シリーズ 花見川地峡とは その1
シリーズ記事として「花見川地峡とは」を連載します。
1 地峡という用語
地峡とは一般に次のような説明がなされています。
地峡:大陸と大陸の間、大陸と半島の間、二つの半島の間など二つの広い陸地の間をつなぐくびれた狭い陸地。南・北米大陸をつなぐパナマ地峡などがその例。地頸(ちけい)というこもある。(新版地学事典、平凡社)
地峡(ちきょう)とは、海峡の逆で、二つの陸塊をつなぎ、水域にはさまれて細長い形状をした陸地である。この地形に注目して、スエズ地峡のスエズ運河、パナマ地峡のパナマ運河のように、航路を短縮させるために運河を建設することがある。(ウィキペディア)
2 花見川地峡という概念の意義とその説明予定
上記の用語「地峡」はどう見ても花見川流域には見つかりませんが、そう思っていた私が、花見川流域に地峡を見つけだし、花見川地峡という概念を持つことになりました。
そして花見川地峡という概念を持つことにより、それを梃にして、花見川流域や印旛沼流域の河川争奪など北総地域の地形発達史のこれまで知られていなかった根幹を解くことに近づくことができました。
また、花見川地峡という概念を梃にして、この場所に古代東海道水運支路が存在していたという発見的仮説を構築することができ、さらに花見川地峡の太古からの利用開発史のイメージを持つことができるようになりました。
このように、自分から見ると偶然発見したかに考えた花見川地峡という概念はこの付近の土地を知るためには必要不可欠なものであることがわかるようになりました。
それはこれまで人々に認識されたことが無かった概念です。
また判ってみると、その概念はこの土地からみると誰かに発見されることが必然のものだったことが理解できるようになりました。
このいわば新発見的概念である「花見川地峡」の要点について、このシリーズ数編の連載記事で説明します。
次のようなシリーズ記事を予定しています。
1 新発見的概念である花見川地峡について(この記事)
2 花見川地峡の存在とその形状的が谷津であることに気がつく
3 花見川地峡が成立した自然史に興味を持つ
4 花見川地峡が古代交通の要衝であったことに気がつく
5 花見川地峡の利用開発の変遷についてイメージできるようになる
3 「地峡」をGoogle画像検索してみると(参考)
何気なく、「地峡」という用語でGoogle画像検索してみました。
自分で驚いたのですが、私のブログ「花見川流域を歩く」の画像がトップの方に沢山掲載されていました。
「地峡」+「花見川」などで検索すれば自分のつくった画像が沢山ヒットすることは理解できますが、一般用語「地峡」だけの画像検索でこれほど自分の画像がヒットするとは予想していませんでした。
「地峡」でGoogle画像検索した時のトップ画面
この画面には45の画像がヒットしていて、そのうち「花見川流域を歩く」の画像は7件あります。(出現率16%)
この結果を見て、「地峡」という概念から日本語圏のWEB世界を見ると、ブログ「花見川流域を歩く」はとてもささやかなブログですが、そのささやかなブログが大きな比重を占めていることに気づきました。
「地峡」という概念に興味を持ち取り組んでいる人・団体(WEBで情報発信している人・団体)は日本語圏では少ないということです。
この検索結果から次のような感想を持ちました。
「花見川地峡という概念を梃にして、花見川流域や北総地域の自然史・利用開発史の認識次元を大幅に引き上げることができれば、そのような視点で地域を考えて情報発信している人はほとんどいないので、社会的に意義のあることになるに違いない。
またブログそのものは知られていなくても、検索から花見川地峡概念について興味を持ってもらえる可能性もある。
ブログで情報発信しているということは、多くの人に見られているということであり、花見川地峡という概念についてより一層理解しやすい説明を心がける必要がある。・・・」
なお、参考までにYAHOO!画像検索をしてみると、Google画像検索とほとんど同じ結果となりました。画像の順番までほとんど同じです。検索ソフト(アルゴリズム)がほとんど同一だということがわかりました。
「地峡」をYAHOO!画像検索したときのトップ画面
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