2014年4月8日火曜日

縄文海進クライマックス期の海陸分布

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第1部 現代から縄文海進まで遡る その3

1-5 東木(1926)による関東低地の旧海岸線図(約7000年前)
次の図は2000年に発行された地形学書「日本の地形4 関東・伊豆小笠原」に掲載されている「東木(1926)による関東低地の旧海岸線図」です。

東木(1926)による関東低地の旧海岸線図(「日本の地形4 関東・伊豆小笠原」(貝塚爽平他編、2000、東京大学出版会)より引用)

この図書には関東平野全体の縄文海進地図は別のものは掲載されていません。

現代の地形学書に1926年(大正16年)の学術成果が研究史の一コマではなく、生きた情報として引用されていることに驚きます。

縄文海進について関東平野をこのような総括図として示している図はどれも皆「東木龍七(1926):地形と貝塚分布より見たる関東低地の旧海岸線、地理学評論2-7、2-8」を参考としているようです。

もっとも、この図は「日本の地形4 関東・伊豆小笠原」編者が作成した図のようです。東木(1926)の図は数枚に分かれていて、かつ関東平野を網羅しているわけではありません。

次のような図もあります。

縄文時代の海岸線(江坂、1954)(近藤精造監修「千葉の自然をたずねて」(築地書館)より引用)

この図のメイン情報源も東木(1926)であると考えます。

さて、これらの図はあまりにも小縮尺であることから花見川や平戸川レベルの谷津に関しては全く考慮されていません。

関東平野を対象とした縄文海進分布図はその作成時に東京湾と香取の海の接近状況について考慮されていないと同時に、地図縮尺レベルからそのような検討が出来る情報にはなっていません。

そこで、ここでは次のようなマクロ手法の手順により、縄文海進時の東京湾と香取の海の接近状況について調べてみました。

ア 「東木(1926)による関東低地の旧海岸線図(約7000年前)」と標高別海陸分布図を重ね合せ、最もよく対応する海陸分布図を抽出する。
イ 東木(1926)に最もよく対応する海陸分布図を利用して小さな谷津の縄文海進時の海の分布を知る(想定する)。

標高別海陸分布図は3m、5m、8m、10m、13mの5種を利用しました。

標高3m、5m、8m、10m、13mの海陸分布図
5mメッシュによる

「東木(1926)による関東低地の旧海岸線図」はポンチ絵であり、最初から地図としての正確性はありません。ですからいくら縮尺をほぼ合わせても、位置を表す情報(海岸線、河川)はあちらが合えば、こちらが合わないということになります。
それでも、複数の標高別海陸分布図を重ねわせると、どの図が良く対応するかということは検討が付きます。

結果として、標高8mを境とする海陸分布図が最もよく対応することがわかりました。次によく合うのが標高10mです。

「東木(1926)による関東低地の旧海岸線図」と現在標高8mを境とする海陸分布図との強引な重ね合せ図

以前別に行った検討では、花見川付近では縄文海進の平面分布が標高10mとか標高9mの地域に対応するという結果になりましたので、ほぼそれと近い結果になりました。

標高8mを境とした海陸分布図を花見川付近について拡大してい見ると、次のようになります。

標高8mを境とした海陸分布図

この図の海表示の部分が縄文海進時の海の分布を示す有力な参考であると考えます。

花見川地峡付近で花見川筋と平戸川筋に拡がった縄文海進の海が近づいたことを確認できます。

なお、縄文海進の海面上昇は3m程度(あるいは1~2m程度)であると言われています。

しかし、次のような要因により縄文海進クライマックスの海岸線の位置の標高は、現在では平均して8m(あるいは9mとか10m)になっているということです。

●縄文海進クライマックスの海岸線の位置標高が高い理由
・地殻変動による地盤の上昇
・火山灰の降灰
・植物遺体の堆積
・縄文海進の海退期における河川の土砂堆積
・歴史時代における農地造成・宅地造成による盛土

次に、このような広域を対象としたマクロな手法ではなく、ボーリングデータを用いたより正確な属地的縄文海進分布域検討を行い、花見川地峡について考察します。

つづく

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