2013年10月1日火曜日

東京湾水系谷津の侵蝕様式

花見川流域の小崖地形 その28

小崖地形(断層)とは直接関係ありませんが、寄り道として、東京湾水系谷津の侵蝕様式を検討します。

1 印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の分布
次の地図は旧版1万分の1地形図に印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津及び花島小崖(断層崖)をプロットしたものです。

印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の分布
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)

位置関係と地形イメージとの関係を示すために、同じ範囲について、基図を現代標準地図にしたものと、地形段彩図を次に示します。

印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の分布
基図は標準地図(電子国土ポータルによる)

地形段彩図(現在の地形)
基盤地図情報5mメッシュ(標高)を用いて、地図太郎PLUSにより作成。陰影レベル、高さの倍率を強調している。

印旛沼水系谷津は下総上位面が離水した後(下末吉海進が海退に転じ海底が陸地になった後)、雨水の侵蝕作用によりつくられた浅い谷津です。
海底が陸地になった時、その地形は平坦であり、最大傾斜の方向に平行して幾つもの浅い谷津が発達したと考えられています。

その後、印旛沼水系谷津は花島小崖(花島断層)により分断され、花島小崖より南側の谷津に流れ込んだ水は印旛沼方面に流れなくなったと考えられます。(谷津毎に湖沼化したと考えます。別記事で検討します。)

一方東京湾水系谷津は最終氷期以降に発達した深い谷津です。
印旛沼水系起源の浅い谷津が刻む台地を、東京湾水系谷津が深く刻んでいます。

2 印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の横断形状
 次に、断面線に対応する地形断面図を掲載します。

断面線
基図は標準地図(電子国土ポータルによる)

地形断面図(現在の地形)
情報は基盤地図情報5mメッシュ(標高)、作図は地図太郎PLUSによる。作図の標示単位は10㎝。

同じ谷津と言っても東京湾水系谷津の深さは印旛沼水系谷津の4倍以上あります。

印旛沼水系谷津は侵蝕営力の働いていない谷津の化石ですが、東京湾水系谷津は浸食営力の働いている生きている谷津です。

3 印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の方向の相似性とその理由
印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の方向を図に書き込んでみると次のようになります。

印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の方向性

印旛沼水系谷津の方向性がほぼ揃っているのは、谷津の起原が下総上位面離水後の必従谷であることから首肯できます。

一方、その方向に東京湾水系谷津も揃うものがあることは、注目すべきことであると考えます。

東京湾水系谷津の形成が既存の印旛沼水系谷津の方向性に影響を受けていると考えます。
つまり、東京湾水系谷津は印旛沼水系谷津の地形を利用して谷頭侵蝕の方向を定めていると考えます。

具体的には東京湾水系谷津の侵蝕モデルを次のように考えます。

東京湾水系谷津の侵蝕様式

東京湾水系谷津は、印旛沼水系谷津に遭遇すると、そこがすでに谷形状をなしていて侵蝕しやすいために、選択的にその谷津沿いに谷頭侵蝕を進めたものと考えます。

4 この付近の東京湾水系谷津の発達と花見川の起原
この付近の東京湾水系谷津の発達は次のような順番で行われたと考えています。(上図「印旛沼水系谷津と東京湾水系谷津の方向性」参照)

まず、犢橋川谷津が断層線に沿って形成されたと考えます。

次に犢橋川谷津から花見川谷津を含め、北北東方向に延びる谷津が形成されたと考えます。

つまり、犢橋川が本流であり、花見川(犢橋川に合流する地点より上流の花見川)は支流になります。これは谷底平野の広さの違いにも表現されています。

また、花見川(犢橋川に合流する地点より上流の花見川)の方向性が(東側の)他の東京湾水系谷津と同じ北北東を向いているので、花見川の起原も同じくかつて存在していた印旛沼水系谷津の地形を利用して形成されたと推察できます。

花見川(犢橋川に合流する地点より上流の花見川)はかつて存在した印旛沼水系谷津の地形を利用して発達を開始し、その後その活動を加速し河川争奪に到ったと考えます。

花見川だけなぜ河川争奪(河道逆行争奪)に到ったのか、その説明はこのブログで何回かしていきましたが、一言でいえば、花見川が侵蝕したかつて存在した印旛沼水系谷津がこの付近の印旛沼水系谷津のなかでは大きい(深い)谷津であったため、花見川の谷頭侵蝕が特段に加速したからだと考えます。

花見川以外の東京湾水系谷津は、遭遇した印旛沼水系谷津が小さい(浅い)谷津であったため、花見川のように河道逆行争奪と表現するような大規模な現象には到らなかったのだと考えています。


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