2024年10月13日日曜日

千葉市人形塚古墳等高線3Dモデル

 3D contour model of Ningyozuka Tomb in Chiba City


I created a pure shape 3D model of Ningyozuka Tomb in Chiba City, with only contour lines as information, and looked at it. The slope of the second stage slope changes along the way. I'm very curious and curious as to whether this is simply the result of erosion, or if the design remains.


千葉市人形塚古墳について、情報を等高線だけに絞った純粋形状3Dモデルを作成して、眺めてみました。第2段階斜面の傾斜が途中で変化しています。単なる浸食作用の結果か、デザインが残存しているのか。大いに興味(疑問)が湧きます。

1 千葉市人形塚古墳等高線3Dモデル

千葉市人形塚古墳等高線3Dモデル

等高線の間隔は0.1m

垂直比率:×3.0

出典:発掘調査報告書等高線図

3DF Zephyr v7.531でアップロード

3Dモデルの画像

3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

2 メモ

情報を等高線だけに絞った3Dモデルを作成して、古墳の純粋形状だけを眺めてみると、思わぬ発見がありました。後円部も前方部も第2段階斜面の下部は傾斜が急で、上部が緩です。この傾斜変化が単なる浸食作用の結果だけであるのか、あるいは傾斜が変化する形状(デザイン)で築造されたのか、大いに興味(疑問)が湧きます。この傾斜変化が地割線の意義と関連する可能性も浮上します。

参考 技術メモ 等高線の3Dモデル



2024年10月12日土曜日

沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」学習

 Learning about "The so-called land division line of Ningyozuka Tomb in Chiba City" by Numazawa Yutaka


Based on the 24-part tumulus design principle elucidated by Numazawa Yutaka, the dimensions of Ningyozuka Tomb in Chiba City were revealed one after another. Based on this design principle, the design reference surface elevation was theoretically clarified from the excavated foot line topography. Numazawa's paper is an astonishing research result.


沼澤豊さんが解明した24等分値古墳設計原理に基づき、千葉市人形塚古墳の諸寸法が次々に明らかになりました。またこの設計原理に基づき、出土裾線地形から設計基準面標高が理論的に明らかになりました。沼澤論文は驚愕に値する研究成果です。

1 沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」について

沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」は千葉県教育振興財団文化財センター 2008 『研究連絡誌』に掲載された論文(ダウンロード可)です。千葉市人形塚古墳の地割線を学習する上で、発掘調査報告書に次いでもっとも重要な資料と考えられます。そこで、この論文についてじっくり学習することにします。なお、沼澤豊さんの次の著書・論文も随時参考にしながら学習を進めます。

沼澤豊「前方後円墳と帆立貝古墳」(2006、雄山閣)

沼澤豊「日本古墳の構造研究」(2011、早稲田大学博士論文)(早稲田大学リポジトリサイトからダウンロード入手)

2 古墳の概要と地割線

【概要】

・人形塚古墳は前方部を南西面させる前方後円墳で二重の周溝を伴う。周溝は例の少ない長方形周溝である。

・墳丘規模は、墳長は内溝下端でとらえると42.6m、上端では41.8m、後円部径は下端で27.2m、上端で26.6m、前方部前幅は復元推定28.4mと報告されている。

・いわゆる地割線(報告書※では「墳丘計画線」)は墳丘封土を除去後の黒色の旧地表面上に、幅20cmほどの黄褐色土面が帯状あるいは小ピット連続で検出された。深さは1~5cmで、黄褐色土は意図的に充填された可能性も考えられるという(報告書292頁)。

・後円部では2条の同心円状の地割線が確認され、内円は直径14.4m、外円はくびれ部にのみ残された円弧から25.2mと推定された。

・調査概要(※※)と報告書では、内円は墳丘第2段(上段)の基底(裾)を画し、外円は周溝(内溝)の掘り込み開始線、すなわち内溝の上端船を示す見解で一致している。

・くびれ部から前方部方向には4本の直線状の地割線が確認された。4本とも内円の外側を起点とし、内円には接しない。

・調査概要では、「前方部側面にそって走る直線状の地割線は前方部上段墳丘の上端稜線と一致する」として、「前方部上段墳丘の盛土作業と密接な関係があることは間違いない」と評価する。

・一方、報告書では、「前方部の墳丘構築に関わると考えられるが、現状の測量図とは合致していない」として、「盛土範囲を画する線とは考えにくい」(報告書294頁)と結論している。

※「千葉県教育振興財団調査報告544集 千葉県東南部ニュータウン35 -千葉市椎名崎古墳群B支群-」(平成18年3月、独立行政法人都市再生機構、財団法人千葉県教育振興財団)

