2014年4月3日木曜日

花見川地峡が成立した自然史に興味を持つ

シリーズ 花見川地峡とは その3

1 花見川地峡が成立した直接原因=花見川河川争奪
花見川地峡が成立した直接原因は花見川河川争奪と命名した地学現象です。

河川争奪という言葉は地学用語です。人が河川を奪い合うという意味ではありません。

河川争奪 piracy、capture 河川が流域を越えて隣の河川の水流を奪う現象。流域境界の位置は、河川の浸食力の違いを反映し、一方の河川の浸食が激しく、河床高度が低い場合には、他方の河川流域に食い込み、ついにはその水流を奪う。水流を争奪した河川では、流量の増加で下刻が進む。争奪された河川では、争奪地点から上流流域がなくなり、谷の大きさに対して流量が少ない川となる。そのような河川を無能河川、谷が切断された争奪地点をウィンドギャップ(風隙)という。(新版地学事典、平凡社)

その古典的説明図として、次のデービス原画の絵がよく引用されます。

河川争奪の古典的説明図
「geomorphology」(c.a.cotton 1958)より

花見川河川争奪とは、東京湾水系花見川が印旛沼水系平戸川支流古柏井川の上流部河道を奪った現象です。

花見川河川争奪の地理的イメージは次のようになります。

河川争奪が行われた範囲

花見川河川争奪のイメージを線画で表すと次のようになります。

河川争奪前

河川争奪後

東京湾水系花見川が河川争奪という地学現象を惹起させたため、東京湾水系の範囲がこの付近だけ特異的に北側に移動して、その結果花見川地峡が生まれたのです。

花見川河川争奪の成因には地殻運動が関わっていることが判ってきていますが、その詳細説明は別シリーズで行います。

2 参考 印旛沼筋河川争奪を発見する
花見川河川争奪を発見して検討を深めていた時、さらに視野を空間的に拡げると、印旛沼筋が大規模な河川争奪現象によってつくられてという大胆な仮説を持つことができました。
その仮説を印旛沼筋河川争奪と命名しました。

印旛沼筋河川争奪前の状況
鹿島川とは独立した水系の古平戸川が手賀沼付近で利根川低地に出ていたと考えられます。

印旛沼筋河川争奪後の状況
古平戸川の河口付近の土地が局所的地殻変動で隆起し、古平戸川はダムアップしてしまい、後に鹿島川に争奪されたと考えます。

印旛沼筋河川争奪の詳細説明は別シリーズで行います。

花見川地峡の直接成因である花見川河川争奪について検討を深める中で、この付近の台地地形が褶曲変位地形であるという特徴に気がつきました。

そして花見川河川争奪、印旛沼筋河川争奪や各所に多数見られるレーキ現象(レーキ(農業用熊手)を連想させる水系パターンの発生)が褶曲変位地形では特段特殊な現象ではないことに気がつきました。

花見川河川争奪の認識を深める中で、北総地域の地学的自然史の特徴を知ることが出来、興味を深めることができました。

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