2019年2月11日月曜日

加曽利EⅠ式併行期土器の観察と感想

縄文土器学習 21 加曽利貝塚博物館企画展展示土器の観察 1

加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察を展示会場で行い同時に撮影写真を活用して観察を深め、感想をメモすることにします。
1月から始めた人生はじめての縄文土器学習の取り組みとして加曽利貝塚博物館企画展開催は絶好の好機です。これまで4回訪問しましたが、さらに3月3日までにも幾度か訪問して入門学習を楽しみたいと考えています。企画展開催に感謝します。

なお企画展展示土器には有吉北貝塚出土土器が多いのですが、有吉北貝塚は縄文中期社会崩壊の要因を分析できる可能性があるきわめて重要な遺跡であると推測しています。
2019.09.07記事「事例学習 有吉北貝塚」参照
そこで芋づる式になりますが有吉北貝塚発掘調査報告書の学習も兼ねて企画展展示土器学習を行います。

展示土器の観察は展示順番で行います。
この記事ではEⅠ式土器最初の展示であるNo.1加曽利EⅠ式併行期土器を観察します。

1 EⅠ式土器の展示
企画展ではEⅠ式土器は次の5点展示されています。

企画展におけるEⅠ式土器の展示

2 No.1加曽利EⅠ式併行期土器(有吉北貝塚出土)

No.1加曽利EⅠ式併行期土器(有吉北貝塚出土)

3 発掘調査報告書における記述
No.1土器は縄文時代中期竪穴住居跡(SB100)から出土していて、「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書等として適宜略称)ではつぎのように記述されています。
2は4単位の波状の把手を持つ深鉢である。肥厚した口縁部下端には、竹管による刻みを1か所につき2度ずつ施す。胴部には緩いくびれ部よりやや下に2本の沈線を巡らし、肥厚した口縁部直下の1本の沈線との間に沈線で幾何学文を描いたものである。底部の残っている部分には、底部の稜線を切るような刻みが90度振れた位置に1か所ずつみられる。

出土土器挿図
発掘調査報告書から引用

出土土器写真
発掘調査報告書第3分冊から引用

なお発掘調査報告書ではNo.1土器出土竪穴住居は阿玉台式・中峠式・加曽利E式が混在するが、破片の残りの良さと量的に多いこと併せて、本住居跡の時期を6群(中峠式)~7群(頸部無文帯成立以前の加曽利EⅠ式)土器群でとらえています。

4 観察と感想
4-1 器形と模様
口縁部がすぼまっていないので他の加曽利EⅠ式土器と印象が異なります。胴部上半分にある幾何学模様も唐草模様のように見え、他の加曽利EⅠ式の模様と印象が異なります。

4-2 口縁部下端竹管による刻み
口縁部下端の竹管による刻みを1か所につき2度ずつ施すという記述を写真では次のように理解しましたが、展示土器で直接観察して確認することにします。

口縁部下端竹管による刻み

4-3 底部の稜線を切るような刻み
「底部の稜線を切るような刻みが90度振れた位置に1か所ずつみられる」記述は展示土器では背後に隠れて観察できないようです。

底部の稜線を切るような刻み

4-4 胴部下部の模様摩耗
胴部下部の模様が摩耗しています。同時に色も黒っぽくなり被熱による器面の赤化(橙色化)の進行が少しだけ弱いように観察できます。

胴部下部の縄文摩耗の様子

胴部下部が摩耗している展示土器は他にもいくつかあります。
胴部下部摩耗はその部分が炉のなかで灰に埋まっていた部分であると作業仮説しておきます。灰に埋まり放しではなく、土器を炉から出したり入れたりする行為が多数回に及び、下部だけ灰との摩擦で摩耗したと考えます。また灰の下なので被熱の影響も上部より少なく、元来の土器の色が少しだけ残ったと考えます。

