加曽利貝塚博物館企画展「あれもE これもE -加曽利E式土器(千葉市内編)-」(3月3日まで開催)の展示土器38点の個別観察を展示会場で行い同時に撮影写真を活用して観察を深め、感想をメモすることにします。
1月から始めた人生はじめての縄文土器学習の取り組みとして加曽利貝塚博物館企画展開催は絶好の好機です。これまで4回訪問しましたが、さらに3月3日までにも幾度か訪問して入門学習を楽しみたいと考えています。企画展開催に感謝します。
なお企画展展示土器には有吉北貝塚出土土器が多いのですが、有吉北貝塚は縄文中期社会崩壊の要因を分析できる可能性があるきわめて重要な遺跡であると推測しています。
2019.09.07記事「事例学習 有吉北貝塚」参照
そこで芋づる式になりますが有吉北貝塚発掘調査報告書の学習も兼ねて企画展展示土器学習を行います。
この記事ではEⅠ式土器最初の展示であるNo.1加曽利EⅠ式併行期土器を観察します。
1 EⅠ式土器の展示
企画展ではEⅠ式土器は次の5点展示されています。
企画展におけるEⅠ式土器の展示
2 No.1加曽利EⅠ式併行期土器(有吉北貝塚出土)
No.1加曽利EⅠ式併行期土器(有吉北貝塚出土)
3 発掘調査報告書における記述
No.1土器は縄文時代中期竪穴住居跡(SB100)から出土していて、「千葉東南部ニュータウン19 -千葉市有吉北貝塚1(旧石器・縄文時代)-第1分冊(本文)」(平成10年3月、住宅・都市整備公団・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書等として適宜略称)ではつぎのように記述されています。
「2は4単位の波状の把手を持つ深鉢である。肥厚した口縁部下端には、竹管による刻みを1か所につき2度ずつ施す。胴部には緩いくびれ部よりやや下に2本の沈線を巡らし、肥厚した口縁部直下の1本の沈線との間に沈線で幾何学文を描いたものである。底部の残っている部分には、底部の稜線を切るような刻みが90度振れた位置に1か所ずつみられる。」
出土土器挿図
発掘調査報告書から引用
出土土器写真
発掘調査報告書第3分冊から引用
なお発掘調査報告書ではNo.1土器出土竪穴住居は阿玉台式・中峠式・加曽利E式が混在するが、破片の残りの良さと量的に多いこと併せて、本住居跡の時期を6群(中峠式)~7群(頸部無文帯成立以前の加曽利EⅠ式)土器群でとらえています。
4 観察と感想
4-1 器形と模様
口縁部がすぼまっていないので他の加曽利EⅠ式土器と印象が異なります。胴部上半分にある幾何学模様も唐草模様のように見え、他の加曽利EⅠ式の模様と印象が異なります。
4-2 口縁部下端竹管による刻み
口縁部下端の竹管による刻みを1か所につき2度ずつ施すという記述を写真では次のように理解しましたが、展示土器で直接観察して確認することにします。
口縁部下端竹管による刻み
4-3 底部の稜線を切るような刻み
「底部の稜線を切るような刻みが90度振れた位置に1か所ずつみられる」記述は展示土器では背後に隠れて観察できないようです。
底部の稜線を切るような刻み
4-4 胴部下部の模様摩耗
胴部下部の模様が摩耗しています。同時に色も黒っぽくなり被熱による器面の赤化(橙色化)の進行が少しだけ弱いように観察できます。
胴部下部の縄文摩耗の様子
胴部下部が摩耗している展示土器は他にもいくつかあります。
胴部下部摩耗はその部分が炉のなかで灰に埋まっていた部分であると作業仮説しておきます。灰に埋まり放しではなく、土器を炉から出したり入れたりする行為が多数回に及び、下部だけ灰との摩擦で摩耗したと考えます。また灰の下なので被熱の影響も上部より少なく、元来の土器の色が少しだけ残ったと考えます。
作業仮説のイメージ No.1土器の炉における加熱方法
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追記 2019.02.13
口縁部が一般的加曽利E式土器と比べて狭いことと口縁部が無文であることに気が付きました。
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他の土器を観察することによって別の土器の特徴がわかることが多いと考えますので、その都度記事に追記することにします。
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