2014年4月12日土曜日

縄文海進時の花見川地峡の姿をGoogle earthでイメージする

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第1部 現代から縄文海進まで遡る その6

3 縄文海進時の花見川地峡海陸分布
3-1 縄文海進時の花見川地峡の姿をGoogle earthでイメージする

これまでの検討で、現在の標高8m~10mを境にした海陸分布図が縄文海進最盛期の海陸分布を知る上で参考になると考えることができるようになりました。

ここでは、標高8mを境にした海陸分布図を縄文海進最盛期の海陸分布図と見立てて、その様子をGoogle earthに投影して見てみました。

標高8mを境とした海陸分布図のGoogle earth投影

標高8mを境とした海陸分布図のGoogle earth投影(海陸分布図は半透明)

標高8mを境とした海陸分布図のGoogle earth投影(標準地図とのオーバーレイ)

標高8mを境とした海陸分布図付近のGoogle earth画面

花見川地峡の幅(花見川筋の海と平戸川(新川)筋の海の最短距離)は約3㎞です。

これらの地図から花見川地峡の地勢についてのイメージを持つことが出来ると思います。

花見川地峡という概念が発見されたことに納得していただけると思います。

念のため花見川地峡という概念を説明図で表すと次のようになります。

「標高8mを境とした海陸分布図のGoogle earth投影」説明図

なお、この説明図の杵隈(かしわい=船着場)と高津土塁遺跡(古代直轄港湾)は縄文時代ではなく、その後の古代(奈良時代)の出来事です。

また両方ともその存在を仮説的に発見したものです。

これらの出来事は、古代(奈良時代)には縄文海進の海がまだ内陸部にある程度残っていたことを示す事象として取り上げることができます。

地峡から離れた場所には花見川筋、平戸川筋の双方から縄文丸木舟が出土しています。花見川川筋では大賀ハス(古代ハス)も出土しています。

これらの歴史事象とその意義は改めて別の地峡利用・開発に関するシリーズで詳しく検討します。

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参考 

標高8mを境とした海陸分布図のGoogle earth投影(海陸分布図は半透明) 拡大図

標高8mを境とした海陸分布図付近のGoogle earth画面 拡大図

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