シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その12
花見川河川争奪の地形面モデル(現在観察できる地形面から構成した河川争奪モデル)の自然史年代を資料により検討します。
1 花見川河川争奪発生年代
1-1 南関東の第四紀編年と花見川河川争奪に関わる地形面の年代
次の表は貝塚爽平他編「日本の地形4 関東・伊豆小笠原」(東京大学出版会)に掲載されている南関東の第四紀編年図の一部です。
南関東の第四紀編年図
下総・銚子の項に下総上位、下総下位、千葉1、千葉2の地形面が掲載されていて、南関東各地の地形面と対比できるようになっているとともに、テフラとの関係、海面変動(気候変動)との関連、数値年代等との関連が判るようになっています。
下総上位面は横浜の下末吉面と同じ時期の地形面です。
下総下位面は三浦半島の小原台面と同じ時期の地形面です。
千葉第1段丘は武蔵野北部の本郷面、赤羽面と同じ時期の地形面です。
千葉第2段丘は武蔵野西南部の立川Ⅰ面と同じ時期の地形面です。
上表から花見川河川争奪に関わる地形面の年代を知るために必要な情報だけをピックアップしてまとめると次のようになります。
花見川河川争奪に関わる地形面の年代
この表から判る地形面の概略年代は次の通りです。
●沖積面…縄文海進の影響を受けて形成された堆積面(現成)
●最終氷期侵蝕面…最終氷期(ピークは1万8千年前)に形成された侵蝕面。沖積面の下に埋没谷地形として存在する。谷頭部では谷壁斜面として深い谷の構成要素となっている。
●千葉第2段丘…4万5千年前頃の立川段丘(立川Ⅰ面)に対比される。最終氷期侵蝕面によって切られている。
●千葉第1段丘…8万年前頃の武蔵野面に対比される。
●下総下位面…10万年前頃の小海進によって形成された地形面。
●下総上位面…12万年前ごろの下末吉海進によって形成された地形面
1-2 花見川河川争奪の地形面モデル
花見川河川争奪の地形面モデルは次の通りです。
花見川河川争奪の地形面モデル
このモデルから、花見川河川争奪が最初に発生した時期を「千葉第2段丘形成時期」に特定することができます。
「沖積面に埋没している沖積層基底面(=最終氷期侵蝕面)形成時期」には千葉第2段丘面がさらに侵蝕され、字義通り段丘化しました。
1-3 花見川河川争奪が生起した自然史上の年代
1-1及び1-2から花見川河川争奪が生起した自然史上の年代を編年表に追記すると次のようになります。
花見川河川争奪が生起した年代
花見川河川争奪が発生した年代は4万5千年前頃の千葉第2段丘形成時です。
2 地形面モデルに関する新たな疑問とそこから導き出される仮説
花見川河川争奪発生年代について検討してみると、新たな疑問が生じます。
花見川河川争奪発生年代を千葉第2段丘形成時であると特定できました。この時期は海面低下期、寒冷期で河川の谷頭侵蝕が盛んな時期であったと考えられますから、争奪発生と自然環境が合致します。
さて、地形モデルの被奪河川成分(印旛沼水系谷津成分)を見ると、千葉第2段丘が出てきていません。
付近の印旛沼水系谷津(例 芦太川)を見ると下総下位面、千葉第1段丘、千葉第2段丘が分布していますから、花見川筋(古柏井川筋)に千葉第2段丘が存在しないことに大きな疑問が生じます。
もともと、この地形モデルは現存している地形面から構成したモデルです。
従って、この地形モデルから生じる疑問を解く鍵は、現存しない千葉第2段丘が過去には実在していたという仮説をセットすることにあるように考えられます。
現存する千葉第1段丘より低い位置に千葉第2段丘が存在していたと仮説すると、それと整合する沢山の情報が思い出されます。
地形面モデルの疑問(矛盾)から未知の情報(実は花見川筋(古柏井川筋)に千葉第2段丘が存在していた)を得られる(証明できる)可能性の道筋が見えてきました。
つづく
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