※※ 笹生衛(1987):椎名崎古墳群・人形塚古墳発掘調査概要-人形塚古墳旧地表面上の地割線について-、千葉県文化財センター研究連絡誌第19号

【メモ】

・後円部の2条の地割線の意義は解明されていることが述べられています。

・前方部の4本の地割線が測量図と合致せず、発掘関係者の間でもその意義が定まっていないことがのべられています。

・地割線の意義検討という点では、前方部4本が課題となります。

3 後円部の地割線と当初プラン

3-1 主丘部直径について

【概要】

著者は主丘部(後円部)の直径はヤマト王権により規格体系が定められていることを明らかにしています。最初の基準である奈良県箸墓古墳の120歩(164.4m、一歩=1.37m)を基準に6歩(8.22m)刻みの規格値を序列に従い設け、中小規格ではさらに3歩(4.11m)刻みで微調整していたと明らかにしています。

著者は、報告書で記載された外円直径25.2mは径18歩(24.7m)の規格値に近いので、本来は径18歩に設定されてた可能性が高いことを述べています。

【メモ】

ヤマト王権により、当時辺境であった房総の首長層も王権にたいする貢献度が査定され、それにより3歩(4.11m)刻みで中小古墳も序列化されていたことは驚きです。

3-2 設計の基準単位

【概要】

著者はこれまでの研究で、古墳は主丘部直径の24分の1の長さ(24等分値)を基準単位として設計されていることを明らかにしています。

半径を12単位に分割し、墳丘格段の裾や肩の線の半径を単位数で決定し、前方部長や幅、周溝の幅なども同じ基準単位によって決定していることを明らかにしてきています。

【メモ】

古墳主丘部規格が決定されると、その規格の24等分値が設計全ての基準になるとことが明らかにになったことは驚愕に値することです。

現代人の感覚でいえば、土木設計はmとかcmとかのスケールを利用して行うものと考えます。しかし、古代にあっては、社会的序列により古墳規格序列が定まると、その規格の24等分値がスケールになります。古墳築造現場の人々は歩とか尺というスケールではなく、24等分値がスケールになっていたということです。尺と歩の煩雑な換算(6進法)も不用になります。

人形塚古墳の24等分値(=1単位)は0.75歩(1.0275m)になります。この長さを基準として、1倍、2倍、3倍、5倍などの棒や板や紐がつくられ、現場での位置決めに使われたのだと思います。現場では単位の整数倍だけが使われるのですから、人夫に対する指示も効率的にできます。

3-3 人形塚古墳企画図

【引用】


人形塚古墳企画図

【メモ】

24等分値で古墳各部が設計された様子がわかる企画図です。図面の24等分値は後円部径を18歩(24.7m)としたとき設定です。なお、本来は半径を12等分するべきところですが、そうすると図面が煩雑になるので、この図では半径を6等分で示しているのだと考えます。

外円は半径12単位目の円周に一致し、内円は半径7単位目の円周によく一致しています。横穴式石室は半径8単位目と12単位目の円周間に収まっています。

3-4 沼澤豊作成人形塚古墳企画図の3Dモデル投影

【自作】

沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図の3Dモデル投影

古墳等高線図からQGIS(GRASSプラグインのv.surf.rstツール)でDEM(0.5m×0.5m)を生成し、それにより作成した3Dモデルに、テクスチャとして沼澤豊作成人形塚古墳企画図を貼り付けたもの

垂直比率:×3.0

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

沼澤豊氏作成人形塚古墳企画図を3Dモデルに投影して、沼澤豊「千葉市人形塚古墳のいわゆる地割線について」の学習を深めることにします。高さ関係を理解・計測しやすくするために、垂直比率を3倍にデフォルメしています。

3-5 内円の意義

【引用】

「地割線の内円に関しては、報告者の見解のとおり墳丘第2段の裾線を示し、封土を高く盛り上げる範囲を明示していることは間違いない。

まず中央墳丘を高く盛り上げ、次いで墳丘第1段を横穴式石室設置後に積み上げるという構築手順がとられたのは明らかである。

石室天井石は、奥壁の上に載った部分がわずかに残り、その上面は旧表土より50cmほと高いから、これを被覆するための墳丘第1段は1単位(1.03m)程度の高さに仕上げられたものと思われる。前方部の横断面図からも墳丘第1段の高さがこの程度だったことが納得される。

第1段の斜面幅を推定する情報はないが、あまり急勾配に仕上げられていなかったとみて2単位の幅と考えておくのが無難であろう。テラスの幅は3単位となり、埴輪群像をおくには十分な幅が確保されていると言えよう。」