作業仮説のイメージ No.1土器の炉における加熱方法

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追記 2019.02.13
口縁部が一般的加曽利E式土器と比べて狭いことと口縁部が無文であることに気が付きました。

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他の土器を観察することによって別の土器の特徴がわかることが多いと考えますので、その都度記事に追記することにします。



2019年2月10日日曜日

加曽利E式土器の暦年較正年代

縄文土器学習 20

加曽利E式土器のC14年代は2019.01.30記事「加曽利E式土器のC14年代」で調べました。
加曽利E式土器のC14年代はBP4500年~4000年のイメージで把握することができました。この数値は加曽利貝塚博物館企画展パンフレットにも使われています。
しかし、C14年代と実際の暦年は違うことが明白に分ってきていて、暦年で考古を検討学習するほうが好ましいことは明白です。同時にC14年代を暦年に較正する国際的基準(較正曲線IntCal 13)も明白で、その基準によりC14年代を暦年に較正するプログラム(OxCal)もオックスフォード大学で公開されています。
そこで、れきはくデータベースに掲載されている加曽利E式土器のC14年代測定値のうち土器付着物を測定したデータすべての暦年較正年代をOxCalで調べました。

1 加曽利E式土器の暦年較正年代

加曽利E式土器の暦年較正年代
加曽利E式土器は平均値大局的にみればBP5100年~4500年程度、幅でみればBP5400年~4300年程度ということになります。

参考 加曽利E式土器のC14年代

2 メモ
今後の土器学習で土器形式毎にC14年代データから暦年較正年代をもとめ、私家版学習用土器形式年表を作ることにします。
この年表(暦年年表)により日本や世界の考古歴史事象との比較の学習上の基礎(基準)ができるようになると考えます。
加曽利E1式土器の暦年較正年代とE2式土器の年代が逆転していて本来の期待する値になっていません。専門家が検討すれば各種要因を指摘するのだと思います。自分の学習ではとりあえず様々な土器形式や考古事象の暦年較正年代情報を自分の手元に収集し、暦年大局観を育てることに使い、各種矛盾はとりあえず許容(???)します。

3 参考 OxCalの画面
OxCalはれきはくデータベース「放射性炭素年代測定データベース」の個々データ画面にある「OxCalで暦年較正結果を表示」ボタンから飛ぶことができます。
事前にユーザー登録が必要です。ユーザー登録は名前とメールアドレスを記入すると即座にメールにパスワードが送られてきて、瞬間的にできました。

OxCalの画面
れきはくデータベースの「放射性炭素年代測定データベース」の個々データ画面から飛んだ場合の表示(好みに応じて変更)

2019年2月9日土曜日

縄文土器3Dデータ作成のメドが立つ

縄文土器学習 19

縄文土器学習を1月から始めていますが、学習ツールとして展示土器の形状、模様、各種特徴を立体画像として自分のパソコンの中で詳しく観察できる仕組みづくりを目指してきています。そのような学習ツールができれば展示土器の生の観察を補助することができ、繰り返し観察する場合に生まれる移動の手間や時間の制約から大幅に逃れることができ、より効果的な土器学習が可能となります。
一言でいえば縄文土器の3Dデータ化による私家版立体縄文土器図鑑の作成です。
その縄文土器3Dデータ化のメドが立ちましたのでメモしておきます。

1 3Dデータ化テスト対象土器
飛ノ台史跡公園博物館常設展展示の「船橋市出土最大土器」(加曽利E2式、海老ケ作貝塚出土、出土状況不明(埋ガメという記述あり))をテスト対象としました。この土器は360度からの写真撮影が可能な展示となっています。
次の25枚の写真を用意しました。

船橋市出土最大土器の写真

2 3Dデータ化ソフト
3DF Zephyr Freeを使いました。WEBでの評判等を参考にしました。ソフトは日本語化されていて、チュートリアルも動画・テキスト等豊富で英文テキストはWEB翻訳機能でほぼ完全に理解できました。また機能制限もほとんどなくデータの書き出しもできます。アニメ作成はできません。良いソフトを見つけることができてラッキーだと思います。イタリア製のようです。

