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2024年3月26日火曜日

天竜川流域地形模型(飯田市美術博物館展示)の3Dモデル作成を楽しむ

 Enjoy creating a 3D model of the Tenryu River Basin Topographic Model (Iida City Art Museum Exhibition)


A huge topographical model of the Tenryu River basin is on display at the Iida City Art Museum. I enjoyed creating a 3D model of this terrain model using photogrammetry. I found a lot of interesting landforms, such as the valley watershed of the Median Tectonic Line and the meteorite impact crater. Issues with SfM-MVS technology were also identified.


飯田市美術博物館に巨大な天竜川流域地形模型が展示されています。この地形模型の3Dモデル作成をフォトグラメトリーにより楽しみました。中央構造線の谷の谷中分水界とか、隕石衝突クレーターとか面白い地形が沢山見つかりました。SfM-MVS技術の課題も判明。

1 天竜川流域地形模型(飯田市美術博物館展示)3Dモデル

天竜川流域地形模型(飯田市美術博物館展示)3Dモデル


展示の様子

3DF Zephyr で生成 v7.517 processing 802 images


3Dモデル画像


3Dモデル画像(調整前)


3Dモデル動画

2 地形に関する感想

天竜川流域地形模型をじっくり見る中で例えば次のような興味が深まりました。

ア 中央構造線の谷に幾つかある谷中分水界

中央構造線の谷(飯田市付近では遠山谷)に谷中分水界が幾つかあり興味を引きます。アメリカ西部乾燥地形とかアラスカにおける谷中分水界の様子を楽しんだことがありますが、アメリカまで行かなくても、天竜川流域に面白い谷中分水界があり、いつか初心追究的学習を楽しむことにします。

イ 御池山隕石クレーター

御池山隕石クレーターの表示が地形模型にあります。別の展示コーナーで御池山隕石クレーターの詳しい説明があります。いつか現場を観察してみることにします。オーストラリアの隕石クレーターに興味を持ち、記事を書いたことがあります。オーストラリアまで意識を広げる前に、この天竜川流域の隕石クレーターを学習すべきだったです。


御池山隕石クレーターの説明パネル

3 フォトグラメトリー技術に関する感想


3Dモデル画像(カメラ配置)

撮影枚数は802枚と多くなりましたが、3Dモデルは自分の期待するものにはなりませんでした。文字説明プレートが結像しないで「萎れて」しまったところがかなりあります。カメラから遠い模型中央部付近のプレートが結像していません。模型の中に入り込んだり、空中から撮影できないので、模型中央部付近はズームで拡大して撮影して、改善が図られるか、いつか検討することにします。

4 地形模型というものに関する感想

学芸員の方の説明によると、この地形模型は30年前につくられたもので、本来は人文社会現象説明用につくられ、その後一部を切り取って現状の姿にして、現在展示しているとのことです。

この地形模型は、自分に興味を生み出してくれる刺激あふれる装置であり、たいへん判りやすい教材です。一種の感動をおぼえました。

同時に、別の感想も生まれました。同じ地域の地形模型(3Dモデル)をパソコン内でつくることが、即座にできます。地理院地図サイトなどで精細な地形3Dモデルが、自分などでも、一瞬といえる間にできます。現物地形模型とは、30年前と違って、2024年では、それ自体がとても贅沢な価値があるモノのではないだろうかと感じました。


2019年12月27日金曜日

縄文中期顔面付釣手土器(飯田市北田遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 301

飯田市美術博物館に展示されている顔面付釣手土器の観察記録3Dモデルを作成しました。

縄文中期顔面付釣手土器(飯田市北田遺跡) 観察記録3Dモデル
撮影場所:飯田市美術博物館
撮影月日:2019.09.25
ガラス面越しに撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.523 processing 39 images

撮影写真の一例

観察と感想

観察と感想
眉・目・鼻が表現されています。目は微笑んでいて、出産直後の使命達成感を表現していると考えます。よくみると鼻が立体的に表現されています。
3つの渦状縄目隆線は臍の緒であり無事出産した様子を暗示していると考えます。
顔の上の直線縄目隆線は座産で使った天井から下がる踏ん張り用縄であると想像します。
両脇の2本の縄目隆線も足に巻いて中腰姿勢をとった座産のための縄(天井からつるす)であると想像します。

