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2019年8月8日木曜日

堀之内2式浅鉢形土器の石膏復元の様子

縄文土器学習 226

市立市川考古博物館に展示されている堀之内2式浅鉢形土器がどこが原本でどこが発掘後復元されたものであるのか確信をもって判りませんでした。
ブログ「縄文土器3Dモデル素材集」記事「堀之内2式浅鉢形土器(7) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル 」

市立市川考古博物館展示 堀之内2式浅鉢形土器

人工復元されたと直観できる場所に部分的に縄文のような「稚拙な」模様が存在していて、その意味が分からないため、妄想が妄想を呼びます。
堀之内式土器に山之内清男がよくあるといったという土器接合がこの土器にもあるかもしれないという妄想がどうしても頭を離れません。
2019.05.20記事「堀之内1式土器 加曽利貝塚」参照

そこで思い切って市立市川考古博物館にこの土器の閲覧をお願いし、それが実現しました。
土器現物を間近で見ると、石膏で人工復元された部分は見間違うことなくそれとよくわかり、一瞬にして土器接合妄想は消散しました。
「稚拙な」模様は石膏面の一部だけに縄文を模して復元者が書き込んだものであることが確認できました。

堀之内2式浅鉢の閲覧
この土器を手に取ってみれば万人が間違うことがない石膏復元場所の特定が、ガラス面越し観察で、なおかつ内部を十分にのぞき込めない視線位置のために、そして生半可な山内清男編「日本先史土器図譜」学習が総合的に災いして、できなかったのです。
素人付け焼刃縄文土器学習のつらいところです。
同時に縄文土器学習初心者の興味が高度に満足され、学習が進展した、うれしいまたとない体験でもあります。
御多忙の中、堀之内2式浅鉢の閲覧指導をしていただいた市立市川考古博物館領塚学芸員に心から感謝申し上げます。

2019年7月24日水曜日

市川考古博物館企画展「大地からのメッセージ」の観覧

縄文木製品学習 9

1 企画展観覧
市立市川考古博物館で2019.07.06~09.08の期間開催されている企画展「大地からのメッセージ-外かん自動車道の発掘成果-」を観覧してきました。
この企画展に先行する遺物一部展示を観覧したり、関連文化講演会を聴講したりしていますので大いに期待して観覧しました。2019.07.13記事「市立市川考古博物館主催縄文文化講演会学習メモ」
会場は市川歴史博物館の2階です。想像した以上に多用な遺物が展示され、自分の期待感以上で、好奇心を大いに掻き立て、満たしてくれる展示内容でした。
パンフレット(300円)も充実しています。

企画展パンフレット(A4)

土器についてみれば縄文早期から後期までの多様な出土物が展示され、土器学習を進めている自分にとってはじっくりみたいものばかりです。しかし今回は限られた時間ですから観覧は一番興味のある木製品観覧に的を絞りました。目玉商品の日本最古丸木舟も後回しにしました。

企画展パンフレットの木製品の出ているページ

木製品について気が付いたことや興味が生れましたのでメモしておきます。

2 木製品観覧メモ

木製品観覧メモ 1
「木製品の未製品(用途不明)」という説明のある木製品現物を観覧しました。未製品(あるいは破損品)という表現が気になります。海辺(海水が出入りする場所)に未製品を3本きれいに並べて置くという状況は考えづらいです。先端が一部欠けているような状況をもって未製品(あるいは破損品)と呼んでいるみたいですが、その欠けが意図的な行為や彫刻である可能性を西根遺跡出土木製品観察体験から感じます。
観察スケッチや精細な写真撮影はあると思いますが、土器と異なり木製品はそれ以上にふみこんだ検討・考察はだれも行っていないと思います。