3 3Dデータ作成の結果
用意した写真25枚のうち実際に使われたのは11枚だけでした。写真の撮り方に改善の余地が大いにあることが判明しました。そうした半身不随的状況で作業をスタートし、本来するべき詳細設定を全て省略して、なにはともあれ3Dデータを作成しました。

3Dデータができ上がった画面
ゴミだらけです。右奥に鏡に映った姿片までゴミとなっています。

3Dデータができ上がった画面 拡大
仕上がりは予想以上に良好です。拡大縮小、くるくる回せます。

拡大画面
細部を拡大すると模様や凹凸が予想以上に精細であり、縄文土器学習の意欲が強く湧いてきます。

拡大画面
この土器の底部は摩滅していて、この土器の素性を考える時重要な特徴であると感じたのですが、その様子も判ります。

3 3Dデータの書き出し
3Dデータの書き出しは4つの形式で可能です。例としてObj/Mtlで出力し、ObjファイルをWindows10標準アプリのPrint 3Dで表示してみました。

Print 3Dによる「船橋市出土最大土器」3Dデータの表示
ゴミだらけですがシッカリと縄文土器を3Dプリンターにいれることができました。ゴミを取り除き、通常の調整をすれば「船橋市出土最大土器」のミニチュアあるいは現物サイズの立体物プリントさえ可能です。
立体物プリントは目的にしていませんが、パソコンの中で、あるいはWEBの共有環境の中で縄文土器3D画像を操作しながら学習できるツール実現の技術的メドは立ちました。あとは写真撮影を改善し、3DF Zephyr Freeの操作に習熟すればよいだけです。

4 感想
3Dデータ化ソフトにはどんなものがあるのか渉猟し出したのが今朝で、夕方にはゴミだらけですが3Dデータがそれなりに完成しました。偶然の幸運により優秀なソフトにめぐりあったからだと思います。このような利用して気持ちがよくなるソフトは、free版から有料版(149ユーロ)に乗り換えて動画撮影もはやく行えるようにしたくなります。



2019年2月7日木曜日

飛ノ台史跡公園博物館企画展「ここまでわかった!~1万年前の取掛西貝塚~」

縄文土器学習 18

Twitterによる情報(焼町焼さん)に突き動かされて土器学習のとっかかりの一環として飛ノ台史跡公園博物館企画展「ここまでわかった!~1万年前の取掛西貝塚~」(3月3日まで)を観覧してきました。入場料100円で、写真撮影は入口で許可をとりました。

企画展パンフレット表紙

1 動物儀礼
取掛西貝塚の動物儀礼については以前から興味があったのでとても参考になりました。
2017.07.01記事「動物儀礼跡 取掛西貝塚

動物儀礼跡出土竪穴住居が原寸でわかるような展示になっています。また詳しい写真が展示やパンフレットに掲載されています。

動物儀礼の様子 企画展パンフレットから

2 企画展及び常設展展示土器
縄文早期土器をはじめ船橋市の主要縄文遺跡から出土した多数土器の展示がありました。展示はガラス越しのものは少なく遮るものなく観察できる点はとても素晴らしいことでした。さらに360度から観察できる土器も幾つかあり、3Dデータ化のために多方面から写真を撮った土器もあります。

企画展展示縄文早期前半 東山式土器

常設展展示土器

常設展展示土器(海老ケ作貝塚出土)

常設展展示土器(船橋市出土最大土器、海老ケ作貝塚出土)
船橋市出土最大土器については学芸員の方に詳しい説明を受けることができました。加曽利貝塚博物館企画展展示巨大土器と類似した土器であり、煮沸用ではなく水等の貯蔵用の可能性の説明を聞くことができました。加曽利博巨大土器の疑問を解き素性を理解する上でとても参考になり、加曽利博巨大土器の再考察をする気持ちが生れました。