【検討】

●後円部付近の裾線の標高と古墳設計基準面

墳丘第1段が1単位(1.03m)程度の高さに仕上げられたということは理解できますが、沼澤さんが理解した標高は違っているようです。

沼澤さんは基準面を36.5m(報告書で36.5m付近に旧地表面があると記述しているによる)と捉え、それに1単位を足すと37.5mになります。ところが後円部の内円の高さは37.2m付近です。0.3m程足りません。しかし、前方部でテラスが終わる付近では墳丘第2段の裾線高さは37.5m付近になります。その様子をみて、沼澤さんは「前方部の横断面図からも墳丘第1段の高さがこの程度だったことが納得される。」と書いたのだと思います。

沼澤さんは横穴式石室設置付近を含めて、後円部でも墳丘第2段の裾線高さは37.5m付近と考えています。しかし、現実の後円部における墳丘第2段の裾線高さは37.2m付近です。この0.3mの差は作図等の誤差ではなく、有意な差であることは明白です。

私は、沼澤さんが古墳設計基準面を発掘調査報告書が記載した旧地表面標高36.5m付近を利用したために間違ってしまったと考えます。


参考図 等高線の値

図面に表示される後円部における墳丘第2段の裾線高さ37.2mは間違いの少ない数値といえます。それはこの地形が埋没することはあっても削られる可能性がほとんどないことによるからです。


墳丘第2段の裾線が築造時形状を保っている理由

この古墳における施工基準面(※)は墳丘第2段裾線高さを出発基点として復元されるべきものと考えます。

墳丘第2段裾線高さ37.2mから出発すると、1単位下の36.2m付近が施工基準面となります。

前方部墳丘第2段の裾線が37.5m付近にあるのは、3Dモデルでの検討で、裾線が完全に水平ではないことに起因していると考えられますが、それは追って検討を深めることにします。

※施工基準面 著者は施工基準面(掘り込み開始面)と墳裾面(墳丘規模が示される面)を分けていて、人形塚古墳は施工基準面と墳裾面が一致する新たな類例としています。しかし、地割線が描かれた旧表土(36.5m)と墳裾面(36.2m)は30㎝の差があり、有意の差と考えられます。施工基準面と墳裾面は一致しません。

●第1段斜面幅とテラスの幅

3Dモデルを観察すると、第1段斜面幅2単位、テラス幅3単位がものの見事に当たっていることが理解できます。

【感想】

沼澤さんはこれまでの研究で古代における24等分値古墳設計原理を明らかにしました。その古墳設計原理に基づき、千葉市人形塚古墳の諸寸法が次々に明らかになりました。またこの設計原理に基づき、出土した墳丘第2段裾線地形から設計基準面が理論的に明らかになったことは驚愕に値することです。

沼澤さんの24等分値設計理論の秀逸さに驚き、また古墳平面形状の合理的理解が進むので、感謝の気持が湧いてきます。


つづく


2024年10月11日金曜日

シャフリサブス

 Shakhrisabz


I enjoyed the Shakhrisabz section of "Travels in Uzbekistan" (a serial article in the magazine "Geography") by Keiji Nakaie and others, and took notes on my impressions. Shakhrisabz is the birthplace of Timur, and the ruins of the huge Ak-Saray Palace remain.


中家惠二ほか「ウズベキスタン紀行」(雑誌「地理」連載記事)のシャフリサブス編を楽しみ、感想をメモしました。シャフリサブスはチムールの生誕地で巨大なアク・サライ宮殿跡が残っています。

以下、次の連載記事の感想です。

第7回「シャフリサブス ティムールのふるさと」(雑誌「地理」2024.5)

第8回「ウズベキスタンのシルクロード」(雑誌「地理」2024.6)

1 シャフリサブス

シャフリサブスはチムールの生誕地で巨大なアク・サライ宮殿跡が残っています。連載記事ではシャフリサブスの地理歴史とアク・サライ宮殿の特徴、その訪問の様子が詳しく書かれていて、読みごたえがあります。

私が訪問した時の個人的感想は、その巨大さに感動したことです。残存する高さは38m(完成時は50m)ですから、通常の都市の建物では特段驚く高さではありません。しかし、周辺に何もない場所にそれだけが存在すること、2つ建物の間隔が狭いこと、廃墟的様相がとても強いことなどで特段の巨大さを感じました。過去の栄華であるチムール大帝国の残存物だという知識も、この建造物の巨大さ感覚をさらに高めたに違いありません。

