力)で集団の繁栄なり職務の高度な遂行を祈願して、支配層に忠誠を誓ったのだと思います。
墨書土器の多くが(ほとんどが)打ち欠き土器であることがこのような状況を物語っていると考えます。
「冨」を共有する特殊職種が存在していたのだと思います。
その職種は環状道路外側(北側)の「大」「大加」集団にも、環状道路内の「依」集団にも共通して存在する職種だったと考えます。
今、その職種を具体的に特定できる情報はありませんが、集落で人々が生活する上で必須の職種だったと思います。
私は、現代社会で考えるとコンビニとか、銀行(サラ金、質屋というべきか)とかの機能を空想します。
次に「エ、工」の分布を示します。
文字「エ、工」出土分布図
参考 「エ、工」出土史料 打ち欠き土器 例
Ⅱ94竪穴住居出土
千葉県出土墨書・刻書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から引用
分布箇所がほぼ1地域に限られて出土します。「冨」とは分布特性が全く異なります。
データベースにおける文字の釈文記載では「エ」(カタカナ)と「工」(漢字)の二つに分かれていますが、墨書図像でその区別がつくわけではありませんから、私は全て漢字「工」で考えます。
「工」の辞書における意味は次の通りです。
たくみ【工・匠・巧】
(動詞「たくむ(工)」の連用形の名詞化)
〖名〗
1 人についていう。
① 手や道具を用いて物を作り出すことを業とする人。細工師。工匠。職人。「こだくみ(木工)」「かなだくみ(金工)」など。
●書紀(720)神代上(兼方本訓)「即ち、石凝姥(いしこりとめ)を以て冶工(タクミ)と為て、天香山の金(かね)を採て以て日矛(ひほこ)を作(つく)らしむ」
② 特に木材で物を作る職人。こだくみ。大工(だいく)。
●書紀(720)雄略六年二月・歌謡「我が命も 長くもがと 言ひし柂倶彌(タクミ)はや」
●大鏡(12C前)二「工(たくみ)ども裏板(うらいた)どもをいとうるはしくかなかきて」
2 事柄についていう。(略)
『精選版 日本国語大辞典』 小学館 から引用
この辞書の記述から、墨書土器文字「工」が大工集団の祈願語であると想像します。文字「工」の出土場所が掘立柱建物群の傍であり、空間位置的に整合します。
「工」が掘立柱建物をつくる大工集団(建設土木集団)であると考えると、「依」を祈願語とする集団がこの大工集団を抱えていて、「大」「大加」集団は大工集団を抱えていないことになります。
現実問題として「大」「大加」集団の分布域の掘立柱建物は極めて少数です。
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