船橋市出土最大土器を多方向から写真に撮った様子
3Dデータ化が成功するかどうかまだメドはたっていませんが2月中に基礎技術獲得を目指しています。

飛ノ台史跡公園博物館の情報がとても充実しているので、とても短時間1回の観覧で全ての土器を咀嚼することは困難です。加曽利貝塚博物館と同様今後何回か訪問して土器学習を進めたいと考えました。同時に展示土器の私家版図鑑をつくることにしました。
飛ノ台史跡公園博物館観覧の後加曽利貝塚博物館に向かい企画展展示土器の3Dデータ用撮影を行いました。体を動かして学習するくせが形成されつつありよいことであると直観しました。

2019年2月5日火曜日

加曽利博展示巨大土器に火焔摩滅発見

縄文土器学習 17

2019.02.04記事「加曽利貝塚博物館企画展展示巨大土器について」の続きです。
現在加曽利貝塚博物館で開催されている企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで)に展示されている加曽利E2式土器(深鉢、有吉北貝塚)に火焔によると考えられる縄文摩滅を発見しましたのでメモします。

1 A面とB面
展示巨大土器の写真は次のようにA面とB面の2種類を撮影していたので、そのように区別します。結果としてA面とB面が被火焔という側面で全く異なる対照的な状況にあったことが判明しました。

A面とB面

2 比較箇所
土器口縁部(1)、頸部~胴部(2)、胴部下部(3)の3箇所をAとBで比較します。

比較箇所の設定
A1とB1、A2とB2、A3とB3を比較する

3 縄文模様摩滅状況の比較

A1とB1
口縁部縄文模様の凹凸を詳しく比較するとBで摩滅している部分があることを確認できます。

A2とB2
B2の縄文模様摩滅が顕著です。度重なる被火焔により縄文のミクロな突起が摩滅脱落した結果であると考えられます。
なおA2の左下付近も縄文のミクロな突起が摩滅していますが、これは破片がガリー谷底を流れる際、あるいはガリー谷底における地下水流動で摩滅したものであると推定します。しかし、A2のそのような状況よりB2の被火焔による摩滅の方がはるかに顕著です。

A3とB3
B2と同様にB3も被火焔による縄文ミクロ突起の摩滅脱落が顕著です。
A3の左上は破片がガリー谷底で受けた物理的摩滅であると推定します。

4 メモ
4-1 巨大土器は通常の煮沸用土器
企画展展示巨大土器が煮沸用土器として日常的に使われた形跡の存在が明白となりました。火焔により縄文ミクロ突起が摩滅脱落しているのですから、1回や2回の煮沸活動ではなく、多数回利用されたことは確実です。「この土器はたまたま何かの焚火の跡がついたもので、新品が使われることなく壊された」という説明は根拠薄弱であると考えます。

4-2 特定方向土器加熱は炉の形式を暗示する
同時に自分にとって貴重な情報は土器加熱が360度のまわりから行われたのではなく、特定方向から行われた可能性が濃厚であるということです。このような特大土器を360度の回りから加熱したら煮物をかき混ぜたり、水を加えたり、アクを取ったりすることが困難です。またそもそも土器を安定設置させることができません。
特定方向から火を燃やして土器加熱したという事実はこの土器を設置した炉の形式を暗示するものです。

2019年2月4日月曜日

加曽利貝塚博物館企画展展示巨大土器について

縄文土器学習 16

加曽利貝塚博物館の企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)と縄文時代研究講座「千葉市内出土の加曽利E式土器」(2019.01.20開催)は自分にとってまたとない土器学習入門の場となりました。加曽利貝塚博物館の意欲的な取り組みに感謝申し上げます。

企画展にはガラス越しに加曽利E式土器が時系列的に多数展示されていますが1点だけガラス越しではなく観察できる土器があります。企画展入口付近に「巨大な加曽利E式土器」という説明文がある深鉢(加曽利EⅡ式、緑区有吉北貝塚)です。

