堀之内式土器取材を目的に訪れた市立市川考古博物館に、自分にとっては「たまたま」雷下遺跡出土土器が展示されていました。せっかくですから「ついで」に観察しました。その結果は、3Dモデルを作成するなどして既に記事にしました。この活動の中ではじめて雷下遺跡について知りました。そして少し調べると自分にとって大変興味のある遺跡であることを知ることができました。
詳しい検討は発掘調査報告書を閲覧するなどしてから行いますが、WEBで入手できる情報からこの遺跡に関する現時点興味をメモしておきます。
1 縄文早期後半の形式を網羅する出土土器
出土土器に関する興味は既に2019.05.31、2019.06.02、2019.06.03記事でまとめています。今後さらに興味を深めたいと思います。
2 海浜部低地貝塚に関する興味
雷下遺跡は千葉市神門遺跡と似た時期の似た性格の遺跡のように感じます。
2018.09.05記事「事例学習 神門遺跡」
海浜部の漁港兼漁労現場作業場のような印象を受けます。
イルカの骨も出土していますから、集石遺構の出土とあいまって、神門遺跡とともにここも房総「石焼鯨」発祥の地であると空想が空想を呼びます。
漁港兼漁労現場作業場の特性を詳しく学習することにします。
なお、千葉県教育振興財団研究連絡誌No.75(平成26年3月)の沖松信隆著「雷下遺跡の概要」では、雷下遺跡の特徴を次のようにまとめています。
1.東京湾東岸における縄文時代早期の低地性貝塚の調査例自体が希少であること。
2.早期の人骨を複数体検出したこと。
3.早期の植物遺存体として、ヒョウタン種実や低地性の堅果類を集積した土坑から、ナラガシワ近似種の種実を検出したこと。
4.出土土器は周辺での出土例が希少な早期末を主体とすること。また東海系とともに東北地方の常世2式も伴出していること。
5.早期の大型丸木舟を検出し、国内最古例となったこと。丸木舟出土例の多い千葉県において当該地域での発見例は希少であること。出土層位を明確に記録できたこと。丸木舟と尖底土器が伴出したこと。
6.土層堆積環境を知る上で有益な、生物の生痕化石を明瞭に検出したこと。
7.早期の木道状遣構を検出したこと。
8.本遺跡特有の棒状木製品や鹿角製掘具を検出したこと。
出土丸木舟
沖松信隆著「雷下遺跡の概要」から引用
全長7.2m、幅最大50cm、厚み舟底端で約8cm、土圧で平坦化、放射性炭素年代測定で約7500年前、現在日本最古の丸木舟、材質はムクノキ。
3 棒状木製品に対する特別の興味
用途が特定できていない棒状木製品が出土しています。
棒状木製品
沖松信隆著「雷下遺跡の概要」から引用
写真を拡大すると刻印や小さな穿孔、削り跡様の模様(彫刻)があるように観察できます。現物や精細な写真をみなければなんとも言えませんが、それを利用する人の気持ちをその木製品に模様(彫刻)として表現している製品である可能性が濃厚です。
その分布を赤丸で記すと次のようになります。
雷下遺跡遺構・遺物分布図 (一部) 改変
沖松信隆著「雷下遺跡の概要」から引用
この分布図を次のように観察しました。
・竪穴状遺構から南は丸木舟や木道状遺構が出土していて、水面がイメージできること。
・人骨出土地点(東側…海側)と炭化物・灰集中地点(及び集石遺構)(西側…陸側)が「棲み分け」しているように観察できること。
・棒状木製品の出土ポイント(3箇所)は炭化物・灰集中地点(及び集石遺構)を囲むように、あるいは「炭化物・灰集中地点(及び集石遺構)」と「水面イメージ空間および人骨出土地点」の境界付近に分布するように観察できます。
つまり棒状木製品の出土ポイントは「炭化物・灰集中地点(及び集石遺構)」(=調理作業場)に関わるものであるか、あるいは「炭化物・灰集中地点(及び集石遺構)」(=調理作業場)と他の機能空間の境界機能に関わるものであるかの2つの可能性が想像できます。
このような想像から棒状木製品の用途は次のような可能性があるものとして仮想し、今後学習を深めたいと思います。
ア 海浜における生業祈願・感謝(豊漁、安全等)のためのイナウ(木製祭壇)
イ 調理作業場とそれ以外の機能空間(埋葬地、ミナト)を境界する目印
ウ 異なる集団の利用領域を確定する境界杭
エ 上記用途の複合
縄文後期加曽利B2式期の低地遺跡である西根遺跡から出土した木製品をイナウであると考えましたが、それと対比させて学習したいと思います。
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