「木製敲打具(物を敲く)」という説明のある木製品を観覧しました。敲打具という説明は自分の意表を突くものでした。
何を敲打したのか興味が広がります。
魚や海藻を敲打して食物として消化しやすくしたり、おいしくしたのか?
貝を敲打して実を取り出しやすくしたのか?
丸木舟を敲打して音を出し、出航や寄港の合図にしたのか?
土器に動物皮を張って太鼓をつくり、その太鼓を敲打して海辺の音楽(祭祀)が行われたのか?
敲打具という説明の背景には専門家の深い知識が控えていると考えますので、その知識を是非とも摂取したいと希望します。
なお、敲打した場所と考えられる先端膨らみを老眼に鞭打って観察すると、多面形の集合として構成されています。そして、面と面が交わる稜線が新鮮に残されているようでした。
自分には先端部分でモノを打ったり、あるいは撫でまわしたりして摩耗している様子は感じられませんでした。多面形集合で全体の丸みを出した多面体が現出した直後のような印象を受けました。

これらの木製品は未製品(破損品)とか敲打具ではなく、そのものが使われた直後に埋納された本製品であり、同じ機能を有する「イナウ」であるという個人仮説の確からしさを感情レベルで深めることができました。

木製品観察メモ 2
長い棒状木製品2本が出土状況とおなじように並べて展示してありました。
そのうち短い方には縛った跡や微細な矩形穿孔を複数観察することができました。(長い方も類似の微細刻等の跡が多数あります。)これらの特徴は西根遺跡木製品と同じです。特に微細な(3~4mm×2~3mm?)矩形穿孔は鋭利な石器工具で草花、昆虫羽根、鳥羽等を刺しこんで一時的に飾った跡と空想しますが、工具は回していません。工具でモノを押し込んだ時、その先端が矩形をしています。その点が大いに疑問で残ります。錐に使う石器でこれまでに観察した実物は、グリグリ回して使うので先端が丸くなっていました。
黒曜石で錐を作ると、先端が四角錐になるものができるということでしょうか?

この企画展には何回も足を運びたいと思います。

2019年7月13日土曜日

市立市川考古博物館主催縄文文化講演会学習メモ

縄文土器学習 186

2019.07.13開催の市立市川考古博物館主催 企画展「大地からのメッセージ-外かん自動車道の発掘成果-」関連講演会「市川から発信する新たな縄文文化」を聴講しました。参考になった点が多々ありましたのでその感想をメモします。

講演会配布資料表紙

1 外かん自動車関連遺跡の発掘概要 蜂屋孝之先生講演
道免き谷津遺跡をメインにして低地遺跡の発掘概要説明があり、興味深い事柄ばかりでした。トチの実集積土坑が偶然発掘できて、そのアク抜き水さらし場と推定される木組み遺構の発見は堀之内貝塚の作業場がこの谷津にあったことを想定させます。
また土器片が特に大量に出る場所があり、焼骨出土などの情報を加え単なる生業作業場だけでなく、西根遺跡のような祭祀の場所であったことも自分は想像しました。

極めて興味深い情報満載の配布資料

2 雷下遺跡の発掘と最古の丸木舟 沖松信隆先生講演
雷下遺跡の状況は以前学習した千葉市神門遺跡と似ていますので興味があり、特に棒状木製品については検討してきているので、どのような話になるのか話に注目しました。
棒状木製品についてはこれまで発掘調査報告書やWEB掲載資料では見かけなかった写真がパワーポイントで表示され、いままでの興味がさらに倍化しました。イナウではないかという自分の作業仮説に沿う発掘製品のように感じました。
演者は棒状木製品について「2本1組で出土していることに注目できる」、「丸木舟が乗り上げている自然木の下からも出土している」(写真あり)、「櫂、掘具とは別の製品と考えられる」など自分にとって初めての情報・興味を挑発する情報が述べられました。

