2019年6月5日水曜日

上ノ山式土器の特徴

縄文土器学習 147

この記事は2019.06.03記事「上ノ山式併行の土器 雷下遺跡(5)地点出土」のつづきです。
市立市川考古博物館に展示されている雷下遺跡出土上ノ山式併行の土器を観察しましたが、そもそも上ノ山式土器とはどのようなものであるのか学習しました。

1 上ノ山式併行の土器 展示の様子

上ノ山式併行の土器 展示の様子

上ノ山式併行の土器 口縁部付近

2 上ノ山式土器に関する「日本土器事典」の記述
「上ノ山式土器
粕畑式につづく早期末の東海・近畿北部に分布する地域的性格の強い含繊維土器。天白川沖積地に臨む貝塚群の一つである名古屋市緑区鳴海町上ノ山所在の貝塚出土の突帯文土器に、杉原荘介・吉田富男が1937年に命名した。
上ノ山貝塚は丘陵の傾斜変換線に立地する100m2ほどの小貝塚で、ハイガイを主とする貝層に部分的に黒色有機土層の間層をはさみ、下半には上ノ山式、上半には入海式を主として包含する。石山・天神山式から上ノ山Z式土器までつづく歴代貝塚である。
●器形
截頭砲弾形深鉢で平縁が圧倒的に多く、波状口縁はまれである。器厚は1㎝前後で胎土には繊維を含み、器面はハイガイ条痕で仕上げするものが一般的である。底部は尖底と、突出した径3cm程度の不安定な小型平底の二者がある。
●文様
口縁部に一条の突帯を横位にめぐらす土器を指標とする。突帯は一巡するのが普通であるが、ごく短い(数cm)例もある。突帯には上下から交互に押圧を加える例が多く、口端面にも同様の押圧を施すものが多い。
上ノ山式の指標となる突帯文を貼布する手法は、全く突然に出現するもので、粕畑式には求められず、そのモチーフの源流は不明である。
●分布
上ノ山式土器を出土する遺跡は粕畑式より乏しく、愛知県では刈谷市八ツ崎・名古屋市上ノ山・知多半島先端の塩屋遺跡・尾鷲市向井遺跡にー定量が知られる。著名な石山貝塚(滋賀県)の報告で上ノ山式とされたのは後述の入海式最古段階の土器が多い。他に長野県伊那谷ではおそらく主体となるが、東京・埼玉・神奈川では他の型式に客体的に伴う。」

日本土器事典から引用

3 メモ
・口縁部の一条の突帯が上ノ山式土器の最大の特徴のようです。また突帯及び口唇部が押さえられて微細な波状になるのも特徴のようです。
・茅山上層式土器をメイン土器とする雷下遺跡縄文人がなぜ上ノ山式土器を作ったのか、その理由について今後学習を深めることにします。
・そもそも上ノ山式土器が東海から移入されたものではなく、下総で作られたことの確証を知る必要があります。
・伝統的日本料理だけでなく、海外から伝わってきたイタリア料理もときどき(見よう見まねで)楽しむというような現象でしょうか?
・土器形式の伝播変容を詳しく調べることは文化影響力を調べることであり、影響力のある土器形式はそれだけ文化力(≒社会的豊かさ、魅力)があるということであり、縄文社会を理解するうえで大変興味のある事象です。
・婚姻と関係するのか、その点も知りたくなります。

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