縄文社会消長分析学習 78
有吉北貝塚学習の一環として中峠式土器の学習を行っています。この記事では中峠式土器出土遺跡の分布を眺めてみました。
1 千葉県中峠式土器出土遺跡
千葉県中峠式土器出土遺跡
出典:私家版千葉県遺跡データベース(遺跡総数:20130)
千葉県内でデータベースに中峠式土器出土記載のあるものは19遺跡です。
この19遺跡分布図からヒートマップを作成し、それを立体表示してみました。
千葉県中峠式土器出土遺跡ヒートマップ ヒートマップ3Dモデル小点は中峠式土器出土遺跡以外の縄文遺跡
遺跡データ:私家版千葉県遺跡データベース
QGIS3.8.0-Zanzibar(プラグインQgis2threejs)により作成
これらの分布図から中峠式土器出土遺跡は松戸方面の県北西部、香取方面の県北東部、千葉方面の県中央部の3ヶ所に主な分布が存在しているように観察することができます。
参考 中峠式0地点型深鉢分布 □
2021.01.16加曽利貝塚博物館縄文時代研究講座「下総考古学研究会と中峠式土器」大内千年先生スライドから引用
2 中峠式土器出土遺跡と貝塚分布との関連
Ⅳ期(中期中葉)貝塚分布
中期中葉の千葉県貝塚分布図をみると、千葉県貝塚分布は東京湾湾口部貝塚群、古鬼怒湾中央・湾口部貝塚群、都川・村田川貝塚群の3ヶ所に集中しています。この貝塚3ヶ所集中と中峠式土器出土遺跡の3ヶ所分布が関連しているように感じることができます。
即ち、阿玉台Ⅲ式期から中峠式期頃にかけて貝塚形成を伴うような通年定住型・集中居住型集落が長期継続するようになり、その社会変動最初期の一つの文化現象が勝坂式・阿玉台式→加曽利E式という土器文様の型式変化であると考えます。その土器文様型式変化の途中介在ステップが中峠式土器の発生であるという見立てです。
縄文時代の時期区分
中峠式土器の分布は数が大変限られていますが、これはその土器が使われた時間が短かったためであると考えられています。しかし、時間が短いにも関わらず、その分布域はその後の3ヶ所の貝塚群に対応して広域に分布しています。このことから、中峠式土器が生起せざるを得ない背景要因は広域に強く確実に生まれていたことを物語っています。
中峠式土器分布が最も濃密な場所は松戸方面の県北西部ですが、この付近はもともと阿玉台式土器が濃密に分布するとともに、勝坂式土器分布が濃密分布する武蔵野台地に近く、また大木式土器が分布する茨城県台地にも近いという特性があります。中峠式土器が最初に発生したのはこの県北西部であると考えることが可能です。この場所で阿玉台式土器を使う集団、勝坂式土器を使う集団、大木式土器を使う集団の濃密な交流が存在し、それが社会変動を加速し、その中で中峠式土器が生まれ、各地に伝播したのかもしれません。
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