連載記事ではかつてこの2つの建物が1つの建物であることが説明され、その復元図が掲載されています。


アク・サライ宮殿跡

2016年荒木撮影


アク・サライ宮殿跡

2016年荒木撮影


アク・サライ宮殿跡

Google earth 画面

2 イスラムの建築

訪問団がウズベキスタン各地を訪問して見学したイスラム建築について、モスク(礼拝場)、メドレセ(イスラム神学校)、墓廟に分類して、カラー写真を駆使して、まとめと考察が書かれています。

3 ウズベキスタンの手仕事

スザニと呼ばれる刺繍のある織物などウズベキスタンの手仕事製品に関して、旅行前に訪問団が日本で深く関わり、興味を持ち、そしてウズベキスタン現地でそれを手に入れた様子が詳しく書かれています。なにか心が温まってきます。日・ウズベキスタン交流の中で、ウズベキスタン女性の地位向上の取り組みが行われています。

4 シルクロード

ウズベキスタンには複数のシルクロードが存在していたこと、玄奘三蔵の足跡、紙の西進(ペイパーロード)、イスラムの美術・文様が詳しく説明されています。


2024年10月9日水曜日

船形埴輪(飯田市殿村遺跡)観察記録3Dモデル

 Boat-shaped Haniwa (Tonomura Site, Iida City) Observation Record 3D Model


Unexpectedly, I came across a boat-shaped Haniwa with a person on it, and created a 3D model. It depicts the core of the "Amanotori-fune faith," in which the souls of the dead travel to the other world on a boat lured by a bird. However, the bird does not appear.


予期しない状況で、人物が乗った船形埴輪に出会い、3Dモデルを作成しました。「天鳥船(あまのとりふね)信仰」の核心である、「死者の魂が鳥に誘われた船に乗って他界へ赴く」様子が表現されています。ただ、鳥は登場していません。

1 船形埴輪(飯田市殿村遺跡)観察記録3Dモデル

船形埴輪(飯田市殿村遺跡)観察記録3Dモデル

古墳時代後期

撮影場所:飯田市考古博物館

撮影月日:2024.10.03


展示の様子

3DF Zephyr v7.531 processing 170 images


3Dモデル画像


3Dモデル動画

2 メモ

2-1 船形埴輪との出会い

千葉市人形塚古墳学習に関連して、古墳と埴輪に興味を深めています。

古墳における埴輪は当時の他界観を表現していて、その他界観に基づく信仰を和田晴吾著「古墳と埴輪」(2024、岩波新書)では「天鳥船(あまのとりふね)信仰」と名付けています。その核心は「死者の魂は鳥に誘われた船に乗って他界へ赴く」ものと説明されています。

このような興味を深めている時、飯田市考古博物館で予期しない状況でこの船形埴輪展示に出会いました。

死者が船に乗り、他界を赴く様子を象形している埴輪であることは間違いありません。

展示説明にも同じ趣旨の説明があります。


展示説明

幸いなことに、この展示はガラス面にさえぎられることなく、また広い範囲から撮影できる状況にあることから欠落のない3Dモデルを作成できました。

2-2 発掘調査報告書の説明

発掘調査報告書「殿村遺跡 大荒神の塚古墳」(2003.3 長野県飯田市教育委員会)を全国遺跡報告総覧からダウンロードして読みました。

自分の思い込みに反して、この埴輪は古墳から出土したものではなく、古墳時代前期の竪穴(規模4.2×4.1、深さ29cm、深面積15.8平方m)から出土したものです。家形埴輪も同時に出土しています。

発掘調査報告書では竪穴の性格について6つの選択肢を提起して検討し、最終的にこの竪穴が葬送儀礼と関係する施設であったと考えています。葬送活動そのものは近くの場所で行われとしています。

埴輪は古墳出土物か、埴輪生産地からの出土物と考えていた自分の知識の狭さを、強制的に意識させられました。

同時に発掘調査報告書の別箇所では近くに埴輪窯があった可能性(証拠はない)にも触れていて、報告書を書いた人によって別の見解も述べられています。

2-3 船形埴輪の特徴

・大きさは全長77.3cm、最大幅24.8cm、舳先の基部で推定幅13.5cm、艫で幅17.3cmを測る。(発掘調査報告書から引用)

・人物が褌姿で、大きな口をあいている(大声を出している)様子が、自分が勝手にイメージしていた、盛装した高貴な人物像と違います。しかし、頭にミズラはついています。

・左舷外側に×印のような線刻文があり、発掘調査報告書では葬送に関する象徴的図柄と考えています。

・発掘調査報告書では、飾り立てられた「王の船」とは印象を異にするが、蓋(きぬがさ)とも考えられるかさ状の土製品を伴うことや準構造船であることから、「王の船」としてつくられたものとしています。

