2021年1月31日日曜日

有吉北貝塚 阿玉台式土器及び中峠式土器出土竪穴住居分布 3Dモデル

 縄文社会消長分析学習 82

有吉北貝塚中期竪穴住居168軒を中峠式土器出土有無を軸に区分して考察してみました。

1 中峠式土器出土有無を軸に区分した竪穴住居軒数


中峠式土器出土有無を軸に区分した竪穴住居軒数

中期竪穴住居168軒を1阿玉台式土器のみ出土する竪穴住居、2中峠式土器が出土する竪穴住居(阿玉台式土器、加曽利E式土器が共伴出土する竪穴住居を含む)、3加曽利EⅠ式以降土器が出土する竪穴住居、4時期不明の竪穴住居の4区分で集計したグラフです。

このグラフから阿玉台式期にのみ利用されたと考えることができる竪穴住居はわずかに4軒であり、有吉北貝塚が集落の体を成したのは中峠式期からであることが判りました。

2 有吉北貝塚 阿玉台式土器及び中峠式土器出土竪穴住居分布 3Dモデル

有吉北貝塚 阿玉台式土器及び中峠式土器出土竪穴住居分布 3Dモデル

凡例:阿玉台式土器のみ出土竪穴住居、中峠式土器出土竪穴住居(阿玉台式土器、加曽利E式土器が共伴出土する竪穴住居を含む)

垂直倍率:×3.0

DEMは1960年代千葉市都市図等高線からGRASS(v.surf.rst)で生成、遺跡図は有吉北貝塚発掘調査報告書から引用、3DモデルはQGIS(Qgis2threejs)で作成


阿玉台式土器及び中峠式土器出土竪穴住居分布


3Dモデルの動画

3 観察メモ

阿玉台式土器出土竪穴住居4軒のうち3軒は遺跡北西部斜面に位置しています。残り1軒は遺跡中央部の平地面に位置します。遺跡北西部斜面に位置する3軒と遺跡中央部1軒の間に特段の構造があるとは即座に判断できません。このような阿玉台式期竪穴住居の分布特性は、竪穴住居が孤立しておそらく1軒だけ存在し、それも継続して使われていたことは疑わしいような状況が推察されます。斜面に竪穴住居がつくられた理由の理由として、動物の行動範囲である台地平坦面を避けて(狩猟対象動物の行動に対する影響を最小化することを目的に)竪穴住居立地を選定していた可能性を感じます。つまり竪穴住居は定住というよりも季節的に利用する仮住居だったのかもしれません。集落の体を成していなかったことはほぼ確実です。

一方、中峠式土器出土竪穴住居42軒の分布は竪穴住居・土坑空白部を挟んで南北に分かれて集中分布している構造を観察することができます。42軒のうちどの程度の軒数が同時に存在していたかという検討はしていませんが、10数軒程度以上の竪穴住居が同時に存在した中央広場をもつ集落が存在したと想像します。

以上の阿玉台式土器出土竪穴住居分布と中峠式土器出土竪穴住居分布の違いから、阿玉台式期の住民とは別の中峠式土器集団が中峠式期に新たにこの場所に入植して新集落を形成したと考えることができます。

中峠式期に中峠式土器集団が入植したという見立ては、2021.01.29記事「中峠式期前後の貝塚文化開拓最前線の空間移動(作業仮説)」で設定した作業仮説「東京湾岸(千葉県北西部)から東京湾岸(千葉県中央部)への開拓最前線移動は開拓集団の移動定着を伴った」を補強します。

4 参考


加曽利EⅠ式土器以降出土竪穴住居分布


時期不明竪穴住居分布


0 件のコメント:

コメントを投稿