巨大な加曽利E式土器

この土器の説明に違和感を持ちましたので、学習の対象としました。
説明文に「この土器に煤の付着はみられません。」「残念ながら「お鍋」説には無理がありそうです。」と書かれています。

「巨大な加曽利E式土器」説明文

しかし、自分の肉眼では煤が見えてしまいます。近隣遺跡出土特大土器は煮沸用がふつうで特段に特殊用途であるものは自分は知りません。

そこで思い切って博物館に質問してみました。
巨大土器の前でご担当の方から次のような説明がありました。
・この土器は何かに利用されたことはないようだ。作られてすぐに壊されたようだ。煮沸に使われたことはない。煤として見えるものは別の焚火などでついたもので煮沸とは無関係である。
・この土器の用途としては別の場所で巨大土器が棺として使われた例もあり参考になるかもしれない。

当方は全くの素人であり、素人ゆえに説明に納得することは出来ませんでした。
その場で次の2点の観察を述べましたが、煤・コゲに関する見解の相違は埋まりませんでした。

私の巨大土器観察結果
内側2条の喫水線様のコゲ、外面と内面のスス・コゲ分布域の略一致、ふきこぼれ様コゲなどはこの土器が煮沸に供されたことを示している。

自分のスス・コゲに関する知識は生活体験での知識であり、縄文土器専門知識ではありません。従って自分の観察が間違っていると確認できれば、大いに学習が進むことになります。自分の観察が間違っていても、間違っていなくても、学習を大いに促進できるポイントに到達できた感覚を持ちました。

なお、この土器の出土状況を「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)- 第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)で調べると、北斜面貝層基底部の一括投入土器の中から出土しています。

巨大土器(294)の出土状況
「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)- 第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)から引用・加色
出土土器にはこの土器と同等以上の大きさの土器も含まれています。また多数土器が一括投入された状況からこの巨大土器が特殊な扱いを受けていたとは考えにくいと直観できます。

展示巨大土器は使い込まれて外面内面が真っ黒になった状況ではないとは思いますが、ガリー基底部の地下水流動でススコゲの一部が洗われた可能性があります。新品で廃棄破壊されたとの見立てはやはり納得できません。
煮沸用ではない別の目的でつくられ、即破壊されたとの考えは、他の多数土器と一括投入されたような形跡から考えずらいです。棺などの可能性はないと考えます。

2019年2月3日日曜日

加曽利E式土器の器形模様変遷

縄文土器学習 15

1月21日開催「縄文時代研究講座「千葉市内出土の加曽利E式土器」」(加曽利貝塚博物館主催、講師佐藤洋先生)の復習をします。2019.01.21記事「縄文時代研究講座「千葉市内出土の加曽利E式土器」を聴講する
加曽利E式土器の器形と模様の説明が佐藤洋先生より詳しく説明がありましたが、その説明を企画展「あれもE これもE-加曽利E式土器(千葉市内編)-」で撮影した写真と照合して反芻しました。写真は全てガラス越し撮影です。

1 加曽利EⅠ

加曽利EⅠの器形と模様
企画展「あれもE これもE-加曽利E式土器(千葉市内編)-」パンフレットから引用

企画展展示加曽利EⅠ式深鉢(有吉北貝塚)

企画展展示加曽利EⅠ式深鉢(有吉北貝塚)
口縁部、頸部、胴部の区別が容易。縄文の上からなぞる縦方向沈線が特徴。

2 加曽利EⅡ

加曽利EⅡの器形と模様
企画展「あれもE これもE-加曽利E式土器(千葉市内編)-」パンフレットから引用

企画展展示加曽利EⅡ式深鉢(有吉北貝塚)