棒状木製品が掲載されているページ

3 縄文人の暮らしと世界観 小林達雄先生
小林達雄先生の姿を見たのは初めてです。先生の図書はいろいろ読んだことがありますが話しを聞くのははじめてでした。

興味深いので私が参考となる部分だけの要旨を次にまとめました。
・縄文土器をつくるということは定住生活が始まったことを意味し、それが縄文時代の幕開けである。
・縄文土器口縁部に突起や波状がある。これは世界の古代土器に無い特徴である。世界で縄文土器だけの特徴である。
・沖縄の土器にも突起や波状があるので、沖縄も縄文文化である。
・突起や波状は無用の長物どころか実用上邪魔モノ以外の何物でもない。しかし、実用鍋に突起や波状をつけている。
・その極端な例が火焔土器、水煙土器である。
・この特徴は縄文人の右脳思考による。
・縄文人の右脳思考の例として土偶、土版、石棒などをあげることができる。
・土版は占いかもしれない。
・土偶はアイヌのクロボッコルたいな見えない何物かを表現した可能性がある、早期・前期の土偶に顔がないのはそのためである。中期になるとようやく顔がつくが最初は目や口はない。
・見えない何物かを表現しようとすると人に近くなってしまう。
・土偶は女性ではない。土偶の研究は早期土偶からしなければならない。顔のついた土偶から研究するのは本質を見誤る。
・縄文人が情緒深い文化をもっていることは日本語にオノパトペが多く伝わっていることにも表れている。
・縄文人が情緒深い文化を持った、右脳を使う文化を持った背景に集落の回りがハラであったことによる。大陸では集落の回りはノラであり、左脳で生活する環境であった。
・大陸から発生した4大文明は現在にいたって地球を破壊し、人類という種が滅亡する運命にある。

感想
縄文文化の本質を分かりやすく話していただいたと感謝します。弟子でも自分の考えに反論する人がいると愚痴半分冗談半分の話が出ましたが、自分は小林達雄先生の考え(縄文人は右脳人間で現代文明の左脳人間と違う)に大いに共鳴しました。
しかし弟子でも反論する人がいる状況も大変よく理解できました。小林達雄先生の考えに自分を染めると技術的な論文が書きにくくなります。小林達雄先生の縄文人の本質を突いた考えを無意識的に回避しようとする人がいてもおかしくありません。
自分は完全趣味活動で縄文学習をしていますので小林達雄先生の本質的な指摘に共鳴しつつ、その指摘を格好の検討対象にして学習を進めたいと思います。
ただし、小林達雄先生の図書記述具体について疑問を持ったことが何回かあります。具体的なことではなく、縄文社会を捉える先生の根本姿勢を参考にしたいと思います。


2019年7月3日水曜日

堀之内式土器 観察記録3Dモデル その3

縄文土器学習 173

2019.07.03記事「堀之内式土器 観察記録3Dモデル その2」のつづきです。

市立市川考古博物館の堀之内式土器展示コーナー以外の場所に異形台付土器が舟形土器、注口土器やその他多くの品と一緒に展示されていました。

展示の状況全体を観察記録3Dモデルにしましたので掲載します。

異形台付土器等の展示 市立市川考古博物館 観察記録3Dモデル
撮影場所:市立市川考古博物館
撮影月日:2019.05.24
ガラス面越し撮影。

異形台付土器等の展示 市立市川考古博物館
撮影場所:市立市川考古博物館

堀之内式土器 観察記録3Dモデル その2

縄文土器学習 172

2019.07.03記事「堀之内式土器 観察記録3Dモデル その1」のつづきです。

1 3点の注口土器
市立市川考古博物館の堀之内式土器展示コーナー11点の中に3点の注口土器が含まれています。
堀之内1式注口土器(4) 株木東遺跡

堀之内2式注口土器(5) 株木東遺跡

堀之内2式注口土器(8) 堀之内貝塚

4と8の注口土器は両手で注ぐことを前提とした2つの把手を用意していて、丁寧に容器内液体を注ぐ道具であったことがわかります。
5も大きな把手は飾りであり、その基部の2つの孔に指を入れて両手で液体を注いだのではないかと想像します。大きな把手にはそこを持てるだけの強度を最初から期待していないと考えます。5の2つの渦は蛇のしっぽをその両側に蛇の頭があるように見えます。

2 堀之内2式注口土器(8) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
深鉢土器の文様とも似る注口土器(8)の観察記録3Dモデルを掲載します。

堀之内2式注口土器(8) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
撮影場所:市立市川考古博物館
撮影月日:2019.05.24