2-4 感想

・この埴輪は古墳以外の場所で行われた葬送儀礼で使われたアイテムであったようです。その葬送儀礼は「天鳥船(あまのとりふね)信仰」に基づいて執行されたと考えます。

・この埴輪は埴輪に表現すべき事柄の情報・知識が少ない、土着レベルの職人によって作成されたものと考えます。


サマルカンド

 Samarkand


I enjoyed the Samarkand edition of "Travels in Uzbekistan" (serialized article in the magazine "Geography") by Nakaie Keiji et al., and took notes on my impressions. The many charms of Samarkand are discussed. I was intrigued by the fact that the huge underground space at the site of the observatory built by Timur's grandson was a sextant observation facility, and by the Sogdian murals from the 7th to 8th centuries.


中家惠二ほか「ウズベキスタン紀行」(雑誌「地理」連載記事)のサマルカンド編を楽しみ、感想をメモしました。サマルカンドの沢山の魅力が語られています。チムールの孫が建設した天文台跡の巨大地下空間が六分儀観測施設だったことや7~8世紀頃ソグド人壁画に興味が湧きます。

以下、次の連載記事の感想です。

第9回「サマルカンド 前編」(雑誌「地理」2024.7)

第10回「サマルカンド 後編」(雑誌「地理」2024.9)

1 サマルカンドの街

「サマルカンドの由来」、「ソ連時代のサマルカンド」、「サマルカンドの街」は、サマルカンドの街を1991年の様子と比較して説明していて、とても読み応えある記述です。掲載されている衛星画像では満足できなくなり、DEM-Net Elevation APIでサマルカンドの様子を3Dモデルにして、その3Dモデルを自分専用で見ながら、記述をじっくり読み楽しみました。

サマルカンド市街の様子

DEM-Net Elevation APIが提供する機能で作成したサマルカンド市街の3Dモデルです。

垂直比率:×10.0

DEM-Net Elevation APIに感謝します。

Generator: DEM Net Elevation API - https://elevationapi.com

Mesh reduction: geometry3Sharp (GradientSpace, Ryan Schmidt) BSL 1.0 License - https://github.com/gradientspace/geometry3Sharp/blob/master/LICENSE

Digital Elevation Model: NASADEM - https://doi.org/10.5067/MEaSUREs/NASADEM/NASADEM_HGT.001

Imagery: MapBox Satellite Street - https://www.mapbox.com

2 サマルカンドの魅力

ジョブバザール、トラム、タイル、高木の街路樹、アミール・ティムール廰などサマルカンドの魅力が詳しく書かれています。自分の旅行で感じたことも多く、記述を反芻的に楽しみました。


アミール・ティムール廰

雑誌「地理」2024.9から引用

3 ウルグベク天文台

ウルグベク天文台跡は自分は訪問したことがないので、とても興味を持ちました。チムールの孫で国王のウルグベク(1394~1449)が築いた天文台で、太陽時の1年の値が現代の値と25秒ほどしか違っていないという驚異的な精度の観測がおこなわれたそうです。廃墟になった天文台の巨大地下空間から六分儀が発掘され、地下空間全体が観測施設だったことが判ったそうです。


天文台跡

雑誌「地理」2024.9から引用

4 アフラシャブ博物館

アフラシャブ博物館の訪問も書かれています。この博物館で有名なものは地中から偶然に見つかった壁画です。壁画は保護のため暗い空間で展示され、フラッシュは禁止です。

自分が2016年に訪問した時、アートモードで撮影したところ、それなりの写真になったことを思い出しました。


7世紀から8世紀頃のソグド人邸宅から出土したフレスコ画(サマルカンド)

アフロシャブ博物館で撮影(暗い中フラッシュ禁止であったが、アートモードで撮影)

(ソ連軍トラックが突然陥没し、その穴で偶然発見)

2016年荒木撮影

この壁画が描かれた頃の平城宮にペルシャ人がいたことの新聞記事に接し、その新聞記事とこの壁画が結びついて、ウズベキスタン旅行の収穫が大きかったことを思い出します。


2016.10.06日経朝刊記事 平城京役人にペルシャ人


2024年10月8日火曜日

千葉市人形塚古墳3Dモデル(主要部)

 3D model of Ningyozuka Tomb in Chiba City (main part)


Based on the preliminary model work, I created a DEM with 0.1m pitch contour lines, and created a 3D model of Ningyozuka Tomb in Chiba City. A 3D model that allows detailed observation of the tomb's shape has been completed.

