柏井橋工事現場の写真をブログにアップしていて、ふと気が付いたことがあります。
柏井橋工事現場
ブログ花見川流域を歩く自然・風景編2019.01.31記事「曇り 温暖 朝焼け」
この場所は印旛沼堀割普請でも化灯土が深く工事が難渋した場所です。この場所そのものの工事が久松宗作著「続保定記」で絵図になっています。
新兵衛七九郎丁場化灯の場廻し堀いたし水をぬぐ図
久松宗作著「続保定記」収録図
「天保期の印旛沼堀割普請」〔千葉市発行〕より引用
右手上の方向が花島方面(下流)です。
2012.10.14記事「北柏井村における土置場筋と捨土土手の関係」参照
この場所は松本清張作「天保図録」で登場した秘事「流堀り」工法の舞台そのものです。
工事現場は既に荒らされていますが、化灯土普請現場が一瞬この場に現出したはずです。その普請現場現出の観察は考古遺跡観察として千載一遇のチャンスだったはずです。
なのに頭は縄文学習に占領されていて、その現場を毎日観察していたのに、気がつきませんでした。
ボーっと毎日散歩してんじゃねーよ!
過去の散歩写真を調べてみました。
1月21日
1月22日
1月24日
1月22日に印旛沼堀割普請の化灯土現場が露出していたと考えて間違いありません。
1月22日の写真の下部を拡大調整すると畝とそれを直交する筋が見えます。
1月22日水抜き現場
1月22日水抜き現場の畝と筋
筋は横木の跡のように見えます。
印旛沼堀割普請の跡が露出したにもかかわらず、それに気が付かなかったことは残念でした。
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水を抜いた後の工事現場写真を印旛沼堀割普請の専門家がみれば価値のある情報が見つかるかもしれないという話を千葉市道路建設課に電話しておきました。
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