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市立市川考古博物館における堀之内式土器の展示
堀之内式土器展示コーナーには11点の土器が展示されています。
これらの土器は次のリストリンク先で観察記録3Dモデルを掲載しています。

堀之内1式深鉢形土器(複製)(1) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式深鉢形土器(2) 曽谷貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式深鉢形土器(3) 曽谷貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内1式注口土器(4) 株木東遺跡 観察記録3Dモデル
堀之内2式注口土器(5) 株木東遺跡 観察記録3Dモデル
堀之内2式浅鉢形土器(6) 株木東遺跡 観察記録3Dモデル
堀之内2式浅鉢形土器(7) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式注口土器(8) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式深鉢形土器(9) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式深鉢形土器(10) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式広口深鉢形土器(11) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル

堀之内式土器 観察記録3Dモデル その1

縄文土器学習 171

堀之内式土器については既に次の記事で学習しています。
2019.05.15記事「堀之内式土器 加曽利貝塚」
2019.05.20記事「堀之内1式土器 加曽利貝塚」
これらの観察に加え、市立市川考古博物館における「本場」(?)堀之内式土器コレクションを観察して全て観察記録3Dモデルにしました。これらの資料により堀之内式土器の器形や文様、土器種別の様子などをより強く脳裏に刻むことができ、今後の縄文学習の基礎知識として役立つものと直観しています。
堀之内式期は大膳野南貝塚集落における住居が急激に増えた時期(逆に母村の六通貝塚では住居が見つからない時期)でもあり、地域社会が広域的に急展開・急成長した時期ですから、その時期の土器の様子を知ることは大切であると考えています。

1 市立市川考古博物館における堀之内式土器の展示

市立市川考古博物館における堀之内式土器の展示
堀之内式土器展示コーナーには11点の土器が展示されています。
これらの土器は次のリストリンク先で観察記録3Dモデルを掲載しています。

堀之内1式深鉢形土器(複製)(1) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式深鉢形土器(2) 曽谷貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式深鉢形土器(3) 曽谷貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内1式注口土器(4) 株木東遺跡 観察記録3Dモデル
堀之内2式注口土器(5) 株木東遺跡 観察記録3Dモデル
堀之内2式浅鉢形土器(6) 株木東遺跡 観察記録3Dモデル
堀之内2式浅鉢形土器(7) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式注口土器(8) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式深鉢形土器(9) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式深鉢形土器(10) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
堀之内2式広口深鉢形土器(11) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル

2 堀之内2式深鉢形土器(10) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
この記事では深鉢土器のうち文様が見やすい10の観察記録3Dモデルを掲載します。

堀之内2式深鉢形土器(10) 堀之内貝塚 観察記録3Dモデル
撮影場所:市立市川考古博物館
撮影月日:2019.05.24
ガラス面越し撮影。
堀之内2式深鉢形土器(10) 堀之内貝塚
撮影場所:市立市川考古博物館

2019年6月5日水曜日

上ノ山式土器の特徴

縄文土器学習 147

この記事は2019.06.03記事「上ノ山式併行の土器 雷下遺跡(5)地点出土」のつづきです。
市立市川考古博物館に展示されている雷下遺跡出土上ノ山式併行の土器を観察しましたが、そもそも上ノ山式土器とはどのようなものであるのか学習しました。