Using this 3D model as a tool, I will begin to consider the significance of the land division lines, etc.


予察モデル作業を踏まえて、0.1mピッチ等高線によりDEMを作成し、それにより千葉市人形塚古墳3Dモデルを作成しました。古墳形状を詳しく観察できる3Dモデルが完成しました。

この3Dモデルをツールとして地割線の意義や完成時形状復元等について検討を始めます。

1 千葉市人形塚古墳3Dモデル(主要部)

千葉市人形塚古墳3Dモデル(主要部)

古墳等高線図(0.1mピッチ等高線)から作成した3Dモデルの主要部抽出版

QGIS(GRASSプラグインのv.surf.rstツール)でDEM(0.5m×0.5m)作成し3Dモデル化

左上図 テクスチャ:0.1mピッチ等高線抽出図、垂直比率:×1.0

左下図 テクスチャ:古墳等高線図、垂直比率:×1.0

右下図 テクスチャ:古墳等高線図、垂直比率:×3.0

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデル画像


3Dモデル画像

3Dモデル画像


3Dモデル画像



3Dモデル動画

2 メモ

予察モデル(0.5mピッチ等高線で作成した3Dモデル)作成で確認した方法に基づいて、古墳等高線図(0.1mピッチ等高線)による3Dモデルを作成しました。等高線で表現されている形状は全て3Dモデルで表現されていて、想定した精細な精度の3Dモデルを作成することができました。

この3Dモデルを主要検討素材として、これから地割線の意義や完成時形状復元などについて検討を始めることにします。

参考

2024.10.06記事「千葉市人形塚古墳 等高線からつくる3Dモデル 予察モデル

2024.09.15記事「紙等高線地図から地形3Dモデルを作成する方法


2024年10月7日月曜日

石棒(飯田市平畑遺跡)観察記録3Dモデル

 Stone rod (Hirahata site, Iida city) Observation record 3D model


During my study of rituals, I developed a concern about stone rods, so I made a 3D model of the observation record of a stone rod for the first time in a long time. This stone rod was excavated from a pit. It may be related to burial.


儀礼学習の中で石棒に対する自分の問題意識が開発されたので、久しぶりに石棒の観察記録3Dモデルをつくりました。この石棒は土坑から出土しています。埋葬と関係あるのかもしれません。

1 石棒(飯田市平畑遺跡)観察記録3Dモデル

石棒(飯田市平畑遺跡)観察記録3Dモデル

縄文中期後葉

撮影場所:飯田市考古博物館

撮影月日:2024.10.03


展示の様子

3DF Zephyr v7.531 processing 86 images


3Dモデル画像


3Dモデル動画

2 メモ

儀礼学習(2024.10.01記事「祖霊観念と石棒儀礼」)で自分の石棒に対する問題意識が開発されました。というか疑問が深まりました。石棒に関して強い疑問を持てたので、学習はそれなりに進展すると、自分のことながら期待しています。

この石棒について、全国遺跡報告総覧で発掘調査報告書(「平畑遺跡・八幡原遺跡」)をダウンロードして確認しました。

縄文中期後葉の土器が出土する土坑4(南北1.7m×東西2m、深さ67cm)の抗底から打製石器などとともに下部の欠けた石棒が横倒して検出されたことが書かれています。石棒の長さは35cm・最大12cmの大きさで、頭部は綺麗に磨き上げたものであることが書かれています。

もしこの土坑が墓坑であれば、この石棒を所持し、この石棒で儀礼を取り仕切ってきたシャーマンが死亡し、この墓坑に埋葬されたと考えます。死亡したシャーマンがあの世でも石棒を使った儀礼活動を行えるように、この石棒も遺体と一緒に埋納した(あの世にシャーマン魂と一緒に石棒も送った)ということかもしれません。


石棒出土状況

「平畑遺跡・八幡原遺跡」(1988.3 長野県下伊那郡上郷町役場産業課・長野県下伊那郡上郷町教育委員会)から引用

なお、「この土坑の周囲にはピット5個が検出されているが、位置的には土坑4に属するようにみられるが確たることはいえない。」と発掘調査報告書にかかれていて、上記写真にも写っています。もしかしたら、墓坑の建屋(あるいは墓坑を覆う墓標のようなもの)があったのかもしれません。



2024年10月6日日曜日

千葉市人形塚古墳 等高線からつくる3Dモデル 予察モデル

 Chiba City Ningyozuka Tomb - 3D model made from contour lines - Preliminary model


I extracted 0.5m pitch contour lines from the contour map (0.1m pitch) of Chiba City Ningyozuka Tomb, created a DEM from the contour lines, and created a preliminary 3D model. Although it was preliminary, it turned out to be quite good. When I deformed the vertical ratio to 3 times, I noticed something I had not noticed before.


