2021年4月10日土曜日

加曽利EⅠ式土器学習の感想

 縄文土器学習 574

1 土器学習が思い通りに進まない

有吉北貝塚学習の一環で加曽利貝塚博物館企画展展示土器や資料「埼玉編年(1982)」を教材に縄文中期土器の学習をしています。学習の初期目標は、例えば有吉北貝塚出土土器の実測図や写真を見て、その土器のおおよその素性が(自分の納得レベルをクリアーした上で)直観できるようになればよいと思っています。

しかし、ほぼ2カ月間中峠式や加曽利EⅠ式学習をつづけて、普通(の対象物に対する)学習なら到達できるであろうレベルにとてもとても到達できていません。

なぜか?考えてみました。自分本来の愚鈍さや高齢による思考力退化はいつものことですが、それ以外に何か理由があるはずです。もしかしたら中峠式や加曽利EⅠ式に特有の問題があるのかもしれないという予感があり、学習テキストの埼玉編年(1982)の土器群細分数をカウントしてみました。案の定、この作業で学習困難の理由が浮かび上がりました。

2 埼玉編年(1982)の土器群細分数合計


埼玉編年(1982)掲載図書

谷井彪・宮崎朝雄・大塚孝司・鈴木秀雄・青木美代子・金子直行・細田勝(1982):「縄文中期土器群の再編」(研究紀要1982、財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団)


埼玉編年(1982)土器群細分数合計


埼玉編年(1982)土器群細分数合計

3 埼玉編年(1982)の土器群細分数合計に関する感想


埼玉編年(1982)の土器群細分数合計に関する感想

埼玉編年に関してこの2カ月間学習したのはⅨa期、Ⅸb期、Ⅹ期です。この3期の土器細分数は28→19→19と減少しています。Ⅸa期の土器群細分数28の学習が十分でなかったからそれが集約されるⅨb期土器細分数19の学習が不十分になったのです。Ⅸb期からⅩ期への変化についてはある程度納得はできました。つまり学習の出発点の基礎ができていないのです。

そして、Ⅸa期の前のⅧ期の土器群細分数は38、さらに前のⅦ期は54と膨大な数に上ります。つまり、加曽利EⅠ式の土器群学習をするためにはⅦ期54の学習を行い、それがⅧ期に38に集約変化する様子を学習し、それがⅨa期に28に集約変化する様子を知る必要があるのです。具体的には勝坂式土器、阿玉台式土器、中峠式土器(さらには大木式土器)の変遷を詳しく知らなければ加曽利E式土器の最初の状況を実感を持って知ることはできないということです。

Ⅸa期の深鉢は次の4群に区分されています。

1群土器…キャリパー土器

2群土器…各種折衷土器

3群土器…曽利式系統

4群土器…勝坂式・中峠式系統

これらのうち、特に2群土器、4群土器についてはⅦ期、Ⅷ期の状況を知らなければ実感的に土器を観察できません。

4 埼玉編年(1982)の土器群細分数合計に関する感想 その2

Ⅶ期に土器群細分数が急増した意味に興味が湧きます。関東平野に勝坂式土器を使う集団と阿玉台式土器を使う集団が並存したということです。そして土器型式から見て群雄割拠の状況から少数集団に集約化するような作用がⅦ期→Ⅷ期→Ⅸa期→Ⅸb期と働いて加曽利EⅠ式土器が成立します。その土器変遷に対応する生業社会変遷に興味が湧きます。漁業拠点の変遷、あるいは漁業がそのサイト(沿岸)だけでなく広域社会に及ぼす影響の変遷などとのかかわりについて学習を深めることにします。

5 これからの土器学習

学習実務としては次の3つの学習を同時並行的に進めることにします。

ア 加曽利EⅠ式土器学習(有吉北貝塚出土土器学習など)

イ 勝坂式土器・阿玉台式土器・中峠式土器学習(埼玉編年Ⅶ期・Ⅷ期学習、展示物観覧など)

ウ 加曽利EⅡ式土器学習(埼玉編年学習、有吉北貝塚出土土器学習など)




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