企画展展示加曽利EⅡ式深鉢(有吉北貝塚)
口縁部の角度がEⅠから変化し渦巻模様が特徴的。胴部に膨らみが生れる。沈線の間をなで消す技法(磨消縄文)が登場する。

3 加曽利EⅢ

加曽利EⅢの器形と模様
企画展「あれもE これもE-加曽利E式土器(千葉市内編)-」パンフレットから引用

企画展展示加曽利EⅢ式深鉢(井戸作南遺跡)

企画展展示加曽利EⅢ式深鉢(井戸作南遺跡)
口縁部、頸部、胴部の区画が不明瞭になり、渦巻きも崩れる。磨消縄文が広くなる。

4 加曽利EⅣ

加曽利EⅣの器形と模様
企画展「あれもE これもE-加曽利E式土器(千葉市内編)-」パンフレットから引用

企画展展示加曽利EⅣ式深鉢(六通貝塚)

企画展展示加曽利EⅣ式深鉢(六通貝塚)
細い粘土の紐を張り付けた立体表現が登場。

2019年2月2日土曜日

隆起線文土器の出土遺物が小さい理由

縄文土器学習 14

隆起線文土器の出土遺物が小さいことに不自然さを感じます。どの遺跡でも縄文草創期の土器片は小さいものばかりで器形が復元できるような土器片出土は稀のようです。
近々一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器を閲覧する予定ですが、所蔵機関のご担当の方から「想像するより小さいのでがっかりしないように」とのお話までありました。同じご担当の方から特大加曽利B式土器多数を見せていただいたことがありますので、当方が落胆しないようにご配慮していただいたようです。

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器
成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21(千葉県文化財センター調査報告第517集)から引用

西根遺跡出土特大加曽利B式土器
一鍬田甚兵衛山南遺跡出土物所蔵機関と同じ機関が所蔵。

出土する隆起線文土器の破片が小さい理由についてその可能性を想像してみました。
1 隆起線文土器も後代の縄文土器(例加曽利B式土器)も同じ割れ方、残り方をしているが、隆起線文土器の器形の方がはるかに小さく、そして何よりも絶対数が異常に少ない。そのため出土する隆起線文土器破片が小さいものばかりのように見える。(観察における錯覚)
2 隆起線文土器の素材や焼成方法が後代のものより粗雑であるから廃用後により細かく割れる、分解する、土に戻る。土器の理化学的特性から土器片として残りにくい。そのため土器片は小さくなり、数も少なくなる。
3 隆起線文土器も後代の縄文土器も、廃用後それを意図的に破壊して原形をとどめないようにする活動(一種の祭祀活動)があった。そのため縄文土器は意図的に破壊され小片になったものが極めて多い。そのような廃用土器破壊活動が土器誕生直後は純粋かつ徹底して行われた。そのため隆起線文土器など草創期土器の破片は特に小さい。

これ以外にも隆起線文土器の破片が小さい理由があるかもしれません。また幾つかの理由が複合しているかもしれません。
しかし、次のような情報から第3の理由、つまり意図的土器破壊行為が草創期は純粋かつ徹底して行われていた蓋然性が高いと考えますので、その考えを作業仮説として縄文土器学習を進めることにします。

ア 廃用土器を破壊する活動は全世界に存在する

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用
ギリシャコルフ島の例に限らず廃用土器を破壊する行為は多く見られます。
日本でもカワラケ投げや焼き場に人を送る時の茶碗割りなど土器破壊活動に起源を有すると考えられる風習が残っています。

イ 西根遺跡における土器破壊行為

西根遺跡における土器総重量と土器片平均重量

西根遺跡における土器破壊行為の空想
西根遺跡は低地における土器塚の様相を呈していますが、土器密集場所には特大土器が集中し、その場所の土器片平均重量は周辺より小さくなっています。つまり土器密集場所(特大土器集中場所)ではより入念に土器が破壊されています。土器破壊行為は重要な祭祀行為であったと考えます。

ア、イなどの情報から廃用土器は器形を留めないように破壊するという祭祀活動が土器誕生とともに存在していて、土器誕生当初はその祭祀活動がより純粋で徹底していたと想像します。