2014年4月11日金曜日

平戸川(新川)筋の縄文海進時海陸分布

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第1部 現代から縄文海進まで遡る その5

2-2 平戸川(新川)筋の縄文海進時の海陸分布

千葉県地質環境インフォメーションバンクで公表しているボーリングデータから平戸川(新川)筋の縄文海進について検討します。

ア ボーリングデータの位置
次の22のボーリングデータ(柱状図)を検討に使いました。

平戸川(新川)筋のボーリングデータ位置図
※現在の流域区分で見ると、1~9は印旛沼水系新川、10~15は東京湾水系花見川、16は東京湾水系花見川支川勝田川、17~22は東京湾水系花見川支川高津川

イ 柱状図からの情報の引き出し
柱状図は千葉県地質環境インフォメーションバンクによって塗色されていて、腐植土はピンク、シルト・粘土は青、砂は黄色になっています。

同時に、ボーリンデータにはN値データが出ています。

N値は一般に次のように定義されていて、地層の強度を表す指標です。
N値の定義:質量63.5±0.5kgのドライブハンマー(通称、モンケン)を76±1cm自由落下させて、ボーリングロッド頭部に取り付けたノッキングブロックを打撃し、ボーリングロッド先端に取り付けた標準貫入試験用サンプラーを地盤に30cm打ち込むのに要する打撃回数(ウィキペディア)
通常沖積層は洪積層よりもN値が小さい(つまり柔らかい)ので、N値によってその地層が沖積層であるか、洪積層であるかという検討に使うことができます。

ここでの検討では、層相とその位置及びN値から沖積層と洪積層(上岩橋層)を区分して、その結果に基づいて縄文海進時の海陸分布を検討しました。

次の例は9番(整理番号08/018)の柱状図ですが、同じ砂層(黄色)でも一部を沖積層にいれましたが、それはN値を参考にしたためです。

9番(整理番号08018)柱状図の検討例

ウ ボーリングデータの検討

22点のボーリングデータについて標高が比較できるように並べて、検討した結果を次に勝田川方向と高津川方向に分けて示しました。

ボーリングデータ検討図(平戸川(新川)-勝田川)
沖積層の分布高度と仮定した縄文海進最高海面高度(標高3m)との関係から、ボーリングデータ9番(大和田排水機場)付近までの沖積層が縄文海進時の海成堆積物と考えます。この付近まで海が広がっていたと考えます。あるいは、12番付近まで海が広がっていたと考えることもできるかもしれません。

ボーリングデータ検討図(平戸川(新川)-高津川)
沖積層の分布高度と仮定した縄文海進最高海面高度(標高3m)との関係から、ボーリングデータ9番(大和田排水機場)付近までの沖積層が縄文海進時の海成堆積物と考えます。この付近まで海が広がっていたと考えます。

エ 海陸分布イメージ
以上の検討結果から平戸川(新川)筋の縄文海進最盛期の海陸分布イメージ例を旧版1万分の1地形図の等高線を参考に示すと次のようになります。

平戸川(新川)筋の縄文海進最盛期の海陸分布イメージ例(旧版1万分の1地形図表示)
旧版1万分の1地形図(「大和田」「習志野」、大正6年測量)

平戸川(新川)筋の縄文海進最盛期の海陸分布イメージ例(電子国土標準地図に投影)

この情報は次に示す5mメッシュデータで標高8mを境に海陸分布図を作成した場合とよく合います。

標高8mを境に海陸分布図を作成した縄文海進イメージ図

この検討から、縄文海進の海が北から南に向かって細長く延びていたという特徴的地勢が浮かび上がりました。

この情報から、長い間人々に忘れ去られていた「高津」という地名の原義「高い場所に在る津(港湾)」が永い眠りから覚めることができます。

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