関連記事 2019.03.20記事「顔面付釣手形土器の発掘調査報告書を読む
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参考 カメラ配置

2019年12月25日水曜日

下伊那唐草文土器の観察記録3Dモデル

縄文土器学習 300

飯田市美術博物館に展示されているいわゆる下伊那唐草文土器の観察記録3Dモデルを作成しました。

縄文中期深鉢形土器(飯田市天伯遺跡) 観察記録3Dモデル
いわゆる「下伊那唐草文土器」
撮影場所:飯田市美術博物館
撮影月日:2019.09.25
ガラス面越しに撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.523 processing 42 images

撮影写真の一例

3Dモデル オルソ投影

下伊那唐草文土器について
飯田市上郷考古博物館発行資料によれば下伊那唐草文土器とは唐草文土器のうち松本平や諏訪盆地、伊那谷北部のものと区別するために独立させた分類のようです。

「平成17年度秋季展示 下伊那唐草文どき ~縄文中期後葉伊那谷南部の地域性~」(飯田市上郷考古博物館発行資料)
この資料による代表的模様とその分布を次にしめします。

下伊那唐草文土器

下伊那唐草文土器の分布




2019年10月6日日曜日

柳田國男館訪問 30年前の希望が叶う

飯田市美術博物館の常設展示縄文土器2点の3Dモデル用撮影をした際、館に隣接して柳田國男館が併設されていること知り、訪れてみました。

40年以上前から柳田國男に興味を持ち、その著作が豊かで途切れることのない泉のような優良情報源であると直感しています。柳田國男を縄文学習とすら結び付けて考えています。
2017.07.28記事「イナウ学習 柳田國男「花とイナウ」による
2017.07.30記事「イナウ学習 梅原猛 柳田國男 金田一京助」など

ガラス張り入り口ドアから室内に人がいる様子が見えたので、ドアをあけて入ってみました。後からわかったのですが、本来は飯田市美術博物館に事前申し込みして予約の上観覧できる施設でした。当日は偶然「伊那民俗学研究所」の方がいらっしゃって、運よく内部を観覧させていただき、詳しい説明を受け、写真撮影もできました。

お話を聞くと、なんとこの建物は成城にあった自宅兼書斎の建物を移築したものであるとのことでした。
書斎にあった膨大な図書は成城大学に寄贈されたことは知っていましたが、自宅兼書斎はどうなったか知りませんでした。30年程前に世田谷成城の何処に自宅兼書斎建物があるのか調べて見学に行こうとしたことがあります。その時はすでに現場に無いことを知りました。
ただ、全集月報かなにかだったと思いますが、「戦時中大書斎で行われていた定例研究会が暖房用燃料不足で寒くて、毛布を巻いても寒いので、開催不可能になった」と読んだことを覚えています。柳田國男の湧きいでる発想が暖められ、著作になっていくその現場の書斎空間そのものが見られなくて残念な思いを持った思い出があります。

その30年前に断念した柳田國男大書斎見学が突然実現したので、驚愕です。思わず自分の驚きを研究所の方にべらべらしゃべってしまいました。

柳田國男の成城自宅兼書斎の大書斎空間
飯田市柳田國男館(成城から移築)

大書斎空間を見学して、柳田國男が収集した膨大な資料とそれに裏付けされて発信された膨大な優良情報に思いを巡らしました。自分の趣味活動に強い刺激を受けました。
現在取り組んでいる趣味学習は縄文ですが、どこかで柳田國男から得た情報の活用がありうるのではないかと考えています。
縄文土器学習に意識を意図的に狭窄させている状況の中で、一時の意識拡大の甘美な時間を味わいました。

飯田市柳田國男館(成城から移築)

飯田市柳田國男館(成城から移築)

参考 柳田國男館リーフレット表

参考 伊那民俗学研究所リーフレット表