千葉市人形塚古墳の等高線図(0.1mピッチ)から0.5mピッチ等高線を抽出して、等高線からDEMを作成し、予察的3Dモデルを作成しました。予察的とはいえかなり出来ばえのよいものになりました。垂直比率を3倍にデフォルメしていみると、これまで気が付かなかった地割線に関する事柄に気が付きました。

1 千葉市人形塚古墳 等高線からつくる3Dモデル 予察モデル

千葉市人形塚古墳 等高線からつくる3Dモデル 予察モデル

古墳等高線図から0.5mピッチ等高線を抽出して作成した予察3Dモデル

左上図 テクスチャ:0.5mピッチ等高線抽出図、垂直比率:×1.0

左下図 テクスチャ:古墳等高線図、垂直比率:×1.0

右下図 テクスチャ:古墳等高線図、垂直比率:×3.0

QGIS(GRASSプラグインv.surf.rstツール)で3Dモデル作成

3DF Zephyr v7.531でアップロード


3Dモデルの画像


3Dモデルの画像


3Dモデルの画像


3Dモデルの画像


3Dモデルの動画

2 メモ

・等高線の描き方や3Dモデルの出来ばえを確認するために、0.5mピッチ等高線を抽出して、各種設定はデフォルトで、人形塚古墳3Dモデルを予察的に作成しました。

・等高線は崖記号の部分(等高線は描かれていない)に補足記入しました。石室・石棺部分は白抜きにしました。

・0.5mピッチ等高線でもかなり出来ばえのよい3Dモデルとなることが確認できました。今後資料通りの0.1mピッチ等高線で本番3Dモデルを作成します。

・デフォルト設定では、今回範囲では、DEM大きさは約1.47m×1.47mとなりました。DEM大きさは設定できるので、古墳形状ができるだけ正確に表現できるよう、より小さい大きさに設定することにします。

・垂直比率を3倍にして古墳形状をデフォルメして観察しました。古墳形状と地割線との関係を見ると、これまで平面等高線図では思いつかなかった解釈が頭に浮かびました。3Dモデルの威力を早速実感しました。地割線の意義についての考察を深めることができそうで、今後の作業が楽しみになります。

・この3Dモデルでは石室・石棺部分は正確に表現されていません。最終的には等高線から作成した3Dモデルに石室・石棺の3Dモデルを組み込みます。


ブハラ

 Bukhara


I enjoyed the Bukhara edition of "Travels in Uzbekistan" (serialized article in the magazine "Geography") by Keiji Nakaie et al., and took notes on my impressions. The charm and highlights of the "holy city of Bukhara" are discussed to the fullest from a traveler's perspective. The Bukhara madrasah has paintings of human faces that are rare in Islam.


中家惠二ほか「ウズベキスタン紀行」(雑誌「地理」連載記事)のブハラ編を楽しみ、感想をメモしました。「聖なるブハラ」の魅力、見どころが旅行者の視点から思う存分に語られています。ブハラの神学校にはイスラムには珍しい人面画が描かれています。

以下、次の連載記事の感想です。

第6回「ブハラ イスラムの聖地」(雑誌「地理」2024.4)

1 ブハラ街めぐり

この連載では必ず訪問した都市の地理・歴史が最初に詳しく書かれています。旅行に興味のある人には大変参考になる情報です。ブハラについても、その地理・歴史が最初に理解できるようになっていて、親切です。

ブハラの街めぐりはチョル・ミナル(4本のミナレット)、イスマイール・サーマーニ廟、ボラハウズ・モスク(クルミの柱が特徴)、アルク城(内部は小博物館)、カラーンモスク・ミナレット(死の塔)、タキ(交差点バザール)、ナディール・ディワンベギ・メドレセ(神学校)などについて詳しく見学記が書かれています。読んでいると街を楽しんでいるような気持になり、文章に引き込まれてしまいます。

2 タブーの人面


ナディール・ディワンベギ・メドレセ

雑誌「地理」2024.4から引用

ナディール・ディワンベギ・メドレセのイーワーン(内部ドーム型開放空間建築物)上部中央に1つの人面画が不死鳥とともに描かれています。人面は太陽の顔として描かれています。


ナディール・ディワンベギ・メドレセのイーワーンに描かれた人面画(2016年荒木撮影、調整)

