2020年10月25日日曜日

メモ 麻ヒモの意義

 昨日NHKTV番組「こころの時代」再放送で正眼寺住職正眼僧堂師家の山川宗玄さんが、袈裟を結ぶヒモの縛った様子を見せて、その形が水引に似ていることを紹介しました。水引とは冠婚葬祭において謹んで相手に差し上げる品をつつむ際に使われるヒモの名称で、独特の結び方をします。そのことから、水引と同じヒモの縛り方で袈裟をまとっている禅僧とは、つまり自分をお釈迦様に捧げた様子を表現していると解釈していました。(番組ではお釈迦様にささげた身であるから、自分の努力だけでは決して通過できない修行上の困難も大きな命と一体になることができるから、通過できることを具体的に話していました。)

以上のTV番組視聴から触発されて次のような想像が浮かびましたので、忘れないうちにメモしておきます。

縄文社会理解の学習として、自分にとっては重要な思考分野になりそうです。

1 文明の香りがする人工物としてのヒモ

縄文土器の縄文とは人工製品としてのヒモ(縄)でつけた跡です。これは、ヒモが縄文人生活の重要アイテムであり、重要アイテムであるからこそ土器文様つくりに使われたと考えます。

ヒモが生活実務での必要品であるだけでなく、精神生活においても重要であったからこそ、縄文人は土器にヒモ跡を残したのだと思います。

ヒモが精神生活で重要であった理由として次のよう事柄を想像します。

1-1 ヒモ製品は貴重で高級

ヒモ製品(糸を撚ったヒモ)を作るためには繊維のとれる植物が多く採れるという好機の到来を待たなければならないし、植物からヒモ製品を作るまでは多大な労力と時間がかかります。このことからヒモ製品は貴重品であり、高級品であったと考えます。

ヒモ製品を使うということは弦をそのまま使うこととは意味が異なり、文明や技術の香りがする活動であったと考えます。

1-2 ヒモ製品は人工の象徴

ヒモ製品の形状とそれを粘土に転がしてつくる縄文模様は規則的な撚り模様です。この模様は自然界にはない縄文人自身がつくった人工模様です。「自分が作った規則的人工模様」は縄文人にとって自然が得意とする規則的模様の類似模様を人工的に作ったという点で、自分自身を意識できる素材であり、人が文明を感じる瞬間であったと想像します。

1-3 ヒモ製品は実務のみならず祭祀で使われた

ヒモ製品は釣り糸とか網とか石器を木の柄に縛り装着するためなど、生業実務の重要な部分で使われました。しかし、それだけでなく祭祀活動やコミュニケーションにおける必須用品として使われたのではないかと想像します。次のような場面で使われたと考えます。

ア 神様に捧げる奉納物を台や包装布(皮)にヒモ製品で結んでいた。奉納物そのものだけだなく、ヒモ製品を使うことも神様に対する尊崇の表現であった。

イ 吊手土器や小型土器などをヒモ製品で吊り下げたり、土器の蓋をヒモで結び固定したりするなどして、重要な道具を特段に丁寧に使っていた。ヒモ製品を使うことにより道具利用による価値増大を演出した。

ウ 交易品をヒモ製品で結び、交易相手に丁寧な気持ちを表現していた。

2 縄文後晩期の麻ヒモ文化

縄文後晩期の祭祀活動が盛んであった時代では大麻栽培がおこなわれ、大麻繊維から糸が撚られ、糸を撚って麻ヒモがつくられ、麻ヒモの文化があったと想像します。

麻ヒモは生活実務以上に祭祀生活で使われたと推測します。

2-1 麻ヒモで祭具を結び保管する

例えば祭祀道具の石棒は普段どのようにしまわれていたのか考えてみました(想像しました)。

・縄文時代、出土してきたそのままのように土間に石棒がそのまま置かれて保管されていたとはとても考えられません。

・石棒は麻布あるいはなめされたシカ皮などに包まれ、その上から麻ヒモで結ばれていたと想像します。

・麻ヒモによる結び方はそれが袈裟結び(水引の結び方)であったかどうかはわかりませんが、特別な結び方がされていたと考えることが合理的であると思います。現代禅僧が麻ヒモで袈裟を結ぶ時の心理原点と、縄文人が麻ヒモで石棒を結ぶ時の心理原点は同じだと想像します。

祭祀が盛んで祭祀が生活の大半を占めるような社会では祭祀道具に対して丁寧な扱いがあり、麻ヒモが祭祀道具の保管に必須なアイテムであったと考えます。

2-2 麻ヒモで神聖なものを結ぶ

現代神社や社会一般におけるしめ縄(神域や依り代の表現)設置活動と同じような機能をもつ麻ヒモ結び活動が縄文後晩期に盛んであり、太い麻ヒモ(麻縄)や細い麻ヒモが盛んに作られていたと想像します。(現代しめ縄が縄文時代起源であると考えます。)

縄文後晩期における麻ヒモ(麻縄)を撚る道具(紡錘車)が有孔円盤形土製品であり、その素材となる糸を撚る道具が円盤形土器片であると考えます。

有孔円盤形土製品は重たいものが多く、太い麻縄を撚っていて、しめ縄などに使われたのではないかと想像します。(強度のある漁網や釣り糸も作っていたでしょうけれども、メインは祭祀アイテムとしての麻ヒモ(麻縄)を作っていたと妄想します。)

2020.10.16記事「円盤形土器片の使い方


紡錘車(紡輪)

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用


円盤状土器片

千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用

0 件のコメント:

コメントを投稿