1 上ノ山式併行の土器 展示の様子

上ノ山式併行の土器 展示の様子

上ノ山式併行の土器 口縁部付近

2 上ノ山式土器に関する「日本土器事典」の記述
「上ノ山式土器
粕畑式につづく早期末の東海・近畿北部に分布する地域的性格の強い含繊維土器。天白川沖積地に臨む貝塚群の一つである名古屋市緑区鳴海町上ノ山所在の貝塚出土の突帯文土器に、杉原荘介・吉田富男が1937年に命名した。
上ノ山貝塚は丘陵の傾斜変換線に立地する100m2ほどの小貝塚で、ハイガイを主とする貝層に部分的に黒色有機土層の間層をはさみ、下半には上ノ山式、上半には入海式を主として包含する。石山・天神山式から上ノ山Z式土器までつづく歴代貝塚である。
●器形
截頭砲弾形深鉢で平縁が圧倒的に多く、波状口縁はまれである。器厚は1㎝前後で胎土には繊維を含み、器面はハイガイ条痕で仕上げするものが一般的である。底部は尖底と、突出した径3cm程度の不安定な小型平底の二者がある。
●文様
口縁部に一条の突帯を横位にめぐらす土器を指標とする。突帯は一巡するのが普通であるが、ごく短い(数cm)例もある。突帯には上下から交互に押圧を加える例が多く、口端面にも同様の押圧を施すものが多い。
上ノ山式の指標となる突帯文を貼布する手法は、全く突然に出現するもので、粕畑式には求められず、そのモチーフの源流は不明である。
●分布
上ノ山式土器を出土する遺跡は粕畑式より乏しく、愛知県では刈谷市八ツ崎・名古屋市上ノ山・知多半島先端の塩屋遺跡・尾鷲市向井遺跡にー定量が知られる。著名な石山貝塚(滋賀県)の報告で上ノ山式とされたのは後述の入海式最古段階の土器が多い。他に長野県伊那谷ではおそらく主体となるが、東京・埼玉・神奈川では他の型式に客体的に伴う。」

日本土器事典から引用

3 メモ
・口縁部の一条の突帯が上ノ山式土器の最大の特徴のようです。また突帯及び口唇部が押さえられて微細な波状になるのも特徴のようです。
・茅山上層式土器をメイン土器とする雷下遺跡縄文人がなぜ上ノ山式土器を作ったのか、その理由について今後学習を深めることにします。
・そもそも上ノ山式土器が東海から移入されたものではなく、下総で作られたことの確証を知る必要があります。
・伝統的日本料理だけでなく、海外から伝わってきたイタリア料理もときどき(見よう見まねで)楽しむというような現象でしょうか?
・土器形式の伝播変容を詳しく調べることは文化影響力を調べることであり、影響力のある土器形式はそれだけ文化力(≒社会的豊かさ、魅力)があるということであり、縄文社会を理解するうえで大変興味のある事象です。
・婚姻と関係するのか、その点も知りたくなります。

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学習チェックリスト

2019年6月4日火曜日

茅山上層式土器の特徴と分布

縄文土器学習 146

この記事は2019.06.02記事「茅山上層式土器 市川市雷下遺跡(5)地点 観察記録3Dモデル」のつづきです。

1 茅山上層式土器
2019.06.02記事に雷下遺跡出土茅山上層式土器の観察記録3Dモデルを掲載しました。

茅山上層式土器 雷下遺跡出土 市立市川考古博物館展示

2 茅山上層式土器の特徴 総覧縄文土器から引用
茅山上層式土器は縄文早期後半から前期初頭に編年される条痕文系土器の形式の1つです。
条痕文系土器は胎土に繊維を含み放射肋(あばら)を持つ貝殻腹縁を用いて器面に条痕を施すことから「条痕文系土器」と呼ばれる。汎日本的に分布域を拡大する土器様式である。
「茅山上層式
およそ3段階の変遷が考えられている。最古段階にくびれの器形が形骸化して残存するが、小さな平底をもつくびれのない器形(28)が一般的となり、全体的に無文化傾向が強くなる。1帯を段部(30)や隆帯・沈線で区画するものが多く、茅山下層式から系譜する鋸歯状や弧線状の集合構成文を沈線(29)や結節沈線(27)で施文するものが主体となり、口縁部にタガ状の隆帯を巡らし、波頂部から隆帯を垂下するのみの構成もある。関東一円に絡条体圧痕文土器が分布するようになり、東海地方の粕畑式(32)の影響を受け、波状口縁に沿って刺突文を2~3列施文する土器群(31)が成立する。」

条痕文系土器群の編年細別図 1 総覧縄文土器から引用 改変

条痕文系土器群の編年細別図 2 総覧縄文土器から引用 改変

3 茅山上層式土器の較正年代

茅山上層式土器の較正年代
小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」資料(2019.02.24)では条痕文系土器の較正年代が8405~7050年前calBPとなっています。