同様の人面画がサマルカンドのレギスタン広場にあるシェルドル・メドレセのイーワーン上部にも2つ描かれています。人面は太陽の顔として描かれ、ライオンも描かれています。


サマルカンドのレギスタン広場のシェルドル・メドレセのイーワーン(2016年荒木撮影)


シェルドル・メドレセのイーワーンの人面画(2016年荒木撮影、調整)

太陽とライオンはチムールの紋章であることから、チムール後継の当時のブハラ・サマルカンド支配者がこれらの紋章(人面と動物)を描かせたことがわかります。偶像崇拝を否定するイスラム教義に反して、自分の顔をイスラム神学校のイーワーンに描かせ、自分の権力を誇示しています。

私のブハラ訪問時のガイドさんからは、次のような苦しい言い訳が説明されていました。

「人面画は太陽の顔であり、人の顔ではない。太陽の顔という存在しない抽象物だから偶像ではない。

ブハラのイーワーンには不死鳥が描かれていて、これも空想上の抽象動物であり、偶像に値しない。

サマルカンドのイーワーンにはライオンが描かれているといっても、よく見るとトラのような模様をしていて、正確にはライオンではない。抽象動物である。

つまり、宗教上からみると、全部抽象物を描いていて、偶像崇拝の対象となるようなものは描いていない。」


2024年10月3日木曜日

千葉市人形塚古墳の等高線解読

 Deciphering the contour lines of Ningyozuka Tomb in Chiba City


I am challenging myself to create a 3D model from the contour map of Ningyozuka Tomb in Chiba City. As the first step, I have completed the QGIS georeferencing of the contour map and "deciphering the contour lines," so I will make a note of it here.


千葉市人形塚古墳の等高線図から3Dモデルを作成する活動にチャレンジしています。最初のステップとして等高線図のQGISジオリファレンスと「等高線の解読」が済みましたのでメモしておきます。

1 千葉市人形塚古墳等高線図のQGISジオリファレンス

発掘調査報告書に掲載されている千葉市人形塚古墳等高線図をスキャンし、QGISにジオリファレンス(座標参照系に即した画像プロット)しました。ジオリファレンス試行は既に実施し次の記事でメモしています。

2024.09.06記事「千葉市人形塚古墳全体図を標準地図にジオリファレンス

今回はトレース用の精細な等高線図を試行成果に基づいてジオリファレンスしました。

なお、スキャンした精細な等高線図を座標参照系EPSG6677(JGD2011/Japan Plane Rectangular CS IX)にジオリファレンスすると画像が斜めになります。この時、画像の精細性は完全に失われることに気が付きました。精細なスキャン画像でかすかに読めた標高数値は完全につぶれました。


千葉市人形塚古墳等高線図のQGISジオリファレンス結果画面

2 等高線の解読

等高線図をQGISにジオリファレンスできたら、通常は即座に等高線をトレースしてshapeファイルを作成します。しかし、今回の等高線図はとても入り組んでいます。墳丘部分は等高線は密ですが、単純でわかりやすいです。しかし、二重の周溝部分などは標高表示もなく、等高線が途切れ、即座に等高線の数値を理解することはほとんど不可能です。

そこで、特別な作業ステップとして「等高線の解読」を行いました。

画面に表示されている少数の標高数値を頼りに、等高線を一本一本追っていって、全等高線の数値を確認する作業です。

具体的には、Illustratorで等高線画像に数値を記入して行きました。周溝部分では途切れた等高線が地形上昇を示すのか、下降を示すのか判断に時間がかかる部分もありました。結果として99%の等高線は標高を特定できました。なんとこの作業が1日作業となりました。


等高線解読画面(Illustrator画面)

3 これからの作業

QGIS画面上で等高線をトレース・標高付与してラインshapeファイルをつくります。そのトレース作業にどれだけ時間がかかるか、1日仕事ではとても終わらないと見立てますので、武者震いしてきます。

…………………

なお、等高線画像から自動的にshapeファイルを作成する方法を詳しく調べ、ChatGPTにも幾つもの方法を提案してもらい試しました。しかし、満足できる方法(手作業トレースより効率的だと考えられる方法)は見つかりませんでした。これまでの自動トレースは全て、点情報に変換する方法です。

等高線画像はどんなに細い等高線でも必ず幅のある面です。この細い幅のある面画像をラインとして読みとる方法があれば、ぜひとも、どなたか、教えてください。

…………………

トレースが済んだら、QGISのGRASSプラグインを利用してDEM作成→3Dモデル作成します。またBlenderGISを利用して等高線3Dモデルも作成できます。