2014年4月29日火曜日

花見川河川争奪の地形面モデルのバージョンアップ

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第2部 花見川河川争奪に遡る その13

花見川河川争奪の成因を説明するべく、その前段として地形面モデルをつくり、争奪の年代を特定してきました。
このシリーズは過去のブログ記事における検討をまとめるような作業をして作成しています。
ですから、本来なら次に花見川河川争奪の成因の成因の説明に入れるところです。
しかしどうも予定調和的には進まないことに気がつきました。

頭で考えてきて、長い間納得してきた地形面モデルを実際に絵にしてみると、そこから新たな疑問が生じてしまい、その疑問を解決しようとすると地形面モデルを変更する必要が生じたためです。2014.04.28記事「花見川河川争奪の発生年代 地形面モデル追考」参照

時間を取ってじっくり考えてみて、このシリーズでは予定していなかった、地形面モデルのバージョンアップを行うこととします。

この記事で地形面モデルのバージョンアップを示します。
次の記事で実際の地形とモデルとの関係を示します。
その後で河川争奪の成因について話します。

1 花見川河川争奪の地形面モデルのバージョンアップ

下総台地の大局的な地形分類とその中における花見川河川争奪の分析範囲、及びその分析結果(バージョン2)を下図に示します。

花見川河川争奪の地形面モデル分析 Ver.2

当初のモデル分析と異なる点は、印旛沼水系の谷津地形成分に千葉第2段丘を加えた点です。
千葉第2段丘の地形面が形成された時代に、東京湾水系谷津が頭方侵蝕で北上し、一方印旛沼水系谷津でも千葉第2段丘の地形面が形成されていて、柏井付近で千葉第2段丘同士で河川争奪が生起したと考えます。

柏井の集落が乗っている河岸段丘(千葉第2段丘)は印旛沼水系によってつくられ、東京湾水系によって改変されていると考えます。

柏井と花島の中間付近には千葉第2段丘が2段になっていて、上が印旛沼水系により形成されたもの、下が東京湾水系により形成されたものと考えます。

詳しい現場の状況は別記事で説明します。

このモデル分析を説明的にプレゼンテーションすると次のようになります。

花見川河川争奪の地形面モデル

2 参考 現存しない千葉第2段丘が過去に実在していたという仮説を述べたブログ記事
2011.11.12記事「3期・4期の地形横断変遷」より抜粋
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1 3期(河川争奪後~普請前)の地形

3期地形横断

柏井で前谷津と後谷津を花見川に争奪されているため、空川になっている古柏井川の地形横断想定です。
空川となっている谷底面は、北柏井の集落の乗っている段丘面に対比される地形面であり、勝田川河岸段丘の千葉第Ⅱ面に対比されるものとして仮想しました。
その高さは12~15mと想定されます。
西岸寄りに段丘面(15~18m)の存在が想定されます。
この段丘面は柏井付近より南の高位段丘、勝田川の千葉第1段丘に対比されるものとして仮想しました。
川幅(谷津の台地浸食幅)250m程度、川の深さは10m~13m程度の谷であったと想定されます。
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この記事で3期とは人工改変前の自然地形が存在していた時代を指しています。
上記地形横断は横戸台団地-鷹之台カンツリー倶楽部付近で、左が東岸(横戸台団地方面)、右が西岸(鷹之台カンツリー倶楽部方面)を示しています。

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