4 茅山上層式土器の千葉県域分布

茅山上層式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベースで茅山上層式を検索すると47レコード(遺跡)がヒットします。

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学習チェックリスト

2019年6月3日月曜日

上ノ山式併行の土器 雷下遺跡(5)地点出土

縄文土器学習 144

市立市川考古博物館展示雷下遺跡出土土器の観察をしています。

1 上ノ山式併行の土器の観察

上ノ山式併行の土器 雷下遺跡(5)地点出土

上ノ山式併行の土器上部拡大 雷下遺跡(5)地点出土

上ノ山式併行の土器中部拡大 雷下遺跡(5)地点出土

上ノ山式併行の土器下部拡大 雷下遺跡(5)地点出土

2 雷下遺跡(5)地点土器展示の様子

雷下遺跡(5)地点土器展示ショーケース

展示土器片
茅山上層式土器、粕畑式土器

展示土器片
茅山上層式土器、粕畑式土器、関東地方北西部の土器、常世2式土器、上ノ山式併行の土器

展示土器片
常世2式土器、上ノ山式併行の土器、入海1式併行の土器

展示土器片
入海1式併行の土器

●雷下遺跡土器説明
「雷下遺跡からは、早期後半の土器が網羅的に出土していますが、その中心は茅山上層式とその直後の二形式(上ノ山式や入海1式に併行)になります。この時期には、東海地方の土器形式の影響が強まり、撚った糸を棒に巻いて押し付けた絡条体圧痕文を施した地元の土器も多くなります。打越式・神之木台式・下吉井式などの早期終末の土器形式のほか、外面に縄文、内面に条痕を施した土器も出土します。」(パネルから引用)


2019年6月2日日曜日

茅山上層式土器 市川市雷下遺跡(5)地点 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 143

市立市川考古博物館に展示されている雷下遺跡(5)地点出土の縄文早期茅山上層式土器の観察記録3Dモデルを作成しました。

茅山上層式土器 市川市雷下遺跡(5)地点 観察記録3Dモデル
撮影場所:市立市川考古博物館
撮影月日:2019.05.24
強反射ガラス面越し撮影
参考 左側土器は形式不明条痕文土器、右側土器は上ノ山式併行の土器

1 この観察記録3Dモデル作成のために撮影した写真

この観察記録3Dモデル作成のために撮影した写真

2 この観察記録3Dモデルの難
次に示すようにガラス面反射が3Dモデルに投影されているところがあります。

この観察記録3Dモデルの難

3 雷下遺跡

雷下遺跡の場所と情報
ちば情報マップ 埋蔵文化財包蔵地より引用
雷下遺跡は東京外かく環状道路建設に伴い新たに発見された低地遺跡で、縄文時代早期貝塚を主体とし、貝塚縁辺部から出土した丸木舟は国内最古例とされています。大変興味深い遺跡であるので、記事を改め学習します。

また茅山上層式土器の特徴や分布等も記事を改めて学習します。

2019年5月31日金曜日

縄文早期形式不明条痕文土器 市川市雷下遺跡(5)地点 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 141

市立市川考古博物館に展示されている雷下遺跡(5)地点出土の縄文早期形式不明条痕文土器の観察記録3Dモデルを作成しました。

縄文早期形式不明条痕文土器 市川市雷下遺跡(5)地点 観察記録3Dモデル
撮影場所:市立市川考古博物館
撮影月日:2019.05.24
強反射ガラス面越し撮影
参考 右側土器は茅山上層式土器

メモ
・口縁部は2単位波状のようです。波状の凹部(右側)は復元未完のようです。(直上からみると3単位であったようにも見えます。)
・直射日光の強い反射がガラス面にある悪条件下での観察記録のためゴミが多く発生しています。(ゴミを除去しても別の場所により不都合なゴミが発生する場合が多いことと、ゴミ発生場所に正常な3D画面を生成することは原理的に出来ませんから、観察記録3Dモデルでのゴミ除去は最小限作業とします。)

2019年5月25日土曜日

めまいと浦島太郎感

市立市川考古博物館を訪問しました。
貝塚は幼稚園の遠足で見る者がなんともうれしくなる光景となっていました。

堀之内貝塚の幼稚園の遠足

縄文土器の3Dモデル作成のための写真撮影という取材目的は達成することが出来たと思います。430シャッター×5フィルター=2150ファイル(13.3G)がカメラに貯まりました。

最後に館で販売している図書を購入しまたが、待っている間に展示されている4000年前の堀之内貝塚付近の様子を写真に撮りました。

約4000年前の推定海岸線
堀之内貝塚から台地をくだり、谷津を通って海に出た様子がしのばれます。

この後、館の外にでてすぐそばにある展望ポイントから付近を眺めました。

市立市川考古博物館脇の展望ポインからの展望

ア めまい
急に明るいところに出たせいか、軽くめまいがしました。しかし、単なるフィジカルなめまいではないようす。

イ 浦島太郎感
風景をよく見るとどうも本来の尾根が全部そのまま削除されてしまったような大規模地形改変の現場のようです。さらによくみると外環道の地上部分道路が走っています。外環道の堀割の上部も見えます。
めまいの原因のひとつが地形改変と外環道を直視したことにあることに気が付きました。幼稚園児が遊ぶレトロな雰囲気の公園のすぐ近くにこのような光景が存在していることを全く予期していなかったので、めまいがしたのだと思います。同時に浦島太郎感のような感情が湧きました。自動車でこの道路を走った時は感情を味わう余裕はありませんでしたが、風景としてみると、未来世界に迷い込んだような感情が湧きだします。長い間待たされてようやく実現した外環道と自分の年齢を一緒に考えたのだと思います。

ウ 縄文人に説明する
自分を浦島太郎というほどならば、もしこの場に堀之内貝塚縄文人がきてこの光景をみたらどうなるか、想像が想像を呼びました。
縄文人がただただ驚き、状況を理解できないであろうことは想像に難くありません。
かりに私に縄文語が話せる能力があったとして、どのようにこの光景を説明するか空想してみました。
外環道について理解してもらおうと空想しました。
1 「道路」
空想を始めたとたん、「道路」(道)という言葉が縄文語にあるかどうか確認する必要があることに気が付きました。
集落から谷津におりる縄文時代道路遺構がありますから、また集落間をむすぶ固定通路は当然存在していたであろうから「道路」概念はあったと思います。
しかし、構造物としての道路(人が土木工事をして計画的につくる道路)の意識は極めて弱かったかもしれないと空想します。
はたして縄文人に構造物としての道路(風景としての道路)の存在を理解してもらえるかどうか不安です。
2 「乗り物」
道路を走る「乗り物」という言葉が縄文語にはないから説明できないだろうと考えました。縄文時代にある「乗り物」は人の肩と丸木舟(や筏)、(動力源のない)ソリくらいだけだと理解します。丸木舟やソリを一般化して「乗り物」という概念が生れていたとは考えづらいです。馬も車輪もないのですから陸上の「乗り物」は説明困難です。

めまいの感覚のなかで、その他いろいろと空想しました。

エ めまいのなかで得た気づき
フィジカルなめまいの後ろに人生の浦島太郎感があり、さらにその先に縄文人との会話がありました。
まったくたまたまの例ですが、思考実験的に、縄文人と道路とか乗り物について話をしようとすると、自分が縄文人が持っている概念・言葉について何も知らないことがわかりました。
縄文人が持っている概念・言葉そのものは直接わからなくても、縄文遺跡・遺構・遺物を子細に観察すれば、縄文人の概念・言葉が現代と比較してどうだったのか、その差分イメージを類推することはできるかもしれないと直観(楽観)しました。

縄文の興味は煎じ詰めて煎じ詰めて行けば、最後は遺跡・遺構・遺物そのものではなく、それ作った・使った縄文人という人間そのものにあることを確認できました。

縄文学習の目的は遺跡・遺構・遺物を媒介にして縄文人と会話できるようになることであると考えました。