2021年5月23日日曜日

有吉北貝塚北斜面貝層から出土した加曽利EⅢ式土器(紙上観察)

 縄文土器学習 611

前の記事で有吉北貝塚竪穴住居から出土した加曽利EⅢ式土器(第12群土器)の紙上観察を行いましたが、この記事では有吉北貝塚北斜面貝層出土加曽利EⅢ式土器(第12群土器)の紙上観察を行います。

1 第12群土器の例

1-1 キャリパー形土器

発掘調査報告書では当該期のキヤリパー形土器の特徴として、曲線的なキャリパー形の器形が崩れて直線的になること、口縁部文様帯と胴部文様帯の癒着が顕著であること、磨消懸垂文を描出する沈線が縄文施文帯の上部で逆のU字状に連結したり懸垂文が胴部中位で左右に連結して対弧状になる資料が出現すること、磨消懸垂文の幅広化が進んで縄文施文部と磨消部のどちらが懸垂文であるか明確でなくなること等を挙げています。


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4単位の把手を有するもので、口縁部文様帯の渦巻文や区画文の配置が複雑になることによって文様帯下端が水平でなくなっており、胴部文様帯の磨消懸垂文や縄文が重複あるいは著しく接近して施されています。


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磨消懸垂文の一部が左右に連結し、連結部が対弧状になっています。発掘調査報告書では「入組系横位連携弧線文土器と深い関連を持つ資料であろう」と記述しています。


参考 横位連携弧線文土器

1-2 口縁部文様帯が省略されたキャリパー形土器


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胴部文様は一般的なキャリパー形土器と同様で、上端が逆Uの字状に連結している。口縁部に円形刺突列が2条と沈線1条が巡っています。

1-3 大木様式系土器


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「口縁部文様帯は第10~11群キャリパー形土器とほぼ同じで、若干の頸部無文帯を介して渦巻文やパネル状の区画文、渦巻文等を組み合わせた胴部文様帯が存在する。大木8b式と思われる資料で、本来は第7群~11群の広い時期に対応するのであるが、便宜上ここに掲載した。」→第12群ではないということか?

1-4 鉢形土器及び有孔鍔付土器


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鉢形土器。胴部文様帯は上端が逆Uの字状に連結した磨消懸垂文内に蕨手状の沈線が1条垂下している。

自分が「杖状文」とか「渦巻文(垂下文付)」などと呼んだ文様がここでは「蕨手状沈線」という名称で記述されています。蕨手の向きが1つだけ異なる事象がここでも観察できます。この事象は土器正面を表示するなどの機能があると推察します。

2021.05.20記事「杖状文と渦巻文(垂下文付)


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有孔鍔付土器。「球状を呈する胴部に直立する口縁部が接続し、屈折部に2個1単位の孔を有する鍔が貼付されている。胴部に沈線による渦巻形を基本とする文様を描出し、文様内の一部にLRL複節縄文を充填している。」

2 メモ

2-1 波状沈線区画文土器出土がほとんどない

北斜面貝層から出土する加曽利EⅢ式土器のうち深鉢はキャリパー形土器と口縁部文様帯が省略されたキャリパー形土器が多くなっています。


有吉北貝塚北斜面貝層出土の主な加曽利EⅢ式土器

埼玉編年(1982)で加曽利EⅢ式を特徴づけるとされている2群土器(波状沈線区画文を基本とするもの)がほとんど出土しません。


埼玉編年 加曽利EⅢ式

有吉北貝塚集落の最後期が加曽利EⅢ式期であることから、キャリパー形土器が駆逐されて波状沈線区画文土器が盛行する前に集落が終焉したのかもしれません。そのあたりの様子を今後詳しく検討することにします。

343土器の説明で、磨消懸垂文の一部が左右に連結し、連結部が対弧状になっている様子を、発掘調査報告書では「入組系横位連携弧線文土器と深い関連を持つ資料であろう」と記述していることが、ヒントになるかもしれません。

2-2 意匠充填系土器の出土が北斜面貝層からほとんどない

竪穴住居からは意匠充填系土器が主に出土しました。

2021.05.22記事「有吉北貝塚竪穴住居から出土した加曽利EⅢ式土器(紙上観察)

ところが北斜面貝層から意匠充填系土器の出土はほとんどありません。この理由解明が今後の遺跡理解の糸口になるかもしれないと興味を持ちます。意匠充填系土器はその形状が大きく、日常の鍋料理ではなく大釜を必要とするような活動(大規模な調理、収穫物の多かった時の保存食作成、染色、植物繊維加工…)に使われた可能性を想像すると、その出土竪穴住居が集落から離れた縁辺にあることに何か意味があるかもしれません。

なお、395有孔鍔付土器に使われている渦巻文は意匠充填系土器につかわれている渦巻文とほぼ同じです。